富山刑務所富山刑務所(とやまけいむしょ)は、富山県富山市西荒屋にある、法務省矯正局の名古屋矯正管区に属する刑務所。 かつては下部機関として高岡拘置支所の1か所の支所が存在していたが、2021年(令和3年)3月に廃止された[1]。 所在地
収容分類級
再犯者の短期処遇が目的の刑務所である。 収容定員
沿革1881年(明治14年)5月28日、石川県富山囚獄懲役署を、石川県富山監獄署と改称[2]。 1883年(明治16年)4月、石川県富山監獄署が富山監獄支署と改められ[3]、同年2月24日の出口変更の願い出を受けて[3]、同年5月9日に出口変更の工事に着手した[4]。同年7月に富山県監獄本署と改められ、高岡、魚津に支署を設けた1886年(明治19年)には、高岡、魚津の支所が監獄に昇格したものの、1890年(明治23年)6月に廃止された[5]。 富山監獄所時代の1888年(明治21年)には、同所の囚人を分駐して、現在の富山市大沢野地区に『大沢野外役所』を設置していた[6]。 1899年(明治32年)6月5日、富山城西の丸跡にあった県富山監獄署が西田地方(後の西中野町)に移転[7]。同年6月中に再び高岡、魚津に支署を設けたものの1902年(明治35年)に魚津支署が廃止された。1903年(明治36年)4月に司法省直轄の施設となる。1905年(明治38年)4月には高岡支署も主張所に改められた[5]。 1920年(大正9年)11月14日、金沢監獄富山分署として堀川村(現・富山市)に新築落成し[8]、1924年(大正13年)に金沢刑務所富山支所となった。1945年(昭和20年)には富山大空襲により施設の大半を焼失。1947年(昭和22年)に本所に昇格したことに伴い現在の名称『富山刑務所』に改称された。施設の老朽化に伴い[9][10]、1972年(昭和47年)1月11日に移転が決定し[11]、1973年(昭和48年)に現在地の刑務所が着工、1974年度中の完成を目標に工事を進め、1975年(昭和50年)6月3日に現在地へ移転した[9][10]。 跡地には1982年度までに富山市城南公園と富山市科学博物館として整備された[12][13]。 組織所長の下に2部1課を持つ2部制である。
特記事項
脚注
外部リンク座標: 北緯36度39分15.3秒 東経137度11分48.5秒 / 北緯36.654250度 東経137.196806度 |
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