ポー・グランプリ
ポー・グランプリ (Grand Prix de Pau) は、フランス南西部のピレネー=アトランティック県ポーの市街地コースで開催される自動車レース。フランスグランプリとして1930年にポー市街地で開催されたあと、1933年より毎年恒例のポー・グランプリとして開催されるようになった。第二次世界大戦中と、2020年-2021年の新型コロナウイルス感染症のパンデミック期間は開催されなかった。 概要市の中心部の一般公道を閉鎖し、市街地コースとして開催され、長年にわたりフォーミュラ1、フォーミュラ2、フォーミュラ3000、フォーミュラ3の様々なルールに準拠して開催されてきた。 2021年にイギリス・Autocar magazineにて「世界のストリートサーキット BEST10」の一つであると評された[1]。 コースこのレースは、街の公道を利用してレイアウトされた全長 2.769 km (1.721 マイル) の公道コース「ポー=ヴィル・サーキット」で行われ、多くの点でモナコグランプリに似た特徴を持っている。市の西約 20 km (12マイル) にあるシルキュイ・ポー=アルノサーキット(長さ3.030 km、1986年開業)とは全く別のレーストラックである。 ポー・グランプリでは、路面起伏の多い一般舗装路での走行による影響を最小限に抑えるために、車はレース専用のサーキットでのセッティングよりも大きなサスペンション作動量でセットアップされる。 歴史フランスグランプリ (1930年)フランスグランプリの舞台としてポー市街地コースが使用された。 グランプリ・ド・ポーの始まり1933年2月、まだ雪の残る中で第1回グランプリ・ド・ポーは開催された。ブガッティに乗るマルセル・ルフーが優勝者となった。1934年は開催されず、1935年にボーモント・パークを迂回するルートでイベントが再開された、以後同じコースレイアウトが踏襲されている。 ポーグランプリはほぼ毎年、定期的に開催されたが、第二次世界大戦で中断。戦争が終わったあと1947年に再開された。1949年にはファン・マヌエル・ファンジオがポールポジション、ファステストラップも達成する完全優勝でイベントを制した。 大会の不幸な歴史として1955年4月11日、マセラッティに乗るイタリア人レーサーのマリオ・アルボゲッティがレース中の事故により死亡した。彼はレース中にコース脇の干し草の俵に接触した後、ベダル操作を誤った。1956年に予定されていた大会は、前年のル・マン24時間レースで発生した悲劇的な事故の発生を受けて開催が見送られた。1957年にグランプリの再開のため、参加レーサーと観客の安全性・快適性を高めるコースの改良を行った[2]。 これまでF1グランプリに準ずる規定に基づいて運営されたあと、1958年から1960年はフォーミュラ2規定の車両で開催され、1961年からフォーミュラ1のエンジン規定変更を受けモナコグランプリと同様の注目をポーグランプリも浴びるようになった。1960年代はジャック・ブラバム、ジム・クラーク、モーリス・トランティニアンなど著名なドライバーがポーでの勝利を勝ち取った。 F2開催期 (1960-1980年代)1964年からポーグランプリはフォーミュラ2規定の車両で争われることとなったが、引き続いてジム・クラークが連続で勝利を奪った。1967年大会ではジャン=ピエール・ベルトワーズとアンリ・ペスカローロがポーでデビューし、ヨッヘン・リント、ジャッキー・スチュワートなど新たな世代のドライバーがポーで勝利を飾って名を挙げた。 1973年に公道サーキットの公認(ホモロゲーション)に関する問題によって大会の開催が危ぶまれたが、当時の市長であるアンドレ・ラバーレールの個人的な介入によって事態が収束し、中止が回避された。無事開催された同年のレースではフランソワ・セベールが勝利を挙げた。 ポーでの勝利はフランスの若いレーサーの登竜門となり、ジャック・ラフィット、パトリック・デパイユ、ルネ・アルヌーなどがポーでの勝利で評価を高めてフォーミュラ1へと進出していった。 F3000開催期 (1985-1998年)1985年より、これまでのフォーミュラ2に代わってF3000選手権がF1直下のカテゴリーとなり、ポーグランプリはヨーロッパF3000選手権カレンダーに組み込まれた。また、現役のF1パイロットでフランス出身のアラン・プロストが大会の共同主催者に就任した[3]。 1988年の国際F3000選手権に遠征し、ポーの公道コースを初めて走った鈴木亜久里はこれ以前に1985年のマカオグランプリに出走しており海外の市街地コースの経験を持っていたが、ポーでの初走行後に「すごいコースですね、とにかく狭いです。あと路面が全部強烈なかまぼこ状で、常識的なコーナリングラインは通れない感じです。アウト側に出たとたんにガードレールへ滑って行くんだけど、日本にはない街道レースで面白そうって感じもあります。そういう形の路面なんですぐに車体のお腹を擦ってしまってアンダーステアが出る。でもマカオよりも少しコーナーの先の方が見えるし、事前に大丈夫かなと思っていた高速コーナーも走ってみると結構行けた。夕べから体調が万全じゃなくなっていたので攻略がしんどかったです。」とコースの特徴を述べている[4]。なお、翌1989年にもフットワーク・フォーミュラ(ムーンクラフト)のオリジナルマシンMC041で片山右京が参戦したが、車体熟成度が低く[5]予選を通過することが出来なかった[6]。 1989年大会ではスタート直後に接触という展開が数度続き、計4回の再スタートが必要となる荒れた展開をジャン・アレジが制すると、彼は直後にティレルと契約しF1デビューを果たす。 1994年は4月から5月にかけてF1で死亡事故・重大事故が続いたが、ポーのF3000でもフランス人ドライバーのNicolas Leboissetierがヴィラージュ・ドゥ・ラ・ガールで大きな事故を起こし、会場がショックに包まれた。しかし彼は一命をとりとめて1か月後にレース復帰することが出来た。1993年からはサポートイベントとしてフランス・スーパーツーリング選手権が2000年まで併催された。 1998年末に、「国際F3000選手権のすべてのレースは、ヨーロッパで開催されるF1グランプリと併催される。」という新規定がFIAによって発効されたため、ポー・グランプリではF3000の開催ができなくなった。 2000年代以後同じ時期にFIAは新しいフォーミュラ3カップの創設に動いており、ポーグランプリはヨーロッパF3カップに組み込まれることになった。しかし以前よりフランスF3選手権やF3000のサポートレースとしてF3レースはポーで開催されており、加えて、メインレースとしてはレース距離も短いため(F2-F3000開催時は1時間30-40分に設定されていた)、古くからのポーの熱心な観客から不満の感想がもたらされた。 2001年からはフランススーパーツーリングカー選手権(FFSA)が2004年までサポートイベントとして併催され、FFSA GT選手権やイギリスGT選手権もポーグランプリのサポートレースとして2006年まで数名のゲストドライバーと共にポーを訪問した。 2007年からは世界ツーリングカー選手権(WTCC)がポーグランプリのメインレースとなり、2009年まで同規定で開催。2010年は自治体の財政問題により中止された。 2011年からはフォーミュラ3でのレースを復活させ、フォーミュラ・ルノー2.0や電気パワーユニットのマシンで争う「グランプリ・ド・ポー・エレクトリック」を併催イベントとして開催。この新たな電気パワーのカテゴリにはすでに多くのレースキャリアを持つオリビエ・パニス、フランク・ラゴルス、ソエイル・アヤリが参戦した。 2012年大会はイギリスF3選手権のラウンドとして開催されたが、このイベントにはポーでの開催にもかかわらず、フランス人ドライバーが1人もいないという事態が発生した。しかし併催されたポルシェ・カレラカップ・フランスにセバスチャン・ローブが参戦し、後続に10秒以上の大差をつける内容で制したことで、観客は満足度を得た大会となった。観客動員は22000-23000人集まり、2011年より10-15%増やすことが出来た。2013年のMitjet 2Lカテゴリーにはローブに加えてジャック・ヴィルヌーブの参戦が主催者より発表された。また、2013年のみメインフォーミュラがF3ではなく、フォーミュラ・ルノー2.0での開催となった。 2014年から2022年は、FIAヨーロッパF3選手権およびFIA F3選手権のカレンダーに組み込まれた。2019年のポーグランプリF3では、レッドブル・ジュニアチームの角田裕毅とリアム・ローソンが出走し、最終メインレースで角田はフロントロウからスタートしたが、スタート時に降り始めた雨のためタイヤ交換を必要とし、ローソンに先行される。しかしローソンは前を走るチームメイトのユリアン・ハンゼスの追い抜きに失敗し追突、リタイアした。優勝はスタート時ピットに入りレインタイヤへと交換する戦略が功を奏したビリー・モンガーが勝ち取り、モンガーにとって2017年に両足が義足となって以後、初の栄冠でありポーはメモリアルレースの舞台となった[7]。 2020年と2021年はCOVID-19のパンデミックにより大会は開催されなかった。 2023年からはフランスフォーミュラ4選手権が大会のメインフォーミュラレースとなり、TCRヨーロッパツーリングカーシリーズが併催レースとなっている。イベント期間中には1960年代からのヒストリック・フォーミュラカーが走行するグランプリ・ヒストリック・ポーも行われている。 各年の優勝者フォーミュラ1
フォーミュラ2 (1958-1984)
F3000 (1985-1998)
フォーミュラ3 (1999-2022)
フォーミュラ4 / フォーミュラ・ルノー2.0
ラップレコード非公式の歴代記録では1992年ポー・グランプリ予選中に、レイナード・92Dに乗ったアンドレア・モンテルミーニによって樹立された1:08.600である。公認の記録は以下の表にて。
脚注
関連事項 |
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