バルテリ・ボッタス
バルテリ・ビクトル・ボッタス(Valtteri Viktor Bottas, フィンランド語に近い表記では「ヴァルッテリ・ボッタス」、1989年8月28日 - )は、フィンランド・パイヤト=ハメ県ナストラ出身のレーシングドライバー。 経歴初期の経歴6歳でレーシングカートを始め、レースキャリアをスタート。2007年以降、フォーミュラシリーズの下位カテゴリーで実績を上げ、 2008年ユーロカップ・フォーミュラ・ルノーでチャンピオンを獲得。 2009年から2010年の2年間はF3に参戦。ユーロF3では両年ともシリーズ3位に入った。またマスターズF3にも両年とも出場し2年連続で優勝した。 2011年はGP3に出場。初参戦の年にチャンピオンに輝いた。また、この年にもF3に数戦出場した。 ボッタスは母国フィンランドの先輩であるミカ・ハッキネンの元マネージャーだったディディエ・コトンが経営するエイセズ・マネージメントと契約し、ウィリアムズ役員(のちメルセデスチーム代表)のトト・ヴォルフからも財政的な支援を受けている。 F1ウィリアムズ時代2011年以前2010年と2011年はウィリアムズとテストドライバー契約を結び[1][2]、前述のとおり、他のカテゴリーと並行してつつも、F1参戦の準備を始める。 2012年2012年はテストドライバーから昇格し、リザーブドライバーとして契約[3]。GP2やフォーミュラ・ルノー3.5などでレース経験を重ねることはせずF1のみに活動を絞り、ウィリアムズチームに常に帯同し第2戦でブルーノ・セナのマシンでフリー走行1回目を担当しF1デビューを果たした。以降もフリー走行を複数回担当した。シーズン終了後、ウィリアムズとの間で2013年のレギュラードライバーとして契約したことが発表された[4]。 2013年フル参戦1年目となるが、チームはマシン開発に失敗して[5]苦しい戦いを強いられた。それでも、カナダGPで予選3位を獲得[6]。第18戦アメリカGPを8位でチェッカーを受けて[7]キャリア初、そしてこの年で唯一の入賞を記録した。チームメイトのパストール・マルドナードを殆どの場面で上回り、翌年の残留を勝ち取った[8]。 2014年![]() 2014年からはフェリペ・マッサがチームメイトになった。メルセデスエンジンにスイッチしたこともあり開幕前のテストでは高い戦闘力を示していたが[9]、シーズン当初は不運やウェットでのパフォーマンスの低さなどもありなかなか結果を出せずにいた[10][11][12]。しかし、第8戦オーストリアGPにて予選ではポールのマッサに続く2番手、決勝では初表彰台となる3位に入った。次の第9戦イギリスGPでは予選14番手スタートながら追い上げて2位表彰台を獲得[13]。第10戦ドイツGPでは2度目のフロントローとなる予選2番手を獲得。決勝はトラブルによるクラッシュで後方からのスタートとなったルイス・ハミルトンの猛追を抑えきって2戦連続2位フィニッシュとなった。その後はクラッチトラブルによるスタート失敗などもあり初優勝はならなかったもののポイントを積み重ね、19戦中入賞17回(うち表彰台6回)を記録。2014年の未勝利のドライバーでは最上位となるランキング4位でシーズンを終えた。 2015年![]() 2015年もウィリアムズより参戦。しかし、開幕戦オーストラリアGPは背中の痛みを訴え欠場する[14]。第2戦マレーシアGPから復帰すると[15]、第7戦カナダGPではシーズン初表彰台を獲得[16]。その後もコンスタントにポイントを稼ぐが、表彰台入りは第17戦メキシコGPのみに留まった。最終的にはなんとかチームメイトのマッサを上回ったものの、キミ・ライコネンとのランキング争いに敗れてランキング5位でシーズンを終えた。この年、同郷のライコネンの後任として一時はフェラーリ入りの噂も囁かれたが[17]最終的には2016年もウィリアムズに残留することとなった。また、ライコネンとはフェラーリでの後任説の他、ロシアGPやメキシコGPでの接触[18]、終盤のランキング4位争い[19]など何かと縁があるシーズンだった。 2016年この年もウィリアムズより参戦。第7戦カナダGPで3位表彰台を獲得するものの、序盤戦の4月の段階で前年型よりマシンの戦闘力が後退しているコメント[20][21]が発せられ、それを表すかのように中盤戦に進むにつれてフェラーリに追いつくどころかレッドブルやフォース・インディアに追い越され、ポイントを獲得するのが精一杯という状況になっていった。最終的に3年連続でチームメイトのマッサをランキングでは上回ったが、ランキング8位と前年を下回る成績でシーズンを終えた。 メルセデス時代2017年![]() 当初は2017年もウィリアムズより参戦することが発表されていた[22]。しかし前年チャンピオンのニコ・ロズベルグが引退したことにより、後任としてメルセデスから参戦することが2017年1月17日に発表された[23]。 開幕戦オーストラリアGPでは移籍後の初レースで3位表彰台を獲得。第3戦バーレーンGPで自身初ポールポジション(PP)を獲得するも[24]、決勝はタイヤウォーマーのトラブルもありペースが上がらず3位に終わる[25]。つづく第4戦ロシアGPにて3番手スタートから好スタートを決めトップに立つと、フェラーリのセバスチャン・ベッテルを抑えて自身初優勝を飾った[26]。 第9戦オーストリアGPでは2度目のPPを獲得すると[27]、そのまま逃げ切って初のポールトゥーウィンを果たした[28]。サマーブレイク後の第12戦ベルギーGP以降はチームメイトのルイス・ハミルトンに対して見劣りするレースも目立つようになった[29]。しかし、チームのコンストラクターズタイトル確定後の第17戦から復調し、最終戦アブダビGPでは自身初のハットトリックでキャリア3勝目をあげてシーズンを終えた。ハミルトンとベッテルに次ぐドライバーズランキング3位となった[30]。 リタイヤしたのはスペインGPのみ[31]、移籍初年度ながらもPP4回と3勝を記録してコンストラクターズタイトルの獲得に貢献した[32]。 2018年前年と同じ体制で引き続き参戦。 開幕戦オーストラリアGPでは予選Q3でクラッシュした影響で、ギアボックス交換による降格ペナルティも受けて決勝も8位フィニッシュ。第2戦バーレーンGPではベッテルを仕留めきれず2位に終わり、第3戦中国GPでもアンダーカットを成功させてトップに立つが、セーフティカー導入の際にピットインしていたダニエル・リカルドにパスされて2位。第4戦アゼルバイジャンGPでは優勝目前でデブリによるパンクでノーポイントとなるなど、開幕フライアウェイではハミルトンを凌駕する走りをしながら優勝を逃すレースが目立った[33]。 ![]() 第8戦フランスGPではスタート直後にベッテルに当てられて表彰台を逃し、第9戦オーストリアGP予選では今シーズン初めてのポールポジションを得たものの、決勝ではリタイヤに終わり「運がなさすぎて悪い冗談のよう」[34]とまで言い放った。このリタイアによりタイトル争いから事実上脱落し、第11戦ドイツGPでチームオーダーに相当する指示[35]を受けたことをきっかけにハミルトンのサポート役という役割が明確化していくこととなった。 ハンガリーGP及びイタリアGPではハミルトン優勝のための援護射撃というチームプレーに留まっていたが、第16戦ロシアGPでは今季2度目のポールポジションを獲得し、レースでもメルセデスが優位性を築いたにもかかわらず、タイトル争いを優先するチームオーダー厳守を命じられて優勝を譲った。本人はそうなることを覚悟はしていたものの[36]複雑な心境を抱えていた[37]。ここまで幾度もチームオーダーを受けた影響もあり、ロシアGPでは終盤ファステストラップを叩き出す形での一種の抗議の意思を示し、フィニッシュ直後のパルクフェルメにおいて明らかに意気消沈した姿が映し出された。これがチームのダブルタイトルを確定させる一因となったものの、この件についてはハミルトンもチームを批判[38]するほどであった。 ドライバーズランキングも日本GPまでは3位の位置であったが、このことが影響したのか残りのレースでライコネン、マックス・フェルスタッペンに先着される展開が続いた。終盤戦の失速によって僅差だがランキング5位にまで後退してシーズンを終えた。また、トップ3(メルセデス、フェラーリ、レッドブル)の在籍ドライバーとしては唯一未勝利に終わった。 この結果について、同郷の先輩のミカ・サロは「彼にとってほとんどすべてが悪い方向へと向いてしまっていた」「アゼルバイジャンでのバーストが無ければ様相は全く違っていた」とコメント[39]。トト・ヴォルフも擁護するコメントを発している[40][41]。また、タイトル獲得のためという名目で事実上ボッタスに犠牲を強いたチーム方針について内容は違えど批判[42]もあった。一方でボッタス自身は最終戦後に「思いどおりにいかないシーズンが終わってほっとしている」[43]や「アゼルバイジャンGPはキャリアのなかで最悪の経験」[44]というコメントからも意気消沈していることが明らかであった。また、ロシアGP後の記者会見において「もう、すべては終わったことだ。来年、頑張るよ」[45]とコメントし表向きは割り切りつつも憔悴している様子を見せていたが、その内心は2021年4月の記事[46]によれば、ロシアGPの一件に関しては許容できるものではなく、シーズン終了と同時にチームを去ってそのままF1引退を数日間は真剣に考えていたことや当時の周辺の人々もボッタスの内心に気付いていなかったことが語られている。 ドイツGPの直前にチームと2019年の契約と2020年のオプション契約を結んだことが発表され、2019年シーズンも同ドライバーラインナップで参戦する[47]。 2019年![]() 同体制で引き続き参戦。この年からハミルトンやベッテルのように髭を生やして参加した。 開幕戦オーストラリアGPでは、PPは逃したもののスタートでトップを奪いチームメイトのハミルトンに大差をつけた上、今シーズンから導入されたファステストラップポイントも得て、2シーズンぶり自身4度目となる優勝を飾った。チェッカーフラッグを振られた直後の無線で放送禁止用語を言い放ち、勝利の雄叫びを上げる形で反論[48]。第3戦では今季初のPPを獲得(決勝は2位表彰台)。第4戦ではポールトゥーウィンでの今季2勝目を挙げるなど、ここまではハミルトンと拮抗していた。 しかし、第5戦以降は第10戦イギリスGPのPP獲得のように時折彼を凌駕する走りを見せたこともあったが、ハミルトンがマシンのパフォーマンスを引き出せるようになってくると差が広がり始める[49]。そして、第11戦ドイツGPでは天候に翻弄されレース終盤に縁石に乗り上げスピンし、今季初のリタイアとなった。エステバン・オコンとの交代が囁かれる中、サマーブレイク期間の8月29日、メルセデスは2020年のオプション契約権を行使し、同年までの契約延長を発表[50]。2020年シーズンもメルセデスから参戦する[51]。 しかし、第11戦のリタイアと第12戦の接触が原因の8位入賞により、自力でのタイトル獲得が絶望的となり、ここからは前年同様チームプレーが目立つこととなった。だが、失速した前年と異なり、第17戦で3番手スタートからの優勝、第19戦でポールトゥーウィンを挙げて今季4勝目を記録。その甲斐もあり一時は危ぶまれたドライバーズランキング2位の座を死守することに成功。この年はいずれもキャリアベストとなるドライバーズランキング2位、シーズン4勝、326ポイントという成績を残した。またペナルティポイントを一切受けずにシーズンを終えた。 2020年![]() 同体制で引き続き参戦。 新型コロナウイルスの世界的な流行で4ヶ月近く開幕が遅れた中、開幕戦オーストリアGPではPPを獲得すると、決勝ではハミルトンと接戦を演じつつも全周回でトップを守り2年連続の開幕戦優勝を果たしたが、マシンのギアボックスの問題を受けて一種のチームオーダーが出されたことで得た勝利[52]でもあった。第3戦[53]は3位、第4戦はレース終盤にタイヤがパンクしてノーポイント、第6戦は3位[54]という結果で終わった。また、第5戦ではPPを獲得するもレース戦略がかみ合わず[55]3位。第8戦イタリアGPと第9戦は2番手スタートとなるが、前者はスタートに失敗したことが響いて5位完走[56]。後者はスタートを決めて一旦は首位へ浮上するも最後までそれを維持できず2位[57]で終わるなど、チャンスを生かせない場面も目立っている。 第13戦では それでも、第10戦ロシアGPでは今季2勝目をあげるが[58]、この勝利もハミルトンにペナルティ[59]が下ったことで繰り上がった為であった。第11戦アイフェルGPではPPを獲得するが、決勝ではパワーユニットの故障によりシーズン初、チームにとっても唯一のマシントラブルによるリタイア[60][61]を喫した。この時点で自力でのタイトル獲得の可能性は消滅したが、第12戦は2位を獲得。第13戦ではPPを獲得しながらも、レース序盤に他車の接触事故で落下したパーツがマシン下に入り込んだことによるペースダウンが起きてしまい2位[62]。何とかここまではタイトル候補として踏みとどまっていた。しかし、第14戦でスタート直後の混戦で起きた接触によりマシンが損傷し[63]、この影響で14位完走となってしまいハミルトンのタイトルを確定させることとなった。第15戦はデブリ(破片)を拾ったことにより順位を落としての8位完走[64]。第16戦ではPPを獲得しながらも、タイヤ交換ミス[65]で8位完走。 第3戦でハミルトンがポイントリーダーとなってからは再度その座を奪取することはできなかった。最終的にはドライバーズランキング2位を死守したものの、3位のフェルスタッペンに対し9ポイント差まで迫られる結果となった[66]。ボッタス側に不運が集中した面もあったが、ハミルトン以外で数少ないタイトル候補にもかかわらず、精彩を欠いたことから厳しいコメントを載せた記事も少なからずあった[67][68][69][70]。 第5戦前の8月6日に、チームはボッタスとの契約を2021年末までの契約延長を発表した[71]。 2021年
![]() 同体制で引き続き参戦。メルセデス5年目となる。 開幕戦は3位表彰台とファステストラップを獲得。第3戦で今季初のPPを獲得した[72]。 第2戦エミリア・ロマーニャGPでは、中盤にラッセルがタンブレロコーナーで追い抜きにかかる際、ラッセルの駆動輪が水たまりに乗ってコントロールを失い両者は高速クラッシュ、派手にデブリを散乱させ赤旗中断となった。この直前にハミルトンがコースアウトから壁にぶつかりリタイヤかと思われたが、この赤旗再スタートでリタイヤから救われ2位フィニッシュにまで挽回している。 第11戦ハンガリーGPではスタート直後に車間距離を見誤りランド・ノリスに追突・さらにアウト側にいた選手権を争うレッドブル2台まで巻き込み多重クラッシュを引き起こしてしまう。これにより次戦ベルギーで5グリッドダウンペナルティを受けた。 第13戦オランダGPでは、決勝では残り5周でタイヤ交換された為FLポイント狙いのアタックを仕掛けるがチーム側が最終セクターで減速するよう指示が出され、同様に終盤タイヤ交換したハミルトンがFLポイントを得た。メルセデス代表トト・ウォルフはボッタスのアタックを「生意気だが、理解はできる」と評した。 第14戦イタリアGPでは規定数以上のパワーユニット4基目を投入し最下位スタート、3位表彰台まで巻き返した。 第15戦ロシアGPでは、前戦でPU交換しペナルティで最後尾スタートになったにもかかわらず、ここでもPU内3つのコンポ―ネント交換で15グリッドダウンスタートとなった。これはPU交換を含めたペナルティで最後尾スタートとなったフェルスタッペンの前を抑え込みハミルトンを先行させる為にチームが最後尾にならない位置でフェルスタッペンに近い後方グリッドに下げさせたとの見方が有力である。しかし決勝ではあっさりフェルスタッペンの追い抜きを許してしまい、自身は5位フィニッシュとした。 第16戦トルコGPは前年同様に雨天のもと1年ぶりの優勝。前年はスピンを繰り返し不調だったが今回は優勝し意地を見せた。 第17戦アメリカGPでは予選でICE交換となり5グリッドダウン、決勝は6位。 第21戦サウジアラビアGPではハミルトン優勝ボッタス3位とし、コンストラクターズポイントにてペレスがルクレールと接触リタイヤしたレッドブルに対し大差をつけ同タイトル獲得に貢献。最終的に自身はドライバーズランキング3位でシーズンを終えた。 アルファロメオ時代2022年2021年9月6日、2021年限りでメルセデスチームからの離脱と2022年シーズンからのアルファロメオとの複数年契約を発表した[73]。チームメイトはルーキーの周冠宇。開幕戦バーレーンGP、ボッタスは予選で6位につけ、決勝では上位勢などのリタイアにより6位となった。第2戦サウジアラビアGPではリタイアに終わるが次戦オーストラリアGPでは再び8位に入り今シーズン2回目の入賞を果たした。 ラリー2019年2019年1月24日-26日、フィンランドラリー選手権第一戦、アークティック・ラップランド・ラリーへMスポーツより参戦(ラップランド・ラリーは毎年ゲストドライバーを迎えて行われる[74])。2018年型フォード・フィエスタWRCを操り、ステージトップを含む総合5位を記録した[75]。 7月には、母国フィンランドを本拠地とするTOYOTA GAZOO Racing WRTが開発している、トヨタ・ヤリスWRCのテストドライブを行った。 12月にはポールリカールで行われたエキシビションラリーにシトロエン・DS3 WRCで参戦し、キャリア初のラリー優勝を収めた[76]。 エピソード
レース戦績略歴
フォーミュラ・ルノー2.0 NEC
ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0
フォーミュラ3・ユーロシリーズ
GP3シリーズ
フォーミュラ1
脚注
外部リンク
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