市郡 |
町村 |
町村章 |
由来 |
制定日 |
廃止日 |
備考
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室蘭市 |
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不明 |
1922年 |
1936年4月13日 |
初代の市章である 市制施行時に吏員(職員)徽章として制定された[183]
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夕張郡 |
角田村 |
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不明 |
1917年[184] |
1940年3月23日 |
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不明 |
1940年3月23日 |
1949年7月25日 |
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長沼町 |
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不明 |
1952年5月9日 |
1967年9月12日 |
初代の町章である
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栗山町 |
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不明 |
1949年7月25日 |
1963年6月19日 |
初代の町章である
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高島郡 |
高島町 |
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不明 |
1922年5月1日 |
1940年4月11日 |
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上磯郡 |
木古内村 |
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不明 |
1917年10月30日 |
1942年6月16日 |
初代の町章である
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山越郡 |
長万部町 |
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不明 |
1913年4月 |
1953年6月15日 |
初代の町章である
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不明 |
1953年6月15日 |
1973年8月29日 |
初代の町章である
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紋別郡 |
下湧別村 |
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不明 |
1952年5月9日 |
1953年10月1日 |
初代の町章である
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利尻郡 |
鴛泊村 |
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不明 |
1923年4月1日 |
1956年9月30日 |
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茅部郡 |
落部村 |
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不明 |
1915年6月[185] |
1957年4月1日 |
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網走郡 |
津別町 |
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不明 |
1946年9月10日 |
1958年7月1日 |
初代の町章である
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茅部郡 |
尾札部村 |
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不明 |
1915年 |
1959年5月1日 |
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臼尻村 |
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不明 |
1915年4月23日 |
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上川郡 |
永山町 |
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不明 |
1952年5月9日 |
1961年4月1日 |
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雨竜郡 |
深川町 |
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不明 |
1955年8月31日 |
1963年5月1日 |
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納内村 |
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不明 |
1957年9月13日 |
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空知郡 |
幌向村 |
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不明 |
1950年8月9日 |
1964年6月10日 |
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奥尻郡 |
奥尻町 |
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不明 |
1906年 |
1966年1月1日 |
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空知郡 |
富良野町 |
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不明 |
1932年12月 |
1966年5月1日 |
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山部村 |
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不明 |
1935年 |
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山部町 |
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不明 |
1965年7月15日 |
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赤平市 |
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ブラックダイヤモンド及びピッケルの配合・四つの炭鉱・歯車・真ん中に「赤」を表したもの[186] |
1949年7月1日[186] |
1966年12月2日 |
赤平町章として制定され、初代の市章として制定された
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札幌郡 |
手稲町 |
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「ていね」の「て」を図案化したもの |
1961年[187] |
1967年3月1日 |
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上川郡 |
神楽町 |
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不明 |
1954年11月11日 |
1968年3月1日 |
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河東郡 |
上士幌町 |
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不明 |
1950年6月28日 |
1968年5月1日 |
初代の町章である
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虻田郡 |
ニセコ町 |
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不明 |
1933年[188] |
1968年5月15日 |
狩太村章として制定され、町制施行後かつニセコ町に改称後に初代の町章として継承された
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虻田郡 |
士幌町 |
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不明 |
1926年6月1日 |
1968年6月12日 |
初代の町章である
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広島村 |
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不明 |
1934年4月 |
1969年10月20日 |
初代の町章である
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雨竜郡 |
多度志町 |
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不明 |
1963年8月9日 |
1970年4月1日 |
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河東郡 |
音更町 |
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不明 |
1919年[189] |
1970年4月10日 |
音更町章として制定され、町制施行後に初代の町章として継承された
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幌泉郡 |
幌泉町 |
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不明 |
1959年1月1日 |
1970年4月14日 |
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上川郡 |
東鷹栖町 |
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不明 |
1934年9月28日 |
1971年3月2日 |
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亀田市 |
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「亀田」を図案化し、亀の頭・手足・尾は田地と龜田・神山・鍛冶・桔梗・石川を表したもの[190] |
1915年11月12日[190] |
1973年12月1日 |
亀田村章として制定され、町制施行後かつ市制施行後に継承された
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松前郡 |
福島町 |
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1965年9月14日 |
1975年11月3日 |
初代の町章である
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虻田郡 |
倶知安町 |
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六角形が雪の結晶、中央部に「北」を丸くし、そして更にその中に「倶」を表したもの[9] |
1916年4月1日[9][191] |
1991年6月30日 |
初代の町章である 現在は倶知安役場の徽章として準用されている[192]
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上川郡 |
東神楽町 |
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外枠は八咫鏡で「楽」を表し、「東」を旭日章として配したもの[193][194] |
1953年8月31日[194] |
1993年1月1日 |
東神楽村章として制定され、初代の町章として継承された
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石狩郡 |
石狩町 |
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円の中央は四つの「イ」を組み合わせて「イシ」として、周りの右側は「カ」を変形し、左側は「リ」を表したもの[195] |
1927年4月1日[196] |
1996年2月12日 |
1920年に制定され、1927年4月1日に再制定された[195][196] 初代の町章である
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河西郡 |
芽室町 |
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「星」は北極星を表し、中央部は「芽」を配したもの[197] |
1919年8月[198] |
1999年10月1日 |
芽室村章として制定され、町制施行後に初代の町章として継承された
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亀田郡 |
戸井町 |
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「と」を図案化し、汐首岬の渦潮を配したもの[199] |
1968年10月1日[200] |
2004年12月1日 |
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恵山町 |
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輪郭の円は「円満と総体」を意味し、四つの巴は各集落にある湾を表したもの[201] |
1918年4月24日[200] |
尻岸内村章として制定され、尻岸内町章として継承された
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椴法華村 |
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「ト(T)」を図案化し、トドマツを表しているもの[202][203] |
1976年8月30日[200] |
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茅部郡 |
南茅部町 |
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「M」を中心にし、尾札部村・臼尻村の両漁村地帯の合併を表したもの[204] |
1959年9月1日[200] |
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茅部郡 |
森町 |
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「森」を象った三ツ星を図案化したもの[205][206] |
1966年12月24日[207] |
2005年4月1日 |
制定前から使用され、1966年12月24日に正式に制定される[206]
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砂原町 |
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内浦湾の湾型を表し、二つの大字から成立したもの[208][209] |
1917年10月24日[207][209] |
砂原村章として制定され、町制施行後に継承された
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久遠郡 |
大成町 |
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「大成」を上の半月と下の半月に分けて図案化したもの[210][211] |
1955年7月20日[211] |
2005年9月1日 |
大成村章として制定され、町制施行後に継承された
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瀬棚郡 |
瀬棚町 |
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開拓者精神と町民共同発展を三本杉岩に表している[5] |
1968年5月1日[212] |
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北檜山町 |
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「北」を図案化し、右を上にしたものは「き」・左を上にしたものは「た」を表しているもの[213][214] |
1965年11月3日[213][214] |
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士別市 |
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外形を四個の人の字を繋ぎ合して、内側は「士」を図案化したもの[65][215] |
1954年9月3日[215] |
初代の市章である
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上川郡 |
朝日町 |
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「アサヒ」を図案化したもの[215] |
1962年8月23日[215] |
色は黒色と白色が指定されている[216]
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厚田郡 |
厚田村 |
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「アツタ」を円形にして模様化したもの[217][218] |
1963年10月[218] |
2005年10月1日 |
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浜益郡 |
浜益村 |
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「ハマ」を円形に図案化し、「マス」を表現したもの[219][220] |
1968年5月28日[220] |
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紋別郡 |
生田原町 |
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九つの地区(旭野・生田原・伊吹・岩戸・清里・豊原:水穂・八重・安国)をスクリューにして、互いに協力し合うことを表し、その中心の大字である生田原を表したもの[221][222] |
1945年[223] |
生田原村章として制定され、町制施行後に継承された
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丸瀬布町 |
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円は「丸」と「住民」の「和」を象徴し、中側の三角とその更に中側はマツを表し、三つの三本の線は湧別川・武利川・丸瀬布川を表したもの[222][224] |
1949年4月15日[225] |
丸瀬布村章として制定され、町制施行後に継承された
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白滝村 |
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「白」を波紋に模したもの[222] |
1949年8月1日[226] |
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山越郡 |
八雲町 |
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八重雲を表し、その中に「八」・さらに、その下に北斗七星を表したもの[227] |
1917年4月26日[228] |
八雲村章として制定され、町制施行後に初代の町章として継承された
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爾志郡 |
熊石町 |
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船の舳の中央に躍動する魚の模様を配したもの[229] |
1968年3月17日[229] |
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阿寒郡 |
阿寒町 |
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「アカン」を円形(輪)と翼にしてかつ組み合わせて図案化したもの[176][230] |
1952年8月10日[230][231] |
2005年10月11日 |
阿寒村章として制定されたものを町制施行後に継承された
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白糠郡 |
音別町 |
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「オン」を組み合わせ、町内の三大産業(鉱業(coal)の「C」を円に蔵し・「オン」を以て、林業を木・農業)を表したもの[230] |
1965年8月20日[230][232] |
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上磯郡 |
上磯町 |
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四つの「上」を菱形に意匠化したもの[233] |
1916年4月15日[234] |
2006年2月1日 |
上磯村章として制定され、町制施行後に継承された
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亀田郡 |
大野町 |
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外円は三つの「大」・中円は三つの「の」を表したもの[235] (正確な由来ではない[236]) |
1915年12月21日[234][235] |
大野村章として制定され、町制施行後に継承された 作者は不明である[235][236]
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広尾郡 |
忠類村 |
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全体は「忠」を図案化し、四方に旭日の如く輝く気持ちを表したもの[237][238] |
1954年1月15日[238] |
2006年2月6日 |
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有珠郡 |
大滝村 |
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円は「和」と広がり・三本の斜線は「農業・観光・福祉」を表したもの[239][240] |
1965年9月1日[241] |
2006年3月1日 |
色は円の部分は金色・三本の斜線の部分は銀色が指定されている[240]
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沙流郡 |
日高町 |
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日輪(太陽)を背にして大きく羽ばたくタカを表したもの[242] |
1955年7月1日[242] |
日高村章として制定され、町制施行後に初代の町章として継承された
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門別町 |
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「門」を星形にして六角形にしたもの[243][244] |
1967年12月22日[244] |
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常呂郡 |
端野町 |
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「タンノ」を円形に図案化したもの[245] |
1946年10月1日[245] |
2006年3月5日 |
町旗は一部異なるデザインである[246] 1947年1月1日に再制定された[247] 端野村章として制定され、町制施行後に継承された
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留辺蘂町 |
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「ル」を正三角形に図案化して、「山」・「温泉」を示す地図記号を象徴かつ「心」と読むもの[248] |
1964年8月12日[248] |
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常呂町 |
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外側は「呂」であり、六つの「コ」で囲み、内側は「常」を図案化したもの[249][250] |
1950年11月1日[251] |
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枝幸郡 |
枝幸町 |
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「エ」を取り巻く四つの「サ」で「エサシ」を図案化したもの[252][253] |
1947年10月1日[254] |
2006年3月20日 |
初代の町章である
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歌登町 |
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中央部に「U」を図案化し、上部半円は宗谷支庁(現:宗谷総合振興局)・外郭は北海道を示し、北側を表したもの[253] |
1962年5月25日[255] |
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空知郡 |
栗沢町 |
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北斗七星と「栗」と組合わせて図案化したもの[256] |
1992年6月20日[256] |
2006年3月27日 |
栗沢村制時の1921年に当時の村長である山田勢太郎によって使われ、町制施行後にも継承され、1992年6月20日の条例によって制式に制定された[256]
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北村 |
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簡明直截に「北ムラ」を表すと共に、横三線は石狩川を円形にしたもの[256] |
1966年3月10日[256] |
1949年から使われ、1966年3月10日に議会議決され、正式に制定された[256]
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名寄市 |
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「ナ」を四つ組み合わせて名寄を表したもの[257] |
1956年4月1日[258] |
1956年5月14日に告示された[257][259] 初代の市章である
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上川郡 |
風連町 |
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「風」を四つ連ねて「風連」を表し、かつ全体で「米」を図案化したもの[260] |
1940年5月[260] |
当時の下多寄小学校校長(現:名寄市立風連下名寄小学校)の作品である[260]
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虻田郡 |
虻田町 |
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「A」と「ア」を円形にしかつ組み合わせて図案化したものであり、円内は噴火湾と洞爺湖をかたどり・中央部の三角は付近の山々と逆三角形は洞爺湖・商業と工業かつ鉱業を表したもの[261] |
1962年9月1日[261] |
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洞爺村 |
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真ん中の円は「太陽」と洞爺湖・六つの「ト」を雲形六角形に表したもの[261][262] |
1968年4月16日[261] |
色は紺碧色が指定されている[263]
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勇払郡 |
鵡川町 |
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「川」と「米」を円形にして組み合わせて図案化したもの[264] |
1960年1月1日 |
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穂別町 |
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全体的(総体的)に「ホ」を図案化し、Y字線は鵡川と穂別川の交流・三角形は周囲の山を表す[265][266] |
1962年6月18日[266] |
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追分町 |
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全体は機関車の車輪を型取り、「追分」を円形に図案化したもの[267] |
1958年10月1日[267] |
1958年9月に制定されたものを10月1日に再制定される[268]
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早来町 |
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「ハヤ」を円形に図案化し、「人の和と団結」たもの[267][269] |
1961年10月10日[267] |
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網走郡 |
女満別町 |
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「女」を表象し、五つの頂点を表したもの[270][271] |
1968年3月12日[270][271] |
2006年3月31日 |
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東藻琴村 |
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「東モコト」を円形に図案化したもの[271] |
1947年2月11日[271] |
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静内郡 |
静内町 |
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全体を対称形にして、その内訳は七つの円を組み合わせ、四つの「ツ」の組合わせで「静」を表し、「内」を型どった円弧を上下に置いたもの[272][273] |
1950年9月9日[273] |
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三石郡 |
三石町 |
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三つの「石」の字を図案化したものを組み合わせたもの[273] |
1951年11月[274] |
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紋別郡 |
湧別町 |
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中央の星形は「北」を北斗七星で表し、その中に「湧」を配し、外側は「別」を円形に図案化したもの[4][8] |
1953年10月1日[4] |
2009年10月5日 |
初代の町章である
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上湧別町 |
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「カミ」を図案化し、中央の星形は屯田兵村を表したもの[4] |
1968年6月18日[7] |
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虻田郡 |
喜茂別町 |
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北斗七星を図案化し、その中に「喜」を配したもの[4] |
1952年7月1日[4] |
2016年10月12日 |
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