令和
平成の後。大化以降232番目、248個目[注 1]の元号。徳仁(第126代天皇)が即位した2019年(令和元年)5月1日から現在に至る。また、「元号法(昭和54年法律第43号)」に基づく元号としては、平成に次いで2番目の元号である。 名称は、日本に現存している和歌集の中で最古の『万葉集』から引用された。 本項では日本史の時代区分において、令和への改元以降に該当する 以下の西暦は、特に断りのない限り、すべてグレゴリオ暦である。 概説→「明仁から徳仁への皇位継承」も参照 2019年(令和元年)5月1日午前0時、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)」の規定に基づいて、第125代天皇明仁が退位し「上皇」になり[1]、明仁の第一皇男子である徳仁親王が第126代天皇に即位した[2][3]。この皇位の継承を受けて、「元号法」並びに「元号を改める政令 (平成三十一年政令第百四十三号)[4]」の規定に基づき、「平成」から「令和」に改元された[5]。 これは明治以降の憲政史上初めてであり[注 2]、202年ぶり[注 3] となる天皇の譲位に伴う改元[6]である。また、徳仁の即位礼正殿の儀が同年10月22日に行われた。
略年表
改元改元に至る経緯当時の天皇であった明仁が譲位の意を示したのは2010年(平成22年)7月22日とされており[21]、2016年(平成28年)8月8日に宮内庁は、その前日に撮影した、当時82歳になる天皇からのビデオメッセージを公表。それによると、自らの高齢化により今までのように公務が果たせなくなることを懸念し、「公務が途切れることなく安定的に続くことを望む」との趣旨で正式に発言し、その前に皇太子徳仁親王(当時)に皇位を譲りたい趣旨の叡慮を示した[22]。 これまでの改元時とは異なり、OA化、インターネット化が進んでおり、新元号への対応準備の期間を確保する必要があることから、憲政史上初めて新元号が改元の1か月前となる2019年(平成31年)4月1日に「事前公表」された。「令和」のローマ字表記は「Reiwa」。政府高官によると、近現代の「明治(Meiji)」「大正(Taisho)」「昭和(Showa)」「平成(Heisei)」と同じ頭文字となる「M、T、S、H」の各案は当初から除外したという(詳細は「#備考」を参照)。 新元号決定に関する公文書は、「公文書等の管理に関する法律」により「30年間の非公開期間」が設定される[23]。また、元号発表時に掲げられた「墨書」も同様に公文書と扱われ[24][25]、2021年(令和3年)3月末まで内閣府で保管された後、同年4月以降は国立公文書館に移管、永久保存されることとなった[26][27]。これは平成への改元時に掲げられた墨書[28]が一時、首相・竹下登の私物となり、しばらく一般には所在不明となっていたこと(「平成#発表」を参照)の反省によるものとされる[29]。 元号案の選定と考案者政府は2019年(平成31年)4月1日の新元号発表に向けて、極秘裏に専門家への委嘱と元号案の選定を行っており、考案者については、考案者本人の希望および元号が特定の個人と関連づけられることは好ましくないという考えから、公表しない方針である[30]。 2019年2月上旬ごろ、当時の内閣官房長官・菅義偉は元号担当の古谷一之らが事前に選定した約20の候補から絞り込みを開始した[31]。2月下旬から3月上旬にかけて菅は当時の首相・安倍晋三に報告した。3月14日付で国文学や漢文学の専門家に正式委嘱した。3月27日、安倍首相、菅官房長官、事務担当の内閣官房副長官・杉田和博、古谷が協議し、原案を6つに固めたとみられる。 4月1日の「元号に関する懇談会」に示された6案は、以下の通りであると後に報道されている[32][33][34][35][36]。
元号案を委嘱された人物としては、上記に挙げられた人物のほかに池田温(東洋史)[33][37]、小倉芳彦(中国古代史、正式委嘱はなし[37][38])らが挙げられている。 安倍首相は古谷らに選定過程で「天皇をたたえる国書よりも万葉集の方がいい」との意向を伝えていた。原案となる6案が固まる以前、安倍は当初の協議では絞り込まれた候補の中から『万葉集』と『古事記』に由来する「天翔(てんしょう)」を評価し、一時期最有力案であったが、イニシャル表記が大正とかぶることに加え、「俗用されていない」という条件がクリアできない(同名の葬儀社などが存在した)ことから最終案から外された[39]。そのため、3月下旬に追加の元号案が委嘱され[39]、中西が「令和」を考案したと報じられている[40]。安倍は当初は「英弘」を評価していたという[41] が、「令和」が提出された後は、安倍、菅、杉田、古谷の協議で「『令和』がもっとも適している」との認識で一致したという。事務方では中国の古典に由来する「万和」を有力視していたが、安倍は国書ではないことや濁音が入ることに難色を示したため、首相秘書官の今井尚哉が笹川陽平から紹介された国学院大学の関係者とされる人物に考案させた3案を独自に提示していた[42]。このうち「桜花」と「佳桜」は『万葉集』が出典であるが、出典の無い造語「知道」も提示されたという[42]。 発表直後から、マスコミにより「令和」の考案者は『万葉集』を専門とする中西であると報じられたが、中西本人は明確な回答を控えている[43]。しかし、その後の雑誌インタビューの中で事実上自らが考案者であることを認めたとも報じられた[44]。発表直後の時点では、中西は時事通信の取材に対し「元号は中西進という世俗の人間が決めるようなものではなく、天の声で決まるもの。考案者なんているはずがない」と発言している[45]。 元号の発表2019年(平成31年)4月1日、総理官邸にて「元号に関する懇談会」を午前9時30分から開催し、参加した有識者たち一人ひとりに意見を聴取した。10時8分に懇談会は約40分で終了[46]した。参加した有識者は、以下のとおりである[47]。
懇談会開催にあたっては、機密保持のため、官邸内の盗聴対策はもちろん、官邸に入る際に所持品検査を行い、携帯電話などの情報機器を持ち込ませず、トイレに行く際は職員を随行させ、トイレには電波妨害装置も取り付けるなどの徹底した対策を行っている[48]。 10時20分頃から衆議院議長公邸にて、衆議院正副議長(大島理森・赤松広隆)と参議院正副議長(伊達忠一・郡司彰)から意見を聴取[49]。総理大臣官邸にて11時ごろから11時15分にかけて第4次安倍第1次改造内閣の全閣僚会議が開催され[50]、臨時閣議を経て、新元号の閣議決定となった。閣議決定後に山本信一郎宮内庁長官は皇居・御所にいる天皇明仁の元へ、西村泰彦宮内庁次長は東宮御所の皇太子徳仁親王の元へそれぞれ赴き、新元号決定に関する報告を行った[51]。 11時41分、当時の内閣官房長官菅義偉(第4次安倍第1次改造内閣)が記者会見で新元号を発表した[52][53]。会見の模様は後の首相による会見も含め、NHK(日本放送協会)をはじめとする全テレビ・ラジオ局にて生中継された他、Twitter・Facebook・Instagram・YouTube Liveの官邸公式アカウントとニコニコ生放送(ニコニコニュース)にてライブストリーミング配信も行われた[54]。
と言い、新元号「令和」を墨書した台紙(茂住修身書[55][56])を示すことにより、発表を行った。ここまでの改元の手続きや新元号の発表は全て、平成改元時を踏襲したものとなった[57]。 同日12時05分、当時の内閣総理大臣(首相)・安倍晋三(第4次安倍第1次改造内閣)が記者会見を行い、内閣総理大臣談話を発表した。その中で、安倍首相は「『人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ』という意味を込めた」と説明した[58]。首相自ら発信する機会が増大した事を踏まえ、平成改元時と違い、改元に関する首相談話の発表は首相自ら行った[59]。なお、昭和から平成への改元時は、新元号(改元)についてというよりも、改元の理由となった「昭和天皇の崩御と皇太子明仁親王の新天皇即位(皇位継承)」について、1989年(昭和64年)1月7日に当時の竹下登首相が「大行天皇崩御に際しての竹下内閣総理大臣の謹話[60]」を発表したという点で異なる(平成元年が開始したのは、翌1月8日から)。 同日、「元号を改める政令(平成31年政令第143号)」が天皇[注 5] の允裁を受けたあと、「官報特別号外第9号」によって公布され、2019年(令和元年)5月1日施行と定められた。あわせて、読み方は「れいわ」である旨を定めた内閣告示「元号の読み方に関する内閣告示」(平成31年内閣告示第1号)が公布された。 また、英語(ローマ字)表記では「Reiwa」となる旨が、日本が国家承認している195か国の各国政府および国際機関、日本の対台湾窓口機関・日本台湾交流協会を通じて、台湾(中華民国)における事実上の駐日大使館に相当する台北駐日経済文化代表処に通知された[注 6][61][62][63]。 発表直後から、各国報道陣は速報でこの新元号を独自の訳に言い換えて報道した[64]。しかし、各報道陣独自の訳とあって統一性に欠けることや、間違ってかけ離れた意味[注 7]で訳され誤認につながる可能性を踏まえ、外務省は各国在外公館に対し「令和」は「Beautiful Harmony(美しい調和)」との英訳で統一する方針を定め、各国在外公館にこの方針に沿い対外的に説明するよう指示した[65]。 中国思想史が専門の小島毅(東京大学教授)によれば、「当時の言葉遣いから大伴旅人は呉音で読むことを想定したのではないかとし、『令』の発音は漢音の『れい』ではなく呉音の『りょう』、ローマ字表記もより実際の発音に近い『Leiwa』が適しているのではないか」という意見を表明している[66]。 典拠「令和」の典拠は、『万葉集』巻五[67] の「梅花謌卅二首并序(梅花の歌 三十二首、并せて序)」にある一文である[68]。 以下に、漢文で記されたその序文の全文を記す。 この序文は天平2年1月13日(グレゴリオ暦730年2月8日[70]、ユリウス暦730年2月4日)、大宰帥(大宰府の長官)である大伴旅人の、大宰府政庁(北緯33度30分53.2秒 東経130度30分54.4秒 / 北緯33.514778度 東経130.515111度)近傍にある邸宅で催された宴(梅花の宴)の様子を表している[71][72]。作者については、旅人や山上憶良らが挙げられている[73]。 大伴旅人の邸宅は政庁の北西、現在の坂本八幡宮(現・福岡県太宰府市、北緯33度31分0.1秒 東経130度30分49.5秒)付近などが候補地に挙げられている[74]。 以下に、上記の下線部分の原文(原文にはない句読点つき)、書き下し文、現代日本語訳の一例を表す。 中央大学教授の水上雅晴は、天皇が自ら元号を決定していた(昭和以前の登極令の下)時代に公家が元号の候補を審議した『難陳(なんちん)』[78] の際に、中国古典だけでなく日本書紀も引用されたことがあったことを指摘している[79]。平成改元時にも日本の古典を出典とする案はあったが、最終案には残らなかった[10]。 漢籍の影響説「令和」の考案者とされる中西進は以前の著書[どれ?]の中で、「序文の構成」について「王羲之による『蘭亭序』の形式を模したもので、『唐風にならい、仏教を受容しつつ国家的整備を進めた時代』に詠まれたものだと解説している」という。 一方で、中西は「令和」発表後の万葉集講座・インタビューの中で、「中西進という人が考案者と言われているが、ここにいるのは違う人間」としつつ「令和」について誤解が多いとしている。漢籍の帰田賦に類似の文があるとの意見には、「私には理解できない。考案者には理解できなかっただろう」「同じ言葉があるという出典論は江戸時代の学問だ。比較文学の観点からは、文脈が同じかどうかが大事だ」と述べ、否定しており[80]、「帰田賦」の「令月」は2月を指しているが、『万葉集』に収録されている、大伴旅人による「梅花の歌の部」序文の「令月」は1月であり、また「和」の意味合いも違うことから「同じものと考えるのは理解できない」としている[81]。また「(「令和」と蘭亭序・帰田賦との間に)確かに形式などに共通性を見いだすことも可能ですが、文脈や意味がかなり異なるので、典拠にあたるとは思いません」「そもそも僕は、出典が何かより、その言葉がどのような表現かの方が大事だと考えます」としている[82]。 『朝日新聞』によると序文について、「新元号の発表後、中国において「令和」の典拠となった『万葉集』より数百年前、張衡という文人が詠んだ『帰田賦(きでんのふ)』という詩によく似た一節があるとの指摘が広がった」としている[83]。また、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』(岩波書店)の補注において、「令月」の用例として詩文集『文選』巻十五収録の後漢時代の文人・張衡による詩「帰田賦」の句、
《原文》※約物は後世に調整された形。※太字は新元号に採用された字。
《書き下し文》※ここでの読みは文語とする。
が挙げられている[84]。 岩波書店によると、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』の語注に令月は「仲春令月、時和気清」(後漢・張衡「帰田賦」・文選十五」)とある指摘は、江戸時代中期の学僧・契沖の著した『万葉代匠記』に見られ、また戦後の万葉集研究を牽引した学者・澤瀉久孝の著した『万葉集注釈』にも見られるとしている。契沖は序の書き起こし方は、東晋時代の書聖・王羲之の著した『蘭亭序』にならったものではないかと推測している。ほかにも「令」「和」の出る個所は、『文選 詩篇(二)』(岩波文庫)では、『清和』という詩語の注にも引かれており、そこでの訓読は、「仲春の令(よ)き月、時は和(やわ)らぎ気は清し」である[85]。 毎日新聞によると[要文献特定詳細情報]、遣隋使・遣唐使が持ち帰った古代中国の美文をまとめた『文選』は、文章を作成する上での最高の模範で、平安時代前期頃までに成立した日本の古典は、中国の古典の表現を元にして書かれた部分が多いとされ、元号の出典にする場合、「中国の古典の表現を孫引きすることになる」との指摘が出ていたとし、
といったコメントを紹介している。また、複数の漢学者から前掲句の影響が指摘されているが、政府は文選が原典にあたるかなどについて論評はしていないとしている。一方、中華人民共和国外交部傘下の外交学院の周永生教授や北京大学の王新生教授は、日本の古典文化が中国の古典文化の影響を受けているとしながらも、「帰田賦」と「令和」の語には「二者には直接の関係はない」との見方を示している[86]。 東京新聞によると[要文献特定詳細情報]、「安倍首相は新元号の由来が日本の古典(国書)だと強調し、支持する保守層の期待に応えた形だが、しかし二世紀の後漢の時代に活躍した文学者で科学者の張衡の詩文『帰田賦』の一節がある」としたうえで、
といったコメントを紹介している。 書家の石川九楊は新元号発表の翌日に、中日新聞の三品信に電話をかけ、「きのう新元号が発表されましたが、あの出典は中国の後漢の文人、張衡の『帰田賦』です。国書がどうこうなんて言っている人間は、あまりにも教養がなさすぎる」と言った、と同紙に記されている[87]。 時代の流れ時代概説令和一桁代2019年(令和元年)5月1日から現在。 2019年(平成31年)4月30日24時、第125代天皇明仁が退位したことに伴い、明仁第1皇子男子の徳仁が第126代天皇に即位し、「平成」から「令和」に改元された。改元の瞬間には全国各地でカウントダウンなどが行われ、改元後全国各地で多くの国民が新天皇即位を祝った。また、インターネットやテレビでは、即位の礼の一部である剣璽等承継の儀や即位後朝見の儀が生中継された。即位礼正殿の儀は同年10月22日に行われる予定となっている。前述の通り、第125代天皇明仁は明治以降の憲政史上初めて退位し、また皇室史上始めて「上皇」の称号を奉呈された天皇となった。一方で、第126代天皇に即位した徳仁には皇位継承権を有する皇子がいないため、秩父宮雍仁親王以来86年ぶりで、現行の皇室典範の下では初めて皇太子が空位となり、代わりに徳仁の皇弟の秋篠宮文仁親王が皇位継承順位第1位の皇嗣となった。 令和が発表されてすぐの平成31年4月9日午前に紙幣の刷新をすることが明らかになり、2024年(令和6年)に7月3日に新しく変更された。新たに採用された肖像画となる人物は渋沢栄一(一万円紙幣)、津田梅子(五千円紙幣)、北里柴三郎(千円紙幣)の3名が選ばれた。紙幣とともに五百円硬貨も新しく変更することとなり、紙幣よりも3年早い2021年(令和3年)に変更された。 2019年(令和元年)5月25日から28日にかけてアメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領が令和初の国賓として来日した。トランプ大統領は滞在2日目の26日、午前中は千葉県で安倍総理大臣とゴルフを楽しみ、夕方からはメラニア夫人と東京都の両国国技館を訪れ、安倍総理大臣夫妻と共に大相撲夏場所の千秋楽を観戦し、27日には日米首脳会談を行った。 2020年(令和2年)は新型コロナウイルスが猛威を振るい、世界中で感染者や死者が続出した。また、日本では3月中旬から学校や職場が休業となり、学校は6月に至るまで休校期間となった。また、緊急事態宣言が7都府県で発令され、その後全国に拡大した。その後緊急事態宣言は解除されたが、東京都内でクラスター感染が確認され、東京都内において東京アラートが発令された。 2021年(令和3年)7月23日から8月8日までの17日間にわたり、東京オリンピックを開催。新型コロナの影響で、史上初の1年延期、無観客での開催となった。 2022年(令和4年)7月8日 に奈良県奈良市の大和西大寺駅北口で、自民党の安倍晋三元首相が選挙演説中に手製銃で銃撃され、安倍晋三銃撃事件が発生し、同日夕方、死亡が確認された。 宗教文化思想史
災害史
年表
歴代総理大臣
西暦との対照表
令和を冠するもの文化・芸能音楽
テレビ番組・ドラマ
芸能人その他
地名・公共施設・交通機関・学校等
その他
備考新元号「令和」の発表当日における国内最高齢の人物は1903年(明治36年)1月2日生まれの田中カ子(当時116歳)であり[154]、その時点において明治生まれ(107歳以上)の生存者は数千人規模いると推測されていた。このことから、英字表記時の頭文字が明治以降のものと被らないことが望ましいとされ、M(明治)、T(大正)、S(昭和)、H(平成)の4字以外の頭文字の元号になると予測されており、実際に政府高官もそれを認めたと言われる。 「令和」の頭文字はRとなるが、このことからインターネットを中心に、来たる令和18年(2036年)の略記が「R18」となることから、令和18年生まれの人を心配する書き込みが多数見られた[155]。 ローマ字読みが「REIWA」であることから、海外企業であるオーストラリアの不動産協会「REIWA[156](The Real Estate Institute of Western Australia=西オーストラリア州不動産協会。「リーワ」と読む[157])」の公式サイト「reiwa.com」に日本からの接続が一時的に増えた。その割合は70パーセントにも及んだ[158]。同団体のCEOは取材に対し「私たちは、日本の新元号を歓迎しています。研究所としても、これを西オーストラリアの不動産市場における我々の認知向上の機会と捉えています」とコメントしている[159]。 商標権に関しては、中国の国家知識産権局商標局ウェブサイトによると、2018年に令和が日本酒などの商品名として偶然にも商標登録されていた[160]。なお、日本の特許庁では元号の商標登録を原則として拒否している[161]。 チベットにおいてはチベット語の「རེ་བ(rewa、望み・希望)」と発音が似ているとされ、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のルントック代表は、「新元号発表後、『音が同じ』と何本も電話がありました。チベット語は母音に長短がなくRを重く発声しますが、日本人にはとても似て聞こえるようです」としたうえで、「チベットは深刻な状況が続き暗いニュースが多いので、明るい話題で注目されてうれしい」「日本の新元号に、チベット人が『希望』をもらった気持ち」とコメントした[162]。 2019年4月1日、タイ王室が日本の皇室ともゆかりの深いタイでは、日本政府が新元号「令和」を公表したことをタイメディアは次々と報じ、『マティチョン』は「日本政府が新たな元号『令和』を発表し、5月1日から使われる」と伝え、内閣官房長官菅義偉が発表した際の写真も掲載した[163]。 2019年(令和元年)12月2日発表の2019ユーキャン新語・流行語大賞で「令和」がトップ10に選出された[164]。また同月12日、2019年の今年の漢字が令和の「令」に決定[165]。 手話においては元号発表時にレベルの高い手話通訳者による同時通訳が実施されたが、菅長官が最初に「れいわ」と発言した際には誤って「めいわ」と訳すミスがあった[166]。全国手話研修センターでは事前に手話を作り、元号公表時に読みと新しい手話を発表することを望んでいたがスケジュールの問題で叶わず、通訳者もその場で初めて知ったうえ聞き分けにくいとされる「れ」と「め」でミスが誘発されたとしている[166]。なお2回目以降の発言は「れいわ」と訳されている[166]。対応策として、元号発表の翌日には厚生労働省の委託により新しい手話を考案している全国手話研修センターの日本手話研究所が令和を表す手話を発表した[167]。指を上に向けて蕾のような形にしてから前に動かしながら指を開くもので、典拠となっている梅の花が開く様子をイメージしたという[168][169]。 また、発表直後に各地で新元号発表の号外が配られたが、大阪・JR大阪駅前や東京・新橋駅前では号外を求める群衆が殺到して転倒者も出るなど激しい混乱となり、救急車や警察が出動する騒ぎとなった[170][171]。このため、一部の新聞社では混乱を避けるためデータとして配布する措置を取った[172]。 脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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