富山市(とやまし)は、富山県の中央部から南東部にかけて位置する市。富山県の県庁所在地及び人口が最多の市であり、中核市、保健所政令市、中枢中核都市に指定されている。また、中核市で最も面積の大きい市である[1]。
概要
富山県の県庁所在地で、同県の中央部から南東部に位置する。2005年4月1日、富山市、上新川郡大沢野町、大山町、婦負郡八尾町、婦中町、山田村、細入村の7市町村による新設合併によって現在の富山市が発足した。また現在の市域は大きすぎるため、合併前に存在した旧富山市は廃止となっている。合併前の富山市と現在の富山市とは、制度上異なる自治体となっている。
この合併により、全国の都道府県庁所在地の中では2番目に広い総面積を持つようになった[注釈 1](全国の市では11位)。また、富山県の29.24%の面積を占め、ひとつの市町村が県に占める面積の割合としては全国一である。市域は富山県域に対して南北にわたっており、日本海と南側の県境いずれにも接している[注釈 2]。
広い総面積に対し、可住地面積比率は38.2%で、市域の約6割が林野地となっている[2]。また、市街化区域面積比率は5.8%であり[2]、環境モデル都市の選定を受けてコンパクトシティを目指した都市計画を進めている。また、環境未来都市、国際会議観光都市、国連エネルギー効率改善都市、レジリエント・シティ、持続可能な開発目標(SDGs)におけるSDGs未来都市、自治体SDGsモデル事業に選定されている。市内の多くは立山黒部ジオパークに、南東部は中部山岳国立公園に指定されている。同市は2011年よりインドネシア・バリ島で小水力発電施設の設置事業を推進するなど、国際的な環境事業に力を入れており、2017年2月2日には日本の中核市としては初めて国際協力機構(JICA)と人材交流や技術協力などの協定を結んでいる。
同市は県のプライメイトシティとして機能している。北陸電力や北陸銀行などライフラインの本社や支店が置かれ、商業・工業面において富山県の中心のみならず北陸地方の中心都市としての機能も担っている。単独の人口比較では石川県金沢市に劣るが、都市雇用圏での比較では県内2位都市の高岡市も包括するため、人口・経済規模ともに金沢都市圏より富山都市圏の方が大きく、新潟都市圏とともに日本海側の都市では福岡都市圏、札幌都市圏、北九州都市圏に次ぐ規模である[3]。
合併により、「越中富山の薬売り」で知られる富山城の城下町として栄えた地域(「薬都」と呼ばれることも)、浄土真宗の古刹聞名寺の門前町として発展した地域、立山信仰の登山者たちの宿場町として人々が行きかった地域など、多様な地域が包含された。地形も変化に富み、水深約3,000 メートルの富山深海長谷から標高2,986 メートルの水晶岳までさまざまな動植物が生息し、ホタルイカやライチョウ(雷鳥)などが観光資源化されている。ホタルイカが水揚げされる富山市から魚津市にかけての富山湾沿岸は、特別天然記念物に指定されている。
方言は富山弁が使用されている地域である。
隣県の新潟県の県庁所在地、新潟市とは252.5 キロメートル離れている。これは、陸続きの隣県同士の県庁所在地間の距離では日本最長である(海上隣接を含めると、鹿児島市と那覇市の764.9 キロが最長)。
地理
地形
富山県の中部から南東部に位置しており、県の総面積の約3分の1を占める。市の北部から中部には神通川・常願寺川などの川によって形成された沖積平野の富山平野が広がる。中西部にはなだらかな呉羽丘陵が横たわり、南部には飛騨高地が、南東部には雄大な北アルプス立山連峰がそびえる。森林セラピー基地に認定されている。富山平野の北側には、豊富な魚介類の宝庫である富山湾が広がっている。
立山カルデラ内にある新湯という池では、上質な玉滴石(オパールの一種)を産出する。
由来
「トヤマ」の地名は、室町幕府直臣の吉見詮頼が、応永5年5月3日に「越中国外山郷地頭職」を観勝寺に寄せた寄進状[注釈 3] が初見である。外山郷は、越中守護所放生津(現・射水市)があった射水郡の東端である御服山(呉羽山)の東麓(射水郡からみて外側)に位置する。この地形から、「外山」の字が当てられたとする説がある。「富山」字は戦国時代に初見されるが、江戸時代は「富山」「外山」の両方が使用されている。また、慶長年間以前に成立したことが確実な文献史料のタイトルに『富山之記』がある。このほか、以下のような説がある。
- 立山連峰を仰ぐことができ、山に富んでいることから富山(とやま)と呼ばれたため。
- もともとは藤居山(ふじいやま)という地名だったが、富山寺(ふせんじ)[注釈 4] という寺院があったのでに次第に富山(とやま)と呼ばれていったため。
- 富山城が築城された際に、外山から縁起よくするために富山に改名されたため。ただし富山城は江戸初期まで「安住城」「安城」と呼ばれていたという説もある。
- 深山に対して外山(とやま)と呼ばれたため。
市街地
昭和の第二次世界大戦後に市街化区域内は土地区画整理され、東西と南北に碁盤目状に延びる道路と、富山駅を起点とした5本の放射状道路により構成された計画都市となっている。富山駅を中心に周辺には県庁、富山国際会議場、県民会館などシビックセンターが発達している。富山駅南口からはメインストリートが伸びており、路面電車でアクセスできる繁華街が発達している。かつては駅裏とも呼ばれていた富山駅北側は昭和末期に策定された「とやま都市MIRAI計画[4]」による再開発が行われ、現在ではLRTが整備され、シアター富山市芸術文化ホール(通称:オーバード・ホール)、シティーオアシスである富岩運河環水公園(カナルパーク)や富山県美術館などの施設が立地する他、企業の本社などオフィス街が発達している。同じく路面電車でアクセスできる市北部海沿いの岩瀬浜エリアには歴史情緒あふれる街並みが広がっており、かつて北前船が就航していた頃の面影が残っている。また、神通川を渡った市内西部には五福エリアに富山大学を中心に学生街が、婦中町エリアにショッピングセンター「フューチャーシティ・ファボーレ」をメインとしたロードサイドショップが点在する商業圏が発達している。また、岐阜県の飛騨・高山方面へと続く国道41号線沿いにもロードサイドショップが点在する。一方、古い町並みの残る八尾地域は「越中おわら風の盆」で全国的に知られ、多数の観光客が訪れる。
気候
日本海側気候で、旧富山市域は豪雪地帯、市域南部の大山・八尾・山田・細入地域は特別豪雪地帯に属している。しかし、北陸地方のほかの地域と同様、緯度のわりには太平洋側と比べると気温は温暖で、年間降水日数が多く特に冬期は多量の降水を見る。富山平野は富山湾に面しているが、能登半島で日本海からの海風が遮られ、南側に飛騨高地などの山脈が連なり南〜南西の風が卓越しやすいなど内陸性ともいえる気候の側面を持つ。以上の地形的な特徴により、冬の季節風が比較的弱いものの、夏はフェーン現象の影響を特に受けやすく高温となる。
冬は雪や雨の日が多めである。年平均降雪量は253 センチで、年平均最深積雪は51 センチとである。これには前述の地形的な特徴も原因となっており、能登方面から吹く弱い北西風と、金沢市方面から吹き込み南側の山地を回りこんでから吹き降りる南風が富山平野で収束しやすいことによるものである。冬季の過去最深積雪は1940年1月30日に観測された208 センチ。近年は暖冬化により積雪が減少傾向であるが、2021年1月8日に35年ぶりに100センチを超え、1月10日には128 センチに達した[5]。真冬日は年平均0.5日と少なく、最寒月の最低気温の平年値も約0 ℃と、関東地方の郊外都市部より高い。いわゆる湿り雪で、積雪後は北海道・東北地方のような恒常的な凍結状態にはならない。北海道・東北地方の豪雪地帯と比べると比較的降雪日数、積雪量共に少ないが、JPCZの影響で猛烈な寒気が流れ込むと、短期的に大雪となることもある。
夏は日本海を台風や低気圧が通過した際に著しいフェーン現象が発生し最高気温が37 ℃以上になることがあり、2000年7月31日には最低気温が30.1 ℃と、いわゆる超熱帯夜を記録している。年平均熱帯夜日数は9.3日。ただし市内を台風が通過することはあまりない為、台風自体の影響は少ない。
富山地方気象台(富山市石坂、標高9m)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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20.9 (69.6)
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22.5 (72.5)
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25.7 (78.3)
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32.4 (90.3)
|
33.3 (91.9)
|
37.2 (99)
|
38.8 (101.8)
|
39.5 (103.1)
|
38.3 (100.9)
|
33.3 (91.9)
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29.2 (84.6)
|
24.8 (76.6)
|
39.5 (103.1)
|
平均最高気温 °C (°F)
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6.3 (43.3)
|
7.4 (45.3)
|
11.8 (53.2)
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17.6 (63.7)
|
22.7 (72.9)
|
25.7 (78.3)
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29.8 (85.6)
|
31.4 (88.5)
|
27.0 (80.6)
|
21.6 (70.9)
|
15.7 (60.3)
|
9.5 (49.1)
|
18.9 (66)
|
日平均気温 °C (°F)
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3.0 (37.4)
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3.4 (38.1)
|
6.9 (44.4)
|
12.3 (54.1)
|
17.5 (63.5)
|
21.4 (70.5)
|
25.5 (77.9)
|
26.9 (80.4)
|
22.8 (73)
|
17.0 (62.6)
|
11.2 (52.2)
|
5.7 (42.3)
|
14.5 (58.1)
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平均最低気温 °C (°F)
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0.2 (32.4)
|
0.1 (32.2)
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2.6 (36.7)
|
7.4 (45.3)
|
12.9 (55.2)
|
17.7 (63.9)
|
22.1 (71.8)
|
23.2 (73.8)
|
19.1 (66.4)
|
13.1 (55.6)
|
7.3 (45.1)
|
2.5 (36.5)
|
10.7 (51.3)
|
最低気温記録 °C (°F)
|
−11.9 (10.6)
|
−11.1 (12)
|
−7.0 (19.4)
|
−2.2 (28)
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2.3 (36.1)
|
7.7 (45.9)
|
13.0 (55.4)
|
14.1 (57.4)
|
8.9 (48)
|
1.9 (35.4)
|
−2.0 (28.4)
|
−8.5 (16.7)
|
−11.9 (10.6)
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降水量 mm (inch)
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259.0 (10.197)
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171.7 (6.76)
|
164.6 (6.48)
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134.5 (5.295)
|
122.8 (4.835)
|
172.6 (6.795)
|
245.6 (9.669)
|
207.0 (8.15)
|
218.1 (8.587)
|
171.9 (6.768)
|
224.8 (8.85)
|
281.6 (11.087)
|
2,374.2 (93.472)
|
降雪量 cm (inch)
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104 (40.9)
|
84 (33.1)
|
17 (6.7)
|
1 (0.4)
|
0 (0)
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0 (0)
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0 (0)
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0 (0)
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0 (0)
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0 (0)
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0 (0)
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49 (19.3)
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253 (99.6)
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平均降水日数 (≥0.5 mm)
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23.7
|
19.9
|
18.2
|
13.5
|
12.0
|
12.1
|
15.3
|
11.6
|
13.7
|
14.2
|
17.9
|
23.0
|
194.9
|
平均降雪日数
|
23.4
|
19.4
|
12.1
|
1.8
|
0.0
|
0.0
|
0.0
|
0.0
|
0.0
|
0.0
|
0.6
|
13.1
|
71.8
|
% 湿度
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82
|
78
|
72
|
68
|
70
|
78
|
79
|
77
|
78
|
77
|
77
|
81
|
76
|
平均月間日照時間
|
68.1
|
89.7
|
135.9
|
173.6
|
199.9
|
154.0
|
153.3
|
201.4
|
144.2
|
143.1
|
105.1
|
70.7
|
1,647.2
|
出典:気象庁(平均値:1991年 - 2020年、極値:1939年 - 現在)[6][7]
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八尾(1991年 - 2020年)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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17.8 (64)
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20.6 (69.1)
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24.8 (76.6)
|
30.8 (87.4)
|
32.5 (90.5)
|
35.2 (95.4)
|
37.3 (99.1)
|
39.0 (102.2)
|
37.5 (99.5)
|
32.6 (90.7)
|
27.4 (81.3)
|
23.1 (73.6)
|
39.0 (102.2)
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平均最高気温 °C (°F)
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5.7 (42.3)
|
6.6 (43.9)
|
11.1 (52)
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17.5 (63.5)
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22.9 (73.2)
|
25.8 (78.4)
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29.7 (85.5)
|
31.3 (88.3)
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26.7 (80.1)
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21.1 (70)
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15.2 (59.4)
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8.9 (48)
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18.6 (65.5)
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日平均気温 °C (°F)
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2.0 (35.6)
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2.3 (36.1)
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5.8 (42.4)
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11.7 (53.1)
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17.1 (62.8)
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20.9 (69.6)
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24.8 (76.6)
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26.0 (78.8)
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21.8 (71.2)
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15.9 (60.6)
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10.2 (50.4)
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4.8 (40.6)
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13.6 (56.5)
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平均最低気温 °C (°F)
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−0.9 (30.4)
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−1.2 (29.8)
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1.3 (34.3)
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6.1 (43)
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11.6 (52.9)
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16.6 (61.9)
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21.1 (70)
|
21.9 (71.4)
|
17.9 (64.2)
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11.8 (53.2)
|
6.0 (42.8)
|
1.5 (34.7)
|
9.5 (49.1)
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最低気温記録 °C (°F)
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−9.5 (14.9)
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−10.9 (12.4)
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−9.0 (15.8)
|
−3.1 (26.4)
|
2.5 (36.5)
|
6.0 (42.8)
|
13.4 (56.1)
|
14.6 (58.3)
|
8.0 (46.4)
|
0.6 (33.1)
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−2.8 (27)
|
−8.5 (16.7)
|
−10.9 (12.4)
|
降水量 mm (inch)
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299.6 (11.795)
|
200.8 (7.906)
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182.1 (7.169)
|
132.2 (5.205)
|
115.9 (4.563)
|
180.6 (7.11)
|
255.3 (10.051)
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220.9 (8.697)
|
251.0 (9.882)
|
183.2 (7.213)
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237.9 (9.366)
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317.8 (12.512)
|
2,577.3 (101.469)
|
平均降水日数 (≥1.0 mm)
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23.0
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18.6
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17.7
|
13.5
|
11.4
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11.8
|
15.0
|
11.9
|
13.5
|
13.7
|
16.7
|
22.2
|
189.0
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平均月間日照時間
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61.4
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86.8
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130.1
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171.3
|
196.3
|
139.4
|
135.2
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178.0
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125.1
|
128.1
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101.3
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68.3
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1,528.5
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出典1:Japan Meteorological Agency
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出典2:気象庁[8]
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猪谷(旧細入村、標高:215m)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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降水量 mm (inch)
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224.6 (8.843)
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141.8 (5.583)
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173.4 (6.827)
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143.9 (5.665)
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135.9 (5.35)
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157.7 (6.209)
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263.2 (10.362)
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210.1 (8.272)
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225.9 (8.894)
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202.3 (7.965)
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213.3 (8.398)
|
251.6 (9.906)
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2,331.1 (91.776)
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降雪量 cm (inch)
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262 (103.1)
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213 (83.9)
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83 (32.7)
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3 (1.2)
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0 (0)
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0 (0)
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0 (0)
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0 (0)
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0 (0)
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0 (0)
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1 (0.4)
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127 (50)
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695 (273.6)
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出典:気象庁 (降水量平均値:1996年-2020年、降雪量平均値:1991年-2020年)[9]
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隣接している自治体
富山県
岐阜県
長野県
歴史
古墳時代
富山市街地に相当する神通川下流域は、複合扇状地の恩恵により、大化の改新よりも前から、北陸道における農作地として存在していた。
神通川西岸には、古代氏族である射水臣氏が有力氏族としており、この射水臣氏は、伊彌頭国造である大河音足尼の後裔であり、利波臣などの有力氏族を分出した。呉羽山にある古墳群は、この射水臣氏の血統の祖であると考える説がある。天平期においては、現在の富山市東部(上飯野から天正寺を経て西福沢の丸山に向かう一帯を基線とする)は東大寺の階墾田「大藪庄」と呼ばれていた。また、さらに東部において、現在の滑川市を中心とした地域は「堀江荘」と呼ばれた。
平安時代
平安期に入ると、新たに伊勢神宮領弘田御厨(富山市広田地区)、長講堂領新保御厨(富山市新保)、新熊野社領立山外宮(富山市太田もしくは吉岡)などの荘園が立荘された。
また北陸道における駅として、磐瀬(富山市岩瀬)、水橋(富山市水橋)が配置されていた。そのうち水橋は、「枕草子」において「わたりは、しかすがのわたり、こりずまのわたり、水橋のわたり」として記されている。
律令制度において、貴族社会を根底から支える貴族私有地制度「荘園」は拡大し、白河・鳥羽・後白河の三代院政期において、さらに増加した。当時、実質院分国であった越中国において、藤原顕隆の勧修寺一族の遠戚である宮道氏が留守役として下向していた。
白河法皇が死去すると、在地において知行国として荘園を管理する体制が現れた。堀江荘は藤原顕隆一門(勧修寺家)が、般若野荘・宮川荘を藤原公能一門(徳大寺家)が、高野荘を藤原実行一門(三条家)が支配した。勧修寺家の留守役である宮道氏は堀江荘や太田保(富山市太田)を私領支配し、その分家筋である太田氏や蜷川氏の祖となった。その他の荘園も、同様に在地の私領支配へと移っていった。
鎌倉時代
源頼朝の知行である鎌倉時代になると、南部に広がる太田保が北陸道大将軍に任ぜられた幕府の御家人、北条朝時(名越氏)所領となった。これは、平氏の知行もなかなか受け入れず、木曾義仲に与し、源義経の逃亡路となったという、幕府にとって都合の悪い越中国の国人達を牽制したものである。その一方で堀江荘における宮道氏は荘園を安堵され、太田氏も太田保を除く開発領を安堵されており、在地の者に対する御家人への道を残している。
このころ、名越朝時の被官として後の新川郡守護代家である千葉一族椎名氏が入部し、在地に土着した。
南北朝時代
越中国守護北条朝時(名越)は、執権北条氏における有力庶流の血統であったため、北条氏嫡流の弾圧を受け続けた。そして名越時有の代になると、六波羅探題が壊滅、在地武士の離反にあって最後は一族79人が放生津城にて割腹し、最期を遂げた。時近くして、鎌倉において北条高時が自害、鎌倉幕府は滅亡した。
南北朝時代に入り、観応の擾乱で活躍した越中守護桃井直常は、太田保布市の興国寺周辺を拠点として反幕府運動を展開した。直常は一時幕府に帰順したこともあるが、斯波氏との対立により再び越中に下向して反抗した。桃井氏は長沢(富山市長沢)などで抗戦を繰り返したが、1371年(応安4年)に砺波郡五位荘の合戦後、直常は消息不明となり、斯波氏による越中掌握が進んだ。一方、神通川と常願寺川に挟まれた地域に広く拡大した太田保は、室町幕府管領細川家領となり、太田保北部に柳町(富山市柳町)などの町が誕生する。斯波氏と細川氏は幕府内で対立関係にあり、斯波氏が越中守護として桃井氏を没落させた後も細川氏は太田保を所領し続けたため、桃井氏の残党や国人は太田保に逃げ込み、細川氏の庇護を受けた。このころ、太田保領内に富山郷が現れる。
1377年(永和3年)、越中国人の謀反が起き、守護斯波氏と合戦になった。その破れた越中国人を管領細川頼之は太田保で保護し、そこに斯波氏が攻め込むと言う事態に至った。激怒した細川頼之は代官篠本氏を派遣し斯波氏と対峙させ、事態は一触即発の状況となった。この状況が続き、やがて京における細川追い落としの動きが強まり、細川頼之は管領を罷免され、斯波義将が管領となった(康暦の政変)。ところが細川氏は太田保を手放さずにいたため、ついに越中国守護は斯波氏から畠山基国に譲られる。以降160年にわたり、越中国の守護は最後の畠山稙長に至るまで畠山氏の世襲となる。
室町時代
当時の越中は、新川郡を椎名氏が、射水郡・婦負郡を神保氏が、砺波郡を遊佐氏が「守護役」から発展した分郡守護代として被官していた。守護代の下には「又守護代」や「郡使」などと呼ばれた国人たちがいた。
越中守護畠山持国の跡目争いから生じた応仁の乱の際には、これら分郡守護代達は畠山政長の臣下として従軍した。なかでも神保長誠は政長自決ののち、政長の立てた将軍足利義材を越中放生津に迎え、将軍公権を二分する幕府政権(越中公方)を構えるに至った。この際も、越中新川郡の椎名氏などを含む諸国の畠山守護代たちは足利義材の受け入れに協力し、義材が越中を離れるまで分郡守護代達の足並みは揃っていた。しかし、要であった政長を失った畠山氏は各地の国人たちを束ねることができず、求心力を失った。越中においても各分郡守護代が力を増し、細川氏の庇護を受けた本願寺による一向一揆も力をつけるなど、歴史の幕は次なる権力闘争へと移っていった。
安土桃山時代
戦国時代以降、婦負郡・射水郡分郡守護代であった神保長職によって太田保北端を流れる神通川の自然堤防上に富山城が築城され、城下町としての富山町が発展した。このころの越中国は越後上杉氏や織田氏の侵攻を受けていた。一時、越後上杉氏の侵攻を受けた後、織田信長により越中平定を命ぜられた佐々成政が入城し、一向一揆や越後上杉氏との戦いの拠点となった。
当時、佐々成政によってなされた治水事業は河川の氾濫を制えて、以降の下流域全体の発展に至った。
豊臣時代には、越中国は前田氏の領地の一部となり、前田氏の管轄地となった。
江戸時代
江戸時代に入ると南部に土方氏の布市藩が成立した。その後、布市藩は能登に移封され、加賀藩初代藩主前田利長が富山城を隠居地とした。1609年(慶長14年)に富山城が焼失したため、利長は高岡へ移った(慶長富山火災)。なお、この火災で城下町のほとんどが焼失したとする説があるが、これは元禄年間に記された『 三壺聞書』に由来する説であり、当時の史料によれば城は全焼したものの城下町は比較的軽微な被害であったとみられている[10]。
その後、利長の養嗣子となった二代藩主前田利常が隠居する際、その子前田利次に越中54万石のうち婦負郡一円の地と富山を含む新川郡の一部10万石を分封し、富山藩が成立した。
この分封により、富山城下は富山町として現在の富山市中心市街区が整備され発展した。また、富山藩二代藩主前田正甫(利次の子)が製薬を推進したため、薬の製造と販売を一括して行ったうえにそれを顧客の自宅に配置するという特殊な業態を創造し、それを中心とした産業が発展した。
中世以来三津七湊のひとつとして栄えた岩瀬地区では、北前船などの日本海航路の拠点として発展した。
明治時代
- 1871年(明治4年)8月29日(旧暦7月14日)の廃藩置県により、富山藩領は富山県(旧県)となり、加賀藩領は金沢県(第一次)となった。同年12月31日(旧暦11月20日)に富山県は金沢県礪波郡・新川郡の編入と同時に新川県へ改名した。1873年(明治6年)9月6日には新川県庁が魚津から富山城址に移転した。1876年(明治9年)4月18日に新川県は石川県に編入されたが、分県運動の末、1883年(明治16年)5月9日には石川県から旧・新川県(越中国)全域が富山県として分離され、現行の富山県が発足。以来、富山は富山県の県庁所在地となっている。
- 1889年(明治22年)4月1日の市制施行ののち、臨海部を中心として機械工業や化学工業による工業化が進んでいた。1899年(明治32年)に官営鉄道北陸線(現・あいの風とやま鉄道線)が開通し、江戸時代から続く日本海航路の拠点である岩瀬港や、甲信越地方・東海地方とを結ぶ交通の要衝として発展していた。
- 岩瀬港周辺では廻船問屋が栄華を極め、特に大きな廻船問屋は馬場家、米田家、森家、畠山家、宮城家の5つの問屋であった。中でも馬場家はその八代目の妻である馬場はるが旧制富山高等学校の設立に尽力し、現在の金額で総額160億円もの寄付を行い、富山市女性初の名誉市民となっている[11] 。
- また、売薬業においても江戸時代から着々と積み重ね、大きく成長した薬問屋が隆盛していた。中でも荻原氏、中田氏、金岡氏、密田氏、松井氏などが特に大きな富山市在地の問屋として知られていた。彼らの中から、北陸銀行初代頭取である中田清兵衛や、北陸電力の前身となる富山電灯の創業者である金岡又左衞門が生まれている。
戦前
- 1928年(昭和3年)に、県施工の「富山都市計画事業」(運河・街路・土地区画整理事業の3本柱)が採用された。富山駅の北側と神通川河口の東岩瀬港とを直結する富岩運河により工業地帯を形成、116万立方メートルの運河開削土砂を得て、約117ヘクタールの旧河道(神通廃川地)を埋め立て、新市街地を造ろうという一挙両得の計画であった。
- 1936年(昭和11年)には神通廃川地の埋立地で、日満産業大博覧会が開かれ、この時期に、富山県庁舎や富山電気ビルデイングなどの近代建築が建ち並び、富山市の都心部となるに至った[12]。現在、屋形舟や桜並木で市民の愛着を得ている松川や、宮本輝の小説『蛍川』や同名映画で有名ないたち川は、神通川の旧河道の痕跡である。
- この開削埋め立て計画は 或る都市計画エンジニアの人生について にあるとおり、富山県の都市計画富山地方委員会技師、赤司貫一によるもので、白井芳樹(元富山県土木部長)が著した『都市 富山の礎を築く 〜河川・橋梁・都市計画にかけた土木技術者の足跡〜』(2009年技報堂出版)や『昭和初期の富山都市圏における土木事業と三人の土木技師』(都市計画 55(4), 94, 2006年8月25日号)などに詳しく記されている。なお、都市計画地方委員会は道府県ごとに設置され、赤司貫一は内務省から送りこまれた都市計画担当の技師である。赤司は10年間富山に勤め、立案から事業の概成まで、一貫してたずさわった。
- 1940年代に戦時色が強くなると富山城址が国威発揚の場の中心となり、1940年(昭和15年)8月10日には5000人を集めた討英市民大会、1941年(昭和16年)7月7日には1万人以上を集めた国威宣揚富山市民大会、1942年(昭和17年)2月18日には非常に多数の市民を集めたシンガポール陥落戦勝祝賀式など、第二次世界大戦の序盤までは多数のイベントが開催された[13]。しかし一方で大戦末期、1945年(昭和20年)8月2日の富山大空襲では富山城址(東南角)がアメリカ軍の爆撃目標となり、死者2,275人、市街地の99.5%が焼失する壊滅的な被害を受け、城下町としての入り組んだ町並みや面影は破壊された。
戦後
- 1950年(昭和25年)、戦後の焼け野原になった富山市において都市計画が策定された。富山駅を中心とした放射状道路と碁盤目の直交した道路によって構成された近代都市計画が推し進められた。戦前から存在した港湾設備や重化学工業や機械工業の復興が行われ、高岡市、新湊市(現・射水市)などの臨海部を占める地区と一体となった工業地帯を形成した。さらに工業の発展とともに需要の高まりを見せた電力供給のため、河口域には大規模な火力発電所が整備された。そうして富山市は高度経済成長期を駈け抜けた。
- 1952年(昭和27年)に「富山市民の歌」を制定(新設合併のため2005年に失効)。1954年(昭和29年)には空襲からの復興記念事業として、富山産業大博覧会が開催された。
- 戦前から患者がいたが、1955年(昭和30年)ごろから1970年代にかけて健康に影響する奇病のイタイイタイ病の公害問題が深刻になり民事訴訟などで問題化した。これは四大公害病のひとつで、岐阜県の三井金属鉱業神岡事業所(神岡鉱山)による鉱山の製錬に伴う未処理廃水が神通川に流入、下流域である熊野、神明(旧富山市)、婦中(旧婦中町)で発症する人が現れた。
- 1963年(昭和38年)8月、公共用飛行場として富山空港が開港する。東京便(フレンドシップ機)が就航した。
- 1964年(昭和39年)9月14日 - 富山化学工場から塩素ガスが流出する事故が発生。周辺住民531人が中毒症状になった[14]。
- 1972年(昭和47年)、週末ごとに繁華街を中心に若者が集結し始め、通りをマイカーで暴走するようになった。事態を重く見た富山県警察は中部管区警察局の支援を得て、同年6月24日に機動隊など1200人を投入。市内の主要道路を夜間通行止めとし、映画館などの深夜営業を中止とさせた上で、集まった約1000人の群衆を解散させた[15]。
- 1979年(昭和54年)11月21日、富山市内の人口が30万人を超えた[16]。
人口
2020年(令和2年)国勢調査による富山市の人口重心は小泉町交差点付近にある。
|
富山市と全国の年齢別人口分布(2005年)
|
富山市の年齢・男女別人口分布(2005年)
|
■紫色 ― 富山市 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
|
富山市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
|
350,085人
|
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1975年(昭和50年)
|
372,835人
|
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1980年(昭和55年)
|
391,554人
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1985年(昭和60年)
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401,070人
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1990年(平成2年)
|
408,942人
|
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1995年(平成7年)
|
417,595人
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2000年(平成12年)
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420,804人
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2005年(平成17年)
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421,239人
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2010年(平成22年)
|
421,953人
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2015年(平成27年)
|
418,686人
|
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2020年(令和2年)
|
413,938人
|
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総務省統計局 国勢調査より
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行政
政策
- 公共交通でコンパクトシティへ
- 郊外型、拡散型のまちづくりが進んだ結果、富山市は車での移動には便利であるが、車がないと大変不便な街になった。このように、人口・都市機能が市域全般に広がった状態では、道路の整備やごみの収集などの公共サービスのコストが増加する傾向がある。さらに、人口が減少し、三位一体の改革で国からの交付金や補助金が減少すると、社会の維持が難しくなる。
- そこで、富山駅を中心に放射状に伸びる鉄軌道や幹線バス路線の各駅を拠点にまちの整備が進められている。このようにすることで、車がなくても便利で、さらに公共サービスのコストを抑えることができるとしている(モータリゼーションの解消)。そのため、次のような施策が行われている。
- まちなか居住推進事業 - まちなかでの住宅取得費用や賃貸住宅の家賃への補助を行い、都市地区への人口回帰を促す。2006年(平成18年)、中心市街地の人口は増加に転じた。
- 富山ライトレールの開業 - 利用者の減少が深刻な問題となっていたJR富山港線を一部路面電車化して本数を増やし、またバスの周回時刻に合わせるなどして利便性の向上を図った。
- 富山地方鉄道富山軌道線に環状線を新設することで、LRTの新型車両により富山駅周辺と中心商店街とを結んでいる。
- 高山本線(活性化)社会実験 - 運行本数を増やすとともに、各駅でフィーダーバスの運行や無料駐車場(パークアンドライド)を設置することで、利用者の増加を図る試み。
- 中心市街地活性化基本計画 - 人口減少・少子高齢社会に対応した、多様な都市機能がコンパクトに集積したまちを実現するために策定する。国の1号認定が下り、補助金を受けられることになった。
- 20年後の都市の将来像を描くために、都市マスタープランを策定した。
- 富山市環境モデル都市行動計画 ~コンパクトシティ戦略によるCO2削減計画~を策定した。
機関
2007年(平成19年)4月1日現在の職員数は4,374人[21]。2010年度までに4,311人以下に削減(2005年時点より5.1%の削減)することを進めている[22]。同規模の都市と比べると市民1人あたりの職員数はまだ多い。現在、民間委託・民営化を進めたり、PFIの活用を行ったりしている。地区センターでは、各種申請、書類の発行が行えるようになっている(2006年11月25日現在)。
役所
- 企画管理部
- 財務部
- 福祉保健部
- こども家庭部
- 市民生活部
- 環境部
- 商工労働部
- 農林水産部
- 活力都市創造部
- 建設部
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- 大沢野行政サービスセンター
- 大山行政サービスセンター
- 八尾行政サービスセンター
- 婦中行政サービスセンター
- 山田中核型地区センター
- 細入中核型地区センター
- 病院事業管理者
|
-
|
窓口
- 富山地域:富山市役所本庁・総曲輪・愛宕・安野屋・八人町・五番町・柳町・清水町・星井町・西田地方・堀川・堀川南・東部・奥田・奥田北・桜谷・五福・神明・岩瀬・萩浦・大広田・浜黒崎・針原・豊田・広田・新庄・藤ノ木・山室・山室中部・太田・蜷川・新保・熊野・月岡・四方・八幡・草島・倉垣・呉羽・長岡・寒江・古沢・老田・池多・水橋中部・水橋西部・水橋東部・三郷・上条・光陽
- 大沢野地域:大沢野行政サービスセンター・大久保・船峅・小羽・下タ北部
- 大山地域:大山行政サービスセンター・小見・大庄・福沢
- 八尾地域:八尾行政サービスセンター・保内・杉原・卯花・室牧・黒瀬谷・野積・仁歩・大長谷
- 婦中地域:婦中行政サービスセンター・鵜坂・朝日・宮川・婦中熊野・古里・音川・神保
- 山田地域:山田中核型地区センター
- 細入地域:細入中核型地区センター・南部
教育
- 教育委員会
- 教育総務課 - 富山外国語専門学校
- 統合校整備等推進室
- 学校施設課
- 学校教育課 - 教育センター、野外教育活動センター、小学校・中学校・幼稚園
- 学校保健課 - 学校給食センター
- 生涯学習課 - 民俗民芸村管理センター、埋蔵文化財センター、公民館、市民学習センター、図書館、科学博物館、郷土博物館、富山ガラス造詣研究所、日本海文化研究所
- スポーツ健康課
- 大沢野教育行政センター - 小学校・中学校・幼稚園、公民館、大沢野生涯学習センター、大沢野ふれあいセンター、大沢野文化会館
- 大山教育行政センター - 小学校・中学校・幼稚園、公民館、大山文化会館、大山歴史民俗資料館
- 八尾教育行政センター - 小学校・中学校・幼稚園、公民館、八尾コミュニティセンター、八尾おわら資料館、八尾美術保存展示館、八尾化石資料館、八尾スポーツアリーナ
- 婦中教育行政センター - 小学校・中学校・幼稚園、公民館、婦中ふれあい館、婦中体育館
- 山田教育行政センター - 小学校・中学校、公民館
- 細入教育行政センター - 小学校・中学校、公民館、猪谷関所館
- 公設地方卸売市場(掛尾町)
- 営農サポートセンター(月岡町)
消防
- 富山市消防局
- 富山消防署
- 富山北消防署
- 呉羽消防署
- 水橋消防署
- 大沢野消防署
- 大山消防署
- 八尾消防署
- 婦中消防署
|
警察
郵便
主な郵便局
県の機関
- 富山県自然博物園ねいの里
- 東部教育事務所
- 富山県有峰ハウス
- 富山県営井田川発電管理署
- 富山県企業局若土堰堤見張所
- 富山県業務公社
- 富山県森林政策課有峰
- 富山県総合教育センター
- 富山県畜産試験場
- 富山県庁
- 富山県鳥獣保護センター
- 富山県農業技術センター農業機械研修所
- 富山県防災センター入札専用
- 富山県女性相談センター
|
- 富山県薬業研修センター(2008年3月末で廃止[23])
- 富山農業普及指導センター
- 花と緑の銀行(財)
- 発電所
- 富山県営大長谷発電所
- 富山県営仁歩発電所
- 富山県営室牧発電所
- ダム
|
国の機関
- 総務省
- 法務省
- 財務省
- 富山税務署
- 伏木税関支署富山出張所
- 伏木税関支署富山空港出張所
- 富山財務事務所
- 厚生労働省
|
- 農林水産省
- 富山森林管理署
- 北陸農政局水橋農地整備事業所
- 北陸農政局富山県拠点
- 経済産業省
- 国土交通省
- 防衛省
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独立機関
特殊機関
国際機関
広域機関
- 富山地区広域圏事務組合 - 構成市町村は、富山市、滑川市、立山町、上市町、舟橋村。
- 富山地区広域圏クリーンセンター(立山町)
- 富山地区広域圏リサイクルセンター・リサイクルプラザ(富山市)
- 富山地区広域圏事務組合 常願寺ハイツスポーツ公園(立山町)
歴代市長
歴代市長[24][25]
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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歴代富山市長(1889年ー2005年)(公選前)
|
1
|
前田則邦 |
1889年6月2日 |
1895年5月27日 |
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2
|
市川伯孝 |
1895年6月1日 |
1901年5月23日 |
|
3
|
1901年5月24日 |
1901年10月1日 |
|
4
|
加藤厚寛 |
1901年12月13日 |
1907年12月12日 |
|
5
|
関野善次郎 |
1907年12月12日 |
1909年5月7日 |
|
6
|
井上政寛 |
1909年8月18日 |
1915年8月17日 |
|
7
|
稲垣宗正 |
1915年9月4日 |
1919年1月17日 |
|
8
|
牧野平五郎 |
1919年2月17日 |
1923年2月13日 |
|
9
|
1923年2月26日 |
1925年8月19日 |
|
10
|
1925年10月28日 |
1928年5月10日 |
|
11
|
井上政寛 |
1928年5月21日 |
1930年7月17日 |
|
12
|
上埜安太郎 |
1930年8月2日 |
1933年3月9日 |
|
13
|
金山米次郎 |
1933年3月11日 |
1934年12月19日 |
|
14
|
野村嘉六 |
1934年12月20日 |
1935年5月14日 |
|
15
|
平田紀一 |
1935年5月17日 |
1936年2月1日 |
|
16
|
山崎定義 |
1936年2月6日 |
1940年2月5日 |
|
17
|
森勇 |
1940年3月2日 |
1944年2月26日 |
|
18
|
石坂豊一 |
1944年3月1日 |
1946年12月4日 |
|
歴代富山市長(1889年ー2005年)(公選)
|
19
|
尾山三郎 |
1947年4月10日 |
1950年5月9日 |
|
20
|
富川保太郎 |
1950年6月27日 |
1954年6月9日 |
|
21
|
1954年6月25日 |
1958年6月22日 |
|
22
|
1958年6月23日 |
1959年2月7日 |
|
23
|
湊栄吉 |
1959年3月16日 |
1963年3月14日 |
|
24
|
1963年3月15日 |
1967年3月14日 |
|
25
|
1967年3月15日 |
1971年3月14日 |
|
26
|
改井秀雄 |
1971年3月15日 |
1975年3月14日 |
|
27
|
1975年3月15日 |
1979年3月14日 |
|
28
|
1979年3月15日 |
1983年3月14日 |
|
29
|
1983年3月15日 |
1983年3月31日 |
|
30
|
塩谷敏幸 |
1983年4月25日 |
1985年12月15日 |
|
31
|
正橋正一 |
1986年1月27日 |
1990年1月25日 |
|
32
|
1990年1月26日 |
1994年1月25日 |
|
33
|
1994年1月26日 |
1998年1月25日 |
|
34
|
1998年1月26日 |
2002年1月25日 |
|
35
|
森雅志 |
2002年1月26日 |
2005年3月31日 |
|
歴代富山市長(2005年ー)
|
-
|
中斉忠雄 |
2005年4月1日 |
2005年4月24日 |
職務執行者
|
1
|
森雅志 |
2005年4月24日 |
2009年4月23日 |
|
2
|
2009年4月24日 |
2013年4月23日 |
|
3
|
2013年4月24日 |
2021年4月23日 |
|
4
|
藤井裕久
|
2021年4月24日
|
|
|
中斉忠雄(元大沢野町長)は、2005年4月の富山市(2005年ー)が発足から新市長が決まるまで市長職を代行する職務執行者を勤めた。
財政
2007年度の当初予算規模は、約3,677億(+99億、+2.7%)である。合併して新富山市となった2005年度の当初予算(約4,410億)に比べると、約△16.6%となっている。水道事業や病院事業などの企業会計で、520億の増加が著しい。
2006年度決算(平成19年9月30日時点)は、約△63億(昨年比約△24億)で、赤字である。
- 一般会計 37億
- 特別会計 2億
- 企業会計△102億
市債残高は、約4,420億(前年比約△22億)である(2006年9月30日現在)。
なお、2006年度の当初予算規模は次のようになっている。
- 一般会計1,588億
- 特別会計1,500億
- 企業会計 491億
行政区域の変遷
立法
市議会
富山市議会は、定員38人。
市議会の組織
- 本会議
- 常任委員会
- 総務文教委員会
- 厚生委員会
- 商工農林水産委員会
- 建設委員会
- 議会運営委員会
- 特別委員会
- まちづくりと公共交通対策特別委員会
- 空き家等対策特別委員会
- 決算特別委員会(一般・特別、企業)
会派の構成
(2019年4月19日現在)[26]
会派名 |
議席数 |
代表者
|
自由民主党 |
21 |
村家博
|
公明党 |
4 |
堀江かず代
|
社会民主党議員会 |
3 |
村石篤
|
日本共産党 |
2 |
赤星ゆかり
|
会派 誠政 |
2 |
橋本雅雄
|
光 |
2 |
上野蛍
|
日本維新の会 |
1 |
金井毅俊
|
フォーラム38 |
1 |
大島満
|
創政改拓 |
1 |
木下章広
|
自民クラブ |
1 |
村上和久
|
富山県議会(富山市選出)
- 定数:14名
- 任期:2019年(平成31年)4月30日〜2023年(令和5年)4月29日
選挙区 |
議員名 |
会派名 |
備考
|
富山市第一 |
中川忠昭 |
自由民主党県議会議員会 |
|
杉本正 |
会派 至誠 |
|
五十嵐務 |
自由民主党県議会議員会 |
|
火爪弘子 |
日本共産党県議員会 |
|
奥野詠子 |
自由民主党県議会議員会 |
|
平木柳太郎 |
自由民主党県議会議員会 |
|
吉田勉 |
公明党県議員会 |
|
岡崎信也 |
社会民主党県議会議員会 |
|
種部恭子 |
自由民主党県議会議員会 |
|
庄司昌弘 |
自由民主党県議会議員会 |
|
藤井大輔 |
自由民主党県議会議員会 |
|
富山市第二 |
宮本光明 |
自由民主党県議会議員会 |
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藤井裕久 |
自由民主党県議会議員会 |
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井上学 |
自由民主党県議会議員会 |
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衆議院
- 任期 : 2021年(令和3年)10月31日 - 2025年(令和7年)10月30日(「第49回衆議院議員総選挙」参照)
司法
裁判所
その他司法機関
- 富山刑務所(西荒屋)
- 富山県人権擁護委員連合会(牛島新町)
- 富山少年鑑別所(才覚寺)
- 富山地方検察庁(西田地方)
- 富山地方法務局(牛島新町)
- 富山保護観察所(西田地方)
経済
経済においても、富山市は富山県の中心地である。
富山経済は、廃藩置県後の明治期の富山県においてその基を築いた。代表的なものには、北陸最大にして地方銀行全国第二位の北陸銀行や、北陸電力の本店が富山市に所在し、富山県および北陸の経済活動の基盤を形成している。
また、富山県の経済を側面から支えている富山大学は、富山市民や団体の寄付行為によって生まれた旧制富山高等学校や富山薬学専門学校の流れを汲んでいる。
農業・水産業
富山県は全国でもっとも農耕地における稲作率が高い県である。富山市郊外にも水田が広がる。
西部の呉羽地区では後述のナシ畑が広がっている。また、山間部の一部ではブドウやみょうがの生産が行われている。
水産業は、海岸部西部の四方と東部の水橋に漁港がある。また、かつては神通川にマスが遡上しており、それによってできた名産が鱒寿司(ますのすし)である。
農産物
ナシ
富山市の果実生産の97%(2,702トン)を占めるナシは、富山市の全耕種出荷額の9%を担っている。また、県内出荷量の70%を占め、県内のナシ生産の中心である。全国の出荷量に対しては0.8%を占めている。
富山市では西部の呉羽・老田が産地であり、ここで採れるものは呉羽梨(くれはなし)と呼ばれている。隣接する射水市小杉・大門地域で作られるものも同様に、呉羽梨と呼ばれる。
呉羽の農業は、もともと稲作が中心であった。しかし、呉羽の多くを占める呉羽丘陵は水の便が悪く、日照りが続くと田が干上がってしまう土地柄だったため、1920年代からナシ作りがはじめられた。現在呉羽丘陵にはナシ畑が広がっている。
イチジク
南部の大沢野地域において盛んに生産されている。
ブドウ
西部の婦中地域の山間部で主に生産されている。観光ぶどう園が多く、ワインの醸造も行われている。南部の八尾地域黒瀬谷地区でも、わずかながら生産されている。
米
コシヒカリの生産が盛んに行われている。中でも市西部でとれる米は「八町米(はっちょうまい)」という名前でブランド化されている。
海産物
シラエビ
ホタルイカ
ブリ
バイ
ズワイガニ
菓子
鈴木亭
- 1866年(慶応2年)創業。 杢目羊羹 - 県木の立山杉の年輪を模した伝統銘菓。皇室献上羊羹。
月世界本舗
- 1897年(明治30年)創業。 銘菓 月世界 - 暁の空に浮かぶ淡い月影のイメージから名付けられた。
竹林堂本舗
- 1790年(寛政2年)、富山藩より拝命した「竹林堂」。富山饅頭の代名詞。
磯野屋
- イチジクを使った菓子を得意とする。2002年(平成14年)菓子博で外務大臣賞受賞。
ボン・リブラン
- 富山県東部に起源を持つ菓子本舗。「富也萬」「甘金丹」などで知られる。
本鋪勝屋
- 銘菓「立山一万尺」
酒
満寿泉
- 桝田酒造店(東岩瀬町) 吟醸酒作りに早くから取り組んだ。1972年から鑑評会の金賞受賞の常連組。
風の盆
- 福鶴酒造(八尾町西町)
- 嘉永年間(約150年前)創業。全国新酒鑑評会では、1992年に初出品で金賞を受賞。
富美菊
- 富美菊酒造(百塚)1916年(大正5年)創業。
おわら娘
- 玉旭酒造(八尾町東町)
- 1808年(文化5年)創業。
よしのとも
- 吉乃友酒造有限会社(婦中町下井沢)
- 1877年(明治10年)創業。
鷹泉
- 鷹泉酒造株式会社(上滝)
- 1926年(大正15年・昭和元年)創業。
三笑楽
- 三笑楽酒造株式会社(上梨)
- 1880年(明治13年)創業。
富山ブレンド
富山県内16の蔵の酒をブレンドした。
鱒寿司
- 富山駅の駅弁の調製元。「鱒寿司」を「ますのすし」の商品名で売り出したのはここが最初。
- 吉田屋
- 関野屋
- 川上鱒寿司店
- 青山総本舗
- 高芳
- 小林鱒寿し店(小林幸一)
- 味の笹義
- 大多屋鱒寿し店
- 高田屋
- 今井商店
工業
富山市は、北陸工業地域に属する日本海側屈指の工業都市である。
戦前より続く産業として、江戸期までさかのぼることができる「くすりの富山」[27]に代表される製薬産業や、全国屈指の製造量を誇るベアリングなどの工業機械製造業がある一方、昭和後期のエレクトロニクスやロボトロニクス関連産業の隆盛により、地域内で蓄積された先進的な微細加工技術によって精密工業製品や各種微細加工素材、精密自動車部品、高機能ロボットなどの製造業が台頭している。
これら工業の製造研究拠点としての発展を裏付けているものは、安価な電力供給と良質で豊富な工業用水を容易に得られる地理的条件、富山大学・富山県を中心とした産学官連携研究施設の充実、そして重要特定港湾「伏木富山港富山地区」や北陸自動車道、東海北陸自動車道などによる太平洋側工業地域と環日本海側諸国への交通の利便性を兼ね備えた地域であることが挙げられる。
- 工場・事業所を置く企業
伝統工芸
商業
旧来からの中心商業地は総曲輪(そうがわ)・西町(にしちょう)界隈である。しかしバブル期以後、富山駅周辺でマリエとやまや富山ステーションフロントCiCなど商業ビルの建設が相次ぎ、総曲輪・西町との客の食い合いが生じている。さらに後述する郊外型SCなどの進出による打撃も大きく、年々総曲輪・西町のステータスは相対的に低下する傾向にある。総曲輪・西町では2006年3月に大手百貨店の西武富山店が撤退し、なおも求心力低下が危惧されているのに対し、駅周辺は新幹線が開通し、富山駅の高架化・区画整理事業が進行していることから今後も発展すると考えられる。
この状況を打開すべく、総曲輪・西町一帯では市のコンパクトシティ推進政策も相まって再開発計画が複数提案され、進行している。2007年9月に移転新築の百貨店の富山大和を核とした商業施設『総曲輪フェリオ』が開店した。富山大和旧店舗跡地(西町南地区)は、富山市立図書館、富山第一銀行本店、ガラス美術館が入居する複合ビル『TOYAMAキラリ』が2015年春に完成した。総曲輪西地区においては、シネマコンプレックスやホテルなどの複合商業ビル『ユウタウン総曲輪』が2016年6月に開業し、総曲輪・西町地区では約10年ぶりの大手配給映画館の復活となった。また、中央通りF地区や西町東南地区では、マンション主体の複合施設が完成している。それ以外では、旧富山西武跡一帯は、2018年度末を目途に商業施設・マンションで構成する再開発工事が進んでおり、西町・総曲輪北地区、中央通りD北街区においても、複合施設とする再開発を検討中である。
中心商店街は総曲輪通り商店街と中央通り商店街である。この2つの商店街はアーケードで連続しており、2つを合わせたアーケードの長さは1キロにもおよび北陸最大の規模になる。反面、その長さゆえ集客効率が悪く、中央通り商店街の一部分でシャッター通りを生む一因となっている。
夜の歓楽街は桜木町である。北陸では、石川県金沢市片町地区に次ぐ集積となっている。
2000年、婦中地域(当時の婦負郡婦中町)に大型のショッピングモール「フューチャーシティ・ファボーレ」がオープンした。また、市の環状道路である草島線および国道359号沿いの新屋から婦中町速星にかけてはロードサイドショップの集積により一大商圏となっており、活況を呈している。そのため、中川原や掛尾・婦中大橋付近では、休日には大渋滞が発生する。
富山市内のおもなショッピングセンター、大型スーパーについては以下の通りである。
企業
上場企業
非上場企業
支社・支店
姉妹都市・提携都市
海外
- 姉妹都市[28]
※ウェリントン市は旧大沢野町、残る3都市は旧富山市と締結されている。
- その他
マスメディア
- ※本社・演奏所を置くもの
- テレビ局
- ラジオ局
- ケーブルテレビ
- 新聞社
上記のほか、富山県に系列局のないテレビ朝日、北陸朝日放送などの石川県域民放テレビ各局、読売新聞などの全国紙各紙、北陸中日新聞、共同通信社・時事通信社などが市内に拠点を有する。
教育
- 1923年(大正12年)9月 - 市立小学校において秋季学年制(二重学年制)を導入。1935年(昭和10年)廃止。
- 2006年(平成18年) - 全小学校区において、登下校時の安全を確保するために、地域住民による「学校安全パトロール隊」が結成。
- 2008年(平成20年) - 通学する中学校を自由に選べる学校選択制を導入する。通学区域に住む子どもの、該当中学校への就学を保障したうえで、ほかの学区の生徒を受け入れる制度である。
大学院
国立
県立
私立
大学
国立
県立
私立
短期大学
高等専門学校
高等学校
県立
私立
中学校
国立
私立
市立
小学校
国立
私立
市立
特別支援学校
国立
県立
専修学校
各種学校
その他
社会教育
- 市民学習センター(大手町、市民プラザ内)
- 県民カレッジ(舟橋北町)
職業訓練
その他
文化施設
図書館・公文書館
- 富山県立図書館(茶屋町)
- 富山市立図書館本館(TOYAMAキラリ内)
- とやま駅南図書館(CICビル4階)
- 豊田分館
- 岩瀬分館
- 呉羽分館
- 四方分館
- 奥田北分館
- 水橋分館
- 大広田分館
- 藤ノ木分館
- 新庄分館
- 東部分館
- 山室分館
- 蜷川分館
- 月岡分館
- 堀川分館
- 堀川南分館
- 八尾東町分館
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ホール・集会所
美術館
博物館・資料館
その他
体育施設
市営
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- 大沢野プール
- 中大久保ふれあい公園
- 大久保運動広場
- 下タ北部体育館
- 下タ北部グラウンド
- 下タ南部体育館
- 下タ南部グラウンド
- 八尾スポーツアリーナ
- 大山社会体育館
- 殿様林緑地
- 牧体育館
- 婦中武道館
- 婦中スポーツプラザ
- 羽根ピースフル公園
- 楡原プール
- 猪谷プール
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県営
福祉施設
病院
健康施設
- 保健所(蜷川)
- 富山市救急医療センター(丸の内)
- 中央保健福祉センター(丸の内)
- 南保健福祉センター(蜷川)
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- 北保健福祉センター(岩瀬文化町)
- 大沢野保健センター(三室荒屋)
- 婦中保健センター(婦中保健福祉センター内)(婦中町羽根)
- 細入保健センター(楡原)
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子育て施設
- 市総合社会福祉センター(今泉)
- 愛育園(西番)
- 慈光園(西番)
- 慈光園デイサービスセンター(西番)
- 障害者福祉プラザ(蜷川)
- 中央児童館(丸の内)
- 呉羽山老人福祉センター(安養坊)
- 海岸通老人福祉センター(海岸通)
- 南老人福祉センター(今泉)
- 水橋老人憩いの家(水橋伊勢屋)
- 東老人憩いの家(経堂)
- 星井町児童文化センター(星井町)
- 東部児童文化センター(石金)
- 福沢地区コミュニティセンター(福沢)
- 福祉センター(上滝)
- 農山村交流センター(原)
- 大山老人福祉センター(花崎)
- はなさき苑(花崎)
- 大庄子育て支援センター(善名)
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- 婦中社会福祉センター(婦中町上轡田)
- 中央児童館(婦中町速星)
- 神保児童館(婦中町上吉川)
- 衛生センター(婦中町富川)
- 婦負斎場墓地公苑(八尾町三田)
- 宮川地区コミュニティーセンター(婦中町広田)
- 神保地区コミュニティーセンター(婦中町上吉川)
- 山田交流促進センター(山田赤目谷)
- あざみ園(山田宿坊字大山)
- 南部地区公民館(猪谷)
- 中央公民館(楡原)
- 生涯学習センター(高内)
- 大久保ふれあいセンター(大久保)
- 大沢野公民館(高内)
- 船峅地区公民館・地区福祉センター(坂本)
- 小羽地区公民館・地区福祉センター(小羽)
- 下タ北部地区公民館・地区福祉センター(布尻)
- 下タ南部地区公民館・地区福祉センター(舟渡)
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環境施設
- 上下水道局
- 環境センター
- 環境センター北部中継場
- 流杉浄水場
- 浜黒崎浄化センター
- 水橋浄化センター
- 倉垣浄水園
- つばき園
- 環境センター大山環境事務所
スポーツ
サッカー
バスケットボール
野球
交通
交通の歴史
空港
- 2012年(平成24年)に「富山きときと空港」の愛称を制定(「きときと」は富山弁で「新鮮」の意)。
鉄道
西日本旅客鉄道(JR西日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
- 高山本線:猪谷駅
あいの風とやま鉄道
富山地方鉄道
- 朝ラッシュ時は10分おき、午前中から夜までは15分おき、深夜は30分おきの運行となっている。
■ 富山軌道線:全駅
- 以前はこの他にも笹津線や、富山市と旧新湊市を結ぶ射水線が存在していたが、いずれも廃止された。
その他
道路
高速道路
有料道路
国道
県道
- 道の駅
バス
高速バス
東京線
- 東京 - 富山線(西武バス・富山地方鉄道)
大阪線
- 富山 - 大阪線(阪急バス・富山地方鉄道)
- 百万石ドリーム大阪号(西日本JRバス)
名古屋線
- 東海北陸道高速バス(名鉄バス・富山地方鉄道)
- 北陸ドリーム名古屋号(JR東海バス・西日本JRバス)
その他
- 新潟線(新潟交通・富山地方鉄道)
- 群馬・栃木線(日本中央バス)
路線バス
コミュニティバス
自転車
市内中心部ではコミュニティサイクル「アヴィレ」を利用できる。2022年2月現在、ステーション23か所[31]。
船舶
名所
自然景勝地
遺跡
神社仏閣
- 立山寺 - 建徳元年(1370年)に曹洞宗大本山總持寺第二祖峨山韶碩禅師が創設。
- 各願寺 - 奈良時代に文武天皇の第七子である自信院仏性が開山したとされる古刹
- 常楽寺 - 円仁(慈覚大師)が越中に下向した際、開山したとされる寺院。重要文化財「木造聖観音菩薩立像」「木造十一面観音菩薩立像」
- 来迎寺 - 佐伯有若の立山開山伝説にちなむ円福寺を起源とする浄土宗の寺院
- 長慶寺 - 曹洞宗の寺院。五百羅漢がある。
- 極性寺 - 親鸞の直弟子である越中三坊主の一人、極性房(教順房)開山の寺院。
- 願海寺 - 親鸞の直弟子である越中三坊主の一人、願海房開山の寺院。富山県の浄土真宗の寺院でもっとも古い歴史を持つ。
- (越中三坊主の一人、持専房が開山した「梅沢山 持専寺」は、富山市梅沢町の地において、本願寺派の寺院として廃寺となった。)
- 聞名寺 - 本願寺三代覚如の弟子である願智房開基の名刹。八尾の町は、この聞名寺の門前町として発展した。
- 浄禅寺 - 恵顗(えけ)開山による時宗寺院。秘仏「歯吹きの阿弥陀如来立像」
- 本法寺 - 1316年(正和5年)開山の法華宗陣門流別院。重要文化財「法華経曼荼羅図」
- 海岸寺 - 能登総持寺の流れを汲む珖瑛による開基。重要文化財「紹瑾(瑩山)筆 仏祖正伝菩薩戒教授文」
- 西圓寺 - 834年開基。安田家の菩提寺。 安田善次郎が富山を離れる際に大成を誓い詣でた。
- 最勝寺 - 蜷川荘を支配した室町幕府政所代蜷川氏の居城跡に建つ菩提寺。
- 本覚寺 - 神保山。1343年(康永2年)明雲による開基。越中守護代神保氏の菩提寺。
- 光厳寺 - 越中守護代神保氏・富山藩前田氏の菩提寺。上杉謙信の後裔である南部三代の墓がある。
- 円隆寺 - 比叡山治定院の快恵による開山。「さんさい踊り」を行う天台宗寺院。
- 興国寺 - 南北朝時代の守護桃井直常の菩提寺。東越三十三観音霊場第28番札所。
- 蓮華寺 - 神保氏・佐々氏から保護を受けた臨済宗寺院。
- 龍高寺 - 南北朝時代の守護桃井直常の祈願所。東越三十三観音霊場第29番札所。
- 妙顕寺 - 日蓮正宗の寺院。
- 日枝神社 - 富山町の惣社「山王さん」。江戸期には曳山が存在した。
- 富山縣護國神社 - 護国神社。1913年創建。
- 姉倉比売神社 - 式内社。越中の古代神伝説。呉羽の由来である「呉織部(くれはとりべ)」伝説
- 新川神社 - 越中の古代神、大新川姫命を祀る神社。
- 鵜坂神社 - 式内社。万葉に歌われた鵜坂川(神通川)が社地を流れていた神社。神通川の名の由来とも伝えられる神社。
- 多久比禮志神社 - 式内社。古代荘園「宮川郷」三八カ村の惣社。
- 坪野神明社 - 「熊野神社の稚児舞」を創始した荘官百姓ゆかりの古社。
- 於保多神社 - 富山の天神様。元は浄禅寺の境内社で富山藩主の祈願所。
- 立蔵神社 - 佐伯有頼による開山。かつては雄山神社の本宮であったと伝えられる。
公園
- 猿倉山森林公園 - 猿倉山山頂にある「風の城」は見晴らしがよい。風車があり、風力発電を行っている。1991年(平成13年)に完成。
- 県庁前公園(新総曲輪) - 直径36メートルの大きな噴水と、花時計がある。
- 寺家公園(寺家) - 寺家から出た京都の医師加藤幸次郎が私財を投じて作った日本庭園で、京都の嵐山がモデルになっている。
- 城南公園(西中野町) - 富山市科学博物館が併設。かつては富山県立近代美術館も併設されていた。
- とやま古洞の森自然活用村(池多) - ケビンやキャンプ場がある。富山市天文台が併設。
- 富山城址公園(富山城)
- 富岩運河環水公園
- 松川公園
- 稲荷公園
- 野鳥の園
- 城ヶ山公園
温泉
レジャー
#美術館、#博物館・資料館も参照
祭事
- 立山山麓かまくら祭り(2月中旬)
- 全日本チンドンコンクール(4月上旬)
- ふちゅう曲水の宴(4月中旬)
- 下大久保「高砂山願念坊祭り」(4月第2日曜日)
- 岩瀬曳山車祭(5月17日 - 18日)
- 越中八尾曳山祭(5月3日)
- 売比河鵜飼祭(5月下旬)
- 日枝神社大祭(山王まつり)(5月31日 - 6月2日)
- おおやま佐々成政時代祭り(7月下旬)
- 水橋橋まつり(7月下旬)
- 北日本新聞納涼花火大会(8月1日)
- 富山まつり(8月第1金曜日 - 日曜日)
- 熊野神社の稚児舞(8月下旬)
- 安田城月見の宴(8月下旬)
- おわら風の盆(9月1日 - 3日)
- とやま湾味覚市(11月中旬)
- とやまスノーピアード(12月 - 1月)
- 東猪谷「素盞鳴社(すさのおしゃ)祭」(20年に一度だけの祭礼)
- 護国神社「青空のみの市」(富山市最大のフリーマーケット:毎月第1日曜日6:00 - 15:00)
- 岩瀬朝市(毎月第2日曜日7:00 - 12:00)
土産
#農業・水産業も参照
- とやま観光物産センター「いきいきKAN」(新富町、CiC5F)
- 道の駅細入(片掛)
百選
著名者
経済界
政界
学界
文化界
芸能界
アナウンサー
スポーツ界
野球
武術
相撲
陸上競技
ボクシング
サッカー
総合格闘技
ゴルフ
バレーボール
バスケットボール
競輪
水球
スノーボード
スケートボード
その他
舞台作品
映画
文芸
音楽
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
- 行政
- 観光
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注: 順位は令和2年国勢調査時の市域人口による。 |
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ウィキポータル:アジア - ウィキプロジェクト:日本 |
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北海道地方 |
- 北海道(北海道価値を生かした広域SDGsモデルの構築)
- 札幌市(次世代の子どもたちが笑顔で暮らせる持続可能な都市・「環境首都・SAPP︶RO」)(北海道)
- ニセコ町(環境を活かし、資源、経済が循環する自治のまち「サスティナブルタウンニセコ」の構築)(北海道)
- 下川町(未来の人と自然へ繋ぐしもかわチャレンジ2030)(北海道)
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東北地方 |
- 東松島市(全世代グロウアップシティ東松島)(宮城県)
- 仙北市(IoT・水素エネルギー利用基盤整備事業)(秋田県)
- 飯豊町(農村計画研究所の再興『2030年も「日本で最も美しい村」であり続けるために』)(山形県)
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関東地方 |
- つくば市(つくばSDGs 未来都市先導プロジェクト)(茨城県)
- 神奈川県(いのち輝く神奈川 持続可能な「スマイル100歳社会の実現」)
- 横浜市(SDGs未来都市・横浜 〜"連携"による「大都市モデル」創出〜)(神奈川県)
- 鎌倉市(持続可能な都市経営「SDGs 未来都市かまくら」の創造)(神奈川県)
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中部地方 |
- 富山市(コンパクトシティ戦略による持続可能な付加価値創造都市の実現)(富山県)
- 珠洲市(能登の尖端"未来都市"への挑戦)(石川県)
- 白山市(白山の恵みを次世代へ贈る「白山SDGs未来都市2030ビジョン」)(石川県)
- 長野県(学びと自治力による「自立・分散型社会の形成」)
- 静岡市(「世界に輝く静岡」の実現 静岡市5大構想×SDGs)(静岡県)
- 浜松市(浜松が「五十年、八十年先の『世界』を富ます」)(静岡県)
- 豊田市(みんながつながる ミライにつながるスマートシティ)(愛知県)
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近畿地方 |
- 志摩市(持続可能な御食国の創生)(三重県)
- 堺市(「自由と自治の精神を礎に、誰もが健康で活躍する笑顔あふれるまち」)(大阪府)
- 十津川村(持続可能な森林保全及び観光振興による十津川村SDGs構想)(奈良県)
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中国地方 |
- 岡山市(誰もが健康で学び合い、生涯活躍するまちおかやまの推進)(岡山県)
- 真庭市(地域エネルギー自給率100% 2030"SDGs"未来杜市真庭の実現〜永続的に発展する農村村のモデルを目指して(私がわたしらしく生きるまち)〜)(岡山県)
- 広島県(SDGsの達成に向けて平和の活動を生み出す国際平和拠点ひろしまの取り組みを加速する〜マルチステークホルダー・パートナーシップによるSDGsの取り組みの強化〜
- 宇部市(「人材が宝」みんなでつくる宇部SDGs推進事業〜「共存同栄・協同一致」のさらなる進化〜(山口県)
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四国地方 |
- 上勝町(SDGsでSHLs(Sasutenaburu Happy Lives)持続可能な幸福な生活)(徳島県)
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九州地方 |
- 北九州市(北九州市SDGs未来都市)(福岡県)
- 壱岐市(壱岐活き対話型社会「壱岐(粋)なSociety5.0」)(長崎県)
- 小国町(地熱と森林の恵み、人とのつながりがもたらす持続可能なまちずくりを目指して)(熊本県)
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関連項目 | |
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