富山電気ビルデイング
富山電気ビルデイング(とやまでんきビルデイング)は、富山県富山市桜橋通りにある建築物。富山県内では電気ビルディングあるいは電気ビルと呼ばれている。1936年4月8日に竣工し、富山市内では富山県庁舎(富山県庁)とともに第二次世界大戦以前に竣工した建築物である。 富山電気ビルデイング株式会社が所有・管理を行っている。本項目では、法人の富山電気ビルデイングについても詳述する。なお、ビル名・会社名のいずれも正式名称は「ビルデイング」であり、「ビルディング」ではない。 概要1936年に開催された日満産業大博覧会に合わせて、当時の日本海電気(富山県域を営業区域としていた電力会社・現在の北陸電力の前身)本社ビルとして1936年4月8日に県内初の複合オフィスビルとして竣工した[1][2]。建築の目的として地域産業の発展と地方文化の向上に寄与することを挙げており、日本海電気社長の山田昌作(後の北陸電力初代社長)の意向もあって、富山県内の経済人の交流の場としてビル内に社交クラブ(富山社交倶楽部)が置かれた[2]。 外観にタイル張りが施された鉄筋コンクリート製の建築物で、1936年に竣工した本館は地上5階・地下1階の構造となっている[2][3]。ビルの中央部を高くしてバルコニーを設け、両端に丸窓も設けられている。その外観から『埠頭に浮かぶ軍艦』とも呼ばれていた[1]。1945年8月1日の富山大空襲の戦災にも焼夷弾の屋上への直撃で焼失した5階部分を除き耐え[1]建築当時の外観が現在もほぼ保たれている、各階から投下する真鍮製郵便ポストが竣工当初以降現役である[1]など、1935年8月17日に竣工した富山県庁舎と並び昭和初期の富山の象徴となっている[3]。また、1956年11月には新館、1972年2月には新館東側に第二新館が竣工した(第二新館は北陸電力が所有)。 2018年7月20日、文化審議会は富山電気ビルデイングを国登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申[3][4]、同年11月2日の官報で告示され正式に登録となった[5]。国登録有形文化財として登録されるのは、本館と新館の2棟となっている[6]。 歴史富山電気ビルデイングの建設の背景には、富山市の旧都市計画法に基づく都市整備事業がある。神通川の廃川地が明治時代から放置状態にあり、都市機能の障害となっていた。北陸電力の前身であった日本海電気と富山市の思惑が一致し、富山県庁舎とともに富山市の近代化発展と賑い創出の象徴として建設された。完成後は、日本海電気の本社(地下1階から2階に入居[2])のほかに、日本海側では3番目(北陸では最初)に開業した「富山電気ビルホテル」も4階に併設され、1958年の第13回国民体育大会開催時には昭和天皇、香淳皇后が宿泊し、『富山の迎賓館』とも呼ばれていた(ホテルは1974年に閉鎖)[1][7]。この他、大ホールや能舞台も設置されていた[1]。 第二次世界大戦後の1945年11月には、進駐軍の富山司令部が設置(1952年6月廃止)。また、1951年5月1日に北陸電力が設立されてからは、1989年5月に富山市牛島町の北電ビル(富山駅北側)が完成・移転されるまでは本店が置かれていた。 沿革
エピソード
富山電気ビルデイング株式会社
概要沿革
主な事業内容
参考文献
脚注
関連項目外部リンク
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