ジョニー・チェコット
アルベルト・"ジョニー"・チェコット・ペルセーヨ(Alberto "Johnny" Cecotto Persello, 1956年1月25日 - )は、ベネズエラ出身のオートバイレーサー、レーシングドライバーである。1975年ロードレース世界選手権(世界GP、WGP)350ccクラスチャンピオン。息子はGP2などに参戦しているジョニー・チェコットJr.。 経歴2輪での活躍1975年に世界GPにデビュー。ヤマハのマシンで250ccと350ccの両クラスにエントリーし、参戦初年度で350ccクラスの世界チャンピオンを獲得した(250ccクラスでは4位)。19歳での世界GP年間チャンピオン獲得は、当時の最年少記録だった。 1977年からは世界GPの最高峰クラスである500ccにヤマハ・YZR500で参戦。1978年10月には来日し、スポーツランドSUGOで開催された「TBCビッグロードレース」でケニー・ロバーツ、クリスチャン・サロン、高井幾次郎を破り総合優勝している[1]。 1980年イギリスGPまでに世界GPで優勝14回(250cc、350cc、500ccの総合)、ポールポジション22回、ファステストラップ7回と好成績を残しており、後年も二輪グランプリ界のレジェンドとされている。 4輪転向1980年に4輪に転向し、ミナルディから欧州フォーミュラ2選手権に参戦。1982年には全12戦中10戦入賞(その内3勝)し、コラード・ファビと並んだ。ただしファビが同年に5勝していたため、勝利数の差でチャンピオンを逃す。 フォーミュラ1![]() 1983年にセオドールと契約し、F1デビューを果たし、第2戦アメリカ西GPで6位入賞。それ以降は入賞する機会もなく、残り2戦欠場を余儀なくされる。 1984年にトールマンへと移籍。チームメイトはF1ルーキーのアイルトン・セナであった。序盤はベルギーグランプリの予選でセナを上回るなど健闘したが、シーズンが進むにつれ予選・決勝ともにセナの後塵を拝し、同じTG184に乗りながらラップタイム差は開いた。シーズン中盤のイギリスGP予選中にクラッシュし両足を骨折。以後のグランプリを欠場し治療に専念することになった。結果的に以後F1シートを得ることは無かった。 ツーリングカーF1での両足骨折から2年後の1986年、リハビリを重ねツーリングカーレースに転向し復帰。マカオグランプリ、スパ・フランコルシャン24時間レースで総合優勝、イタリア・ツーリングカーでは1989年に、ドイツスーパーツーリングでは1994年と1997年にチャンピオンを獲得する活躍を見せている。BMWワークス在籍時に、BMWM3に、チェコットの名を冠した限定モデルが販売されている。 1998年シーズンまでツーリングカー・レースの第一線で活躍した。 レース戦績ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権
F1
(key) ツーリングカードイツツーリングカー選手権イタリア・スーパーツーリング選手権
ドイツ・スーパーツーリング選手権
イギリスツーリングカー選手権
バサースト1000
FIA ツーリング・カー・ワールド・カップ
ル・マン24時間レース
関連項目脚注
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