アレクサンダー・アルボン
アレクサンダー・"アレックス"・アルボン・アンスシン(Alexander "Alex" Albon Ansusinha, タイ語: อเล็กซานเดอร์ อัลบอน อังศุสิงห์ 1996年3月23日 - )は、イギリス・ロンドン出身のタイのレーシングドライバー。 マスメディアによっては「アレキサンダー・アルボン」「アレックス・アルボン」と表記する場合もある。 私生活アルボンはイングランドのロンドン生まれで、イギリス人の元レーシングドライバー、ナイジェル・アルボンとタイ人女性実業家、カンカモル・アルボンとの間に生まれた。 父のナイジェルは過去にBTCCやポルシェ・カレラカップへ参戦した経歴がある。宗教は主に上座部仏教を信仰している[1]。 経歴カート8歳を迎えた2005年より、カートを始めキャリアをスタートさせた。地元のレースへ参加しその腕を磨き、ホッデスドンのカート選手権では優勝を果たす。2006年には、「カートマスターズ・ブリティッシュ・グランプリ - カマー・カデット」でタイトルを獲得。「スーパー1・ナショナル・ホンダ・カデット・チャンピオンシップ(Super 1 National Honda Cadet Championship)」では2006年に優勝、翌年の2007年はランキング2位を記録した。2008年から2010年まではKF3(KF3)カテゴリーでレースに参戦した。この3年間には、「カートマスターズ・ブリティッシュ・グランプリ - KF3」「フォーミュラ・カート・スターズ・チャンピオンシップ(Formula Kart Stars Championship)」「KF・ウィンター・シリーズ」「スーパー1・ナショナル・KF3・チャンピオンシップ」「CIK-FIA ワールド・カップ」「CIK-FIA ヨーロピアン・チャンピオンシップ」など複数の大会で総合優勝を果たす。 2011年にはKF1(KF1)へステップアップし、「WSK・ユーロ・シリーズ」「CIK-FIA 世界カート選手権」で総合2位の成績を残した。 フォーミュラ・ルノー2.0EPIC・レーシング (2012年)2012年からはカートレースを離れ、シングルシーターデビューを果たすこととなった。EPIC・レーシングより「フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ・シリーズ」へ参戦する。ケヴィン・ジョヴェディ、コンスタンティン・テレシチェンコ、ケヴィン・ヨルク、デニス・ヴュストホーフ、クリストフ・フォン・グリュニゲン等とチームメイトとなった。シーズンを通じ、ポイントを獲得することができずランキングも38位と下位へ沈んだ[2]。 KTR (2013年-2015年)2013年は、KTR(KTR)から2年目の「ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0」がスタート。チームメイトは、金丸ユウとイグナツィオ・ダゴスト。シーズン成績は総合16位で、22ポイントを獲得した[3]。オーストリアで行われた第4戦レッドブル・リンク・レース1で初のポールポジションを獲得する。決勝レースではファステストラップも記録した。翌年もチームに残留し、グレゴア・ラムセイ、ジュール・グーノン、キャラン・オキーフがチームメイトとなった。表彰台圏内を含む入賞11回を記録、第4戦ニュルブルクリンク・レース1ではポールポジションを獲得している。総合3位(117ポイント)の好成績でシーズンを終えた[4]。 ヨーロピアン・フォーミュラ32015年は、「ヨーロッパ・フォーミュラ3」へスイッチする。シグナチュールから参戦し、ドリアン・ボッコラッチがチームメイトとなった。第6戦ノリスリンク・レース2とレース3にて、2度のポールポジションを獲得。5度の表彰台圏内フィニッシュなど、合計で187ポイントを稼ぎ出した。総合ランキングでも7位に入り好調なシーズンを送った[5]。 GP3シリーズ2015年12月、アルボンはARTグランプリより「GP3シリーズ」のポストシーズンに開催されたテスト走行へ参加する。その後、翌年のシーズンへ同チームからの参戦が決定する。チームメイトは、シャルル・ルクレール、福住仁嶺、ニック・デ・ブリーズ。シーズン4勝をマークして、年間タイトルを獲得したルクレールに次ぐ総合2位で終えた[6]。 FIA フォーミュラ2選手権2017年2月、ARTグランプリと再びタッグを組み「FIA フォーミュラ2・シリーズ」への参戦が発表される。チームメイトは、当時マクラーレンの開発ドライバーも兼務していた松下信治。 開幕戦のバーレーンでは、フィーチャーレースを9番グリッドからスタート、順位を上げて6位でフィニッシュした。スプリントレースは3番グリッドから7位でチェッカーを受けた。 スペインのカタロニア・サーキットで開催された第2戦、フィーチャーレースは5番グリッドからの5位フィニッシュ。スプリントレースは4番グリッドから8位で終えた。チームメイトの松下はこのレースで今シーズン初勝利を果たした。 続くモナコグランプリでは、予選をグループBからスタートした。その中で1分19秒321を記録しグループ首位、全体の2番手タイムとなりフィーチャーレースのフロントローを獲得した。レースでは2つ順位を下げ4位完走。スプリントレースは5番手スタートから1つ順位を落とし6位となった。 第4戦はアゼルバイジャンのバクーで開催された。アルボンは直前のトレーニング中に怪我を負って欠場した[7]。ルノーでリザーブドライバーを務めていたセルゲイ・シロトキンが代役で出場した[7]。 オーストリアのレッドブル・リンクで行われた第5戦から復帰した。フィーチャーレースで5位入賞、迎えたスプリントレースでは2位に入りF2で初めての表彰台獲得となった。 その後は入賞圏外で終えるレースもあったものの、シーズンを通じて表彰台2回(2位2回)の計86ポイントを獲得した。総合順位は10位であった[8]。 2018年シーズンはDAMSへ移籍。チームメイトはニコラス・ラティフィとなった。バクーのフィーチャーレースで初優勝を飾るなど[9]、その後もコンスタントにポイントを重ねて優勝4回、表彰台8回を記録。合計212ポイントを獲得して総合3位と躍進のシーズンとなった[10]。 フォーミュラE2018年9月20日、ニッサン・e.damsはアルボンとセバスチャン・ブエミを2018-19年シーズンのレギュラードライバーとして正式契約したと発表した[11]。しかしF1に参戦しているレッドブルがニッサンとの契約解除を求める交渉を進め、11月26日に契約解除を了承する形で話がまとまった[12]。 F12019年2018年11月26日、前述の契約解除と同時にトロ・ロッソから翌年のレギュラードライバーとして契約したことを発表[12]。1955年のプリンス・ビラ以来64年ぶりのタイ人F1ドライバーとなる[13]。カーナンバーは「23」を選択した[14]。チームメイトはこの年より古巣復帰のダニール・クビアト。 2019年第2戦バーレーンGPでF1キャリア初となる9位入賞[15]を果たした。第3戦ではFP3でのクラッシュによりピットレーンスタートを余儀なくされたが、1ストップ作戦を成功させて10位入賞し、ドライバー・オブ・ザ・デイに選出[16]。そして、第6戦でキャリア初のQ3進出を達成。前半戦の成績はチームメイトのクビアトと同程度の数字を記録していた[17]。 その折、前半戦でチームメイトのフェルスタッペンに歯が立たなかったピエール・ガスリー[17]とシート交換してベルギーGP以降をレッドブルで走ることが発表された[18]。 元々、ガスリーについてはサマーブレイク前の第12戦までに特筆する結果を出せなければ来季のシートが厳しい見方[19]があった。その為、ガスリー降格よりもアルボン昇格が周囲を驚かせた[20]。今までレッドブルに昇格したドライバーで出走回数が最少なのはクビアトの19戦、最長はダニエル・リカルドの50戦。シーズン途中で昇格したマックス・フェルスタッペンでさえも決定時点でも23戦であった。これらの前例もふまえて時期尚早という見方が大勢であった[20]。 レッドブルチームのコメントのように、今後のフェルスタッペンのチームメイトを見定める流れの一環[21]であった。一方でアルボンからすれば、今後のキャリアを大きく左右する[22]ため、後半戦で真価が問われると予想された。ところが、フェルスタッペンが接触によりリタイヤを喫したベルギーGPや日本GPなどで堅実にポイントを獲得。特に後者においては予選Q3でフェルスタッペンと同一タイムをたたき出す等の結果を残した。そのため、第19戦アメリカGP後に翌年もレッドブルから継続参戦する事が発表された。ブラジルGPでは大波乱のレースをフェルスタッペンと同じく終盤まで乗り切り、初表彰台が確実とされていた中で後続を走っていたルイス・ハミルトンに追突されてスピンを喫し、レッドブル昇格後初めてポイント圏外の14位でレースを終えた。しかし、このアクシデント以外はレッドブル移籍後の全戦で6位以内で完走を果たしてガスリーを上回る成績を記録。2019年ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した[23]。 2020年レッドブルから参戦でキャリア2年目。カタロニア・サーキットで開催されたプレシーズンテストでは、20番手のタイムだった[24]。 2019新型コロナウイルスの世界的流行の影響により、レースの中止や延期が相次いだが、変則的なシーズンで開幕することが決定。開幕戦となったオーストリアGPでは、チームメイトのマックス・フェルスタッペンがリタイアする中、セーフティーカーのタイミングも味方し、3番手へ浮上。3度目のセーフティーカー明けに2番手のルイス・ハミルトンに仕掛けるが、接触されコースアウトしてしまう[25]。その後、レースには復帰するものの、PUの電気系トラブルによりリタイア(記録上は13位完走扱い)でレースを終えた。 前年のガスリーと同様にマシンのナーバスなリヤの挙動をカバ―できない状況やフェルスタッペンのチームメイトであることの難しさも影響し[26][27]、苦戦する結果となった[28][29]。また、苦戦している姿から2021年のシートについて不安視する声も多かった[30][31]。 第9戦トスカーナGPでは、4番手グリッドを獲得。決勝では2回の赤旗中断や8台がリタイアするサバイバルレースを生き残り、3位でチェッカーを受けた。自身やタイ人として初、アジア人として4人目のF1表彰台に登った[32]。 第15戦バーレーンGPには、終盤に起きたペレスのマシントラブルにも助けられ、6戦ぶりに3位表彰台へ登った[33]。アジア人が1シーズン複数回の表彰台を獲得したのはアルボンが初。 最終戦の第17戦アブダビGPでは、予選5番手に終わったものの、決勝では3位のハミルトンに2秒以内まで迫る4位入賞でシーズンを終え、シリーズランキングは7位となった[34][35][36]。 シーズン終了後の12月18日、レッドブルはレーシング・ポイントを離脱したセルジオ・ペレスの起用、アルボンがテスト兼リサーブドライバーとなると発表した[37]。 2021年レッドブルのリザーブドライバー兼テストドライバーに就任。 テストドライバーとしてチームのサポートやシーズン中の2022年型18インチタイヤテストも担当し、F1との関係を保ち続けた[38][39]。一方でアルボンの後任になったペレスの活躍や、インディカーの視察やフォーミュラEへ参戦しているチームからアルボン起用を検討しているコメントしている記事[40][41]などから、2022年のF1のレギュラーシートは厳しいのではという論調であった[42]。 9月頃からアルボンがウィリアムズもしくはアルファロメオとの交渉を行っているという情報が流れ始め[43]、パワーユニットの機密管理の関係でウィリアムズでの起用は難しいという見方もあったが[44]、9月8日にウィリアムズが2022年シーズンのドライバーにアルボンの起用すると発表[45]。2022年からF1へ復帰することとなった。また、レッドブルとの関係を一旦清算したうえでウィリアムズ所属となることも明かされている[46]。 2022年自身初のナンバー1待遇を得てウィリアムズから2年ぶりにF1復帰するも、開幕前からマシン性能が厳しい事が見込まれていた。第2戦ではストロールと接触リタイヤし次戦の3グリッド降格処分を受ける。第3戦ではガス欠により予選タイムが抹消され、最後尾スタートが決定。ここでハードタイヤでスタートして最終ラップで規定のタイヤ交換を行う奇策に出て今期初入賞の10位を記録。第4戦ではブレーキ火災により2戦続けて予選タイム抹消となった。18番手スタートから11位完走。しかし、ここまでノーポイントだったアストンマーティンが2台入賞しチームは再び最下位に転落した。イタリアGPを虫垂炎の手術により欠場、手術後に「予期せぬ術後の麻酔合併症で呼吸不全に陥った」と発表され一時はICUで過ごすが翌日には人工呼吸器が取り外され、一日後に退院した。この年はQ3に1回進出、3戦で入賞したもののチームは最下位に終わった。 2023年去年と同じくウィリアムズから参戦。2023年はマシンの性能の向上により、開幕戦バーレーンGPでは10位入賞し1ポイントを獲得した。第9戦カナダGPでは安定した走りを見せ7位入賞し6ポイントを獲得した。その後も第11戦イギリスGPで8位入賞、第14戦オランダGPで8位入賞、第15戦イタリアGPで7位入賞、第18戦カタールGPスプリントで7位入賞。第19戦アメリカGPでは、ルイス・ハミルトンとシャルル・ルクレールの失格により9位入賞、第20戦メキシコGPで9位入賞と入賞を重ね、27ポイントを獲得しコンストラクターズランキングに大きく貢献している。 ドイツツーリングカー選手権2021年、レッドブル・レーシングのテスト&リザーブドライバーを務める傍らで、ドイツツーリングカー選手権(DTM)にAFコルセからスポット参戦することを発表、チームメイトはリアム・ローソン、ニック・キャシディ[47]。 エピソード
レース戦績略歴
フォーミュラ・ルノー2.0 アルプス・シリーズ
ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0
FIA フォーミュラ3・ヨーロピアン選手権
マカオグランプリ
GP3シリーズ
FIA フォーミュラ2選手権
フォーミュラ1
ドイツ・ツーリングカー選手権
脚注
外部リンク
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