メルセデス・ベンツ・W201メルセデス・ベンツ・W201( Mercedes-Benz W201 )は、ダイムラー・ベンツ(当時)がかつて製造・販売していた乗用車。190シリーズという車名で展開され、日本では「イチキューマル」の通称が広く通用する。 概要1982年にメルセデス・ベンツ初のDセグメント(1980年代当時[注釈 1])として発表され、後継のCクラスが登場する1993年まで12年に渡って生産された。W201が登場する以前のメルセデス・ベンツではEセグメントのW123がコンパクト・クラスと呼称されていたが、より小さなW201の登場に伴いW123はミディアム・クラスと改められた。車体の大きさは日本の5ナンバーサイズに収まるが、上位モデル同様に質実剛健な設計がなされており、安全性能も見劣りしない。また新設計の足回りに加え、コスワースヘッドのエンジンを積んだモデルの投入やドイツツーリングカー選手権(DTM)参戦のためのホモロゲーションモデルの市販により、従来のメルセデス・ベンツにはないスポーティーな印象も与えた。 名称についてW201には「190」というモデル名が付与されているが、これは本車の登場以前に最も小型の車種であったW123に「200」が存在したためである。また、燃料噴射装置付きのガソリン車には末尾にEが、ディーゼル車には末尾にDが付加され、それぞれ190E、190Dとされた。 当初は排気量2,000 ccのエンジンのみを搭載していたが、後に排気量が異なるエンジンが搭載されるようになると、それらは「190E 2.3」「190D 2.5」のように実排気量をリットル単位で末尾に併記する方式で区別された。ただし、排気量2,300 ccのエンジンには通常の8バルブ仕様と高性能な16バルブ仕様が混在していたため、後者には末尾に「-16」が付加されて「190E 2.3-16」と表記される。 なお、戦後のメルセデス・ベンツは原則として搭載するエンジンの実排気量の上3桁をもって車種名としてきたが、本車は最上級車であるW100(600)以来の固有の数字を名称とした車種となった。ただし、オーストラリアでは排気量1,800 ccの190E 1.8を一時期「180E」として販売していたため、この仕様に限り実排気量との相関関係が存在する。 外装デザインはブルーノ・サッコが手がけており、1979年に登場したW126の印象を引き継ぐ四角いヘッドライトや横長で凹凸が付けられたテールライトを持つ。しかしW201はW126以上に樹脂部品を多用しており、W123やW126に比べると当時の流行を反映してメッキパーツの割合は極めて減少した。これらは質実剛健な印象を与えることになり、また軽量化や良好な空力特性の獲得に寄与し、Cd値は0.33と当時の4ドアセダンとしては優秀である。1986年に追加された2.3-16Vではリアスポイラーを含む専用のエアロパーツが奢られた他、W126の様に車体側面の下半分にサッコ・プレートと通称される樹脂のプロテクターが装備され他の仕様と差別化され、Cd値は0.32に改善した。 このうち側面の樹脂プロテクターは1988年の小変更時に全車種に拡大され、世界中の多くのメーカーで模倣された。また1リアスポイラーもその他の仕様でもオプション設定されている。その他、ターボエンジンを搭載していた190D 2.5ターボのみ右前のフェンダー前部に吸気のためのスリットが空けられており他の仕様と見分けることができた。車体形状は4ドアセダンのみであり、同時期のW123の様な2ドアクーペやステーションワゴンは最後まで設定されなかった。 内装メルセデス最小の車種として登場したW201だが、中央に速度計を置き、右に回転計と時計を、左に燃料計・燃費計・水温計・油量計を配置した3連の計器の配置やギザギザが付けられたシフトゲートなど、その操作性や配置は上級車種と同様である。但し左右非対称のメーターナセルがなだらかに傾斜してセンタークラスタまで伸びたデザインは当時は勿論、近年までメルセデスでは他に類を見ないものであった。空調の操作系はW123で多く見られた3連ダイヤル式のマニュアルエアコンの他、海外ではW126で多く見られたボタン式のオートエアコン(クライメートコントロール)を選択することもでき、いずれも中央の送風孔の下に設置されていた。その下部にはカーステレオのヘッドユニットが配置された。また16バルブのエンジンを搭載したモデルでは更にその下に電圧計、デジタルストップウォッチ、油温計が3連で配置され、スポーティーな印象を強めていた。 メカニズムエンジンはフロントに縦置きされ、後輪を駆動するオーソドックスなもの。当初はガソリンエンジンもディーゼルエンジンも直列4気筒のみ(M102、OM601)であったが、その後M102にはコスワース製のヘッドを搭載した16バルブモデルが追加された他、ディーゼルでは直列5気筒エンジン(OM602)が、ガソリンでは直列6気筒エンジン(M103)が追加投入されている。変速機は4速ATか5速MTと組み合わされ、特に16バルブモデルのMTはゲトラグ製だった。 足回りはメルセデス初となる前:マクファーソン・ストラット、後:マルチリンク式サスペンションであり、これらはW124など多くの車種に引き継がれてた。マクファーソン・ストラットはスプリングとダンパーが別体でダブルウィッシュボーンの上側アームを省略した形式であった。16バルブのDOHCエンジンのモデルでは、後輪に油圧式のレベライザーが搭載され車高を一定に保つ機構となっていた。また動作中伸縮することで払拭面積を拡大するパノラミックワイパーが中央に一本装備されたが豪雨時にも払拭速度が遅く、また伸びる時に隣の車線や歩道まで水を飛ばす欠点があった。 日本での販売日本への正規輸入は1985年から開始され、当時のバブル景気の波に乗って非常に多くの販売台数を記録した。それゆえ街中で見られる機会も多かったことや、排気量によってはメルセデス・ベンツ初の小型自動車(5ナンバー)登録となることも相まって、「小(こ)ベンツ」「赤坂のサニー[注釈 2]」などと皮肉をもって呼ばれた。それでも当時の日本では、5ナンバー車と3ナンバー車には自動車税の課税額に大きな差があり、日本におけるメルセデス・ベンツの普及に貢献した車種でもあった。正規輸入されたのはガソリンのインジェクション仕様の触媒付きとディーゼル仕様であり、ドイツ本国などで設定されていたキャブレター仕様や触媒なしの仕様は導入されていない。 トランスミッションは4速ATが標準で、一部の190Eには5速MTも設定された。なお、日本に正規輸入されるメルセデス・ベンツのMT車はこの190Eを最後に一旦途絶え、2013年にSLK200ブルーエフィシェンシーで復活するまでの間、日本に正規輸入されるメルセデス・ベンツは全てAT車であった。 日本における年表
車種カタログモデル(正規輸入車のみ)
AMG(正規輸入車のみ)
エボリューションモデル![]() ![]() ツーリングカーレース出走のベースマシンとして、1989年に登場した190E 2.5-16 エボリューションIと、1990年途中から登場した190E 2.5-16 エボリューションIIの2モデルがあり、どちらもグループAのホモロゲーションを取得するため、それぞれ500台が生産された。コスワースによるエンジンは直列4気筒DOHC、内径φ97.3×行程82.8mmの2,463cc。エボリューションIは231PS/7,200rpm、23.5kgm/5,000rpm。エボリューションIIは235PS/7,200rpm、25.0kgm/5,000〜6,000rpm。DTMに出場した車両では最終的に375PS以上を発生した。日本にはエボリューションIが3台、エボリューションIIはより多い台数が、正規に国内へ輸入された。 その他トミーカイラM19日本の公認チューナーであるトミーカイラが1987年に最初に送り出したコンプリートモデルがW201をベースにしたM19であった。ノーマル1,997cc仕様の190Eの機関系に手を加え、153PSと19.2kgmのトルクを達成している。また外装にも手が加えられ、専用のエアロパーツとストライプが奢られている。販売されたのはほとんどがAT仕様であり、MT仕様は希少である。 190E5.0AMG当時のAMGは顧客の要望でどのような仕様にするか如何様にも選択できた事から上級モデルのW126などに使われていたM117エンジンをベースにしたハンマーエンジンを搭載した190Eを複数台製造しており、そのうちの1台をリンゴ・スターが所有していた。 脚注注釈出典参考文献
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