瞰望岩から望む遠軽市街地(2016年9月)
遠軽市街地(西町1丁目より南町・豊里方面、2016年9月)
遠軽町 (えんがるちょう)は、北海道 オホーツク総合振興局 管内、紋別郡 にある町 。
なお現在の自治体としての遠軽町は、2005年 (平成 17年)に当時の遠軽町、生田原町 、丸瀬布町 、白滝村 の紋別郡3町1村が対等合併して新たに設置された自治体であるが、本項では便宜上合併以前の旧・遠軽町、およびその前身の旧・遠軽村についても述べる。
概要
オホーツク管内中部に位置する内陸の町で、上川管内 と接している。人口 は、市部を除いたオホーツク管内15町村の中で最も多く(2017年9月末現在[ 1] )、北海道全体の町村の中でも6番目である(2017年1月現在[ 2] )。面積 の広さは「市町村 」としては全国9位・道内5位(北方領土 内の留別村 を含む)、市を除いた「町村」としては留別村・足寄町 (いずれも道内)に次ぐ全国3位である。
町の西端に道央圏とオホーツク海側とを結ぶ主要ルートの1つ・北見峠 があり、中心の遠軽地区は道央方面と紋別・北見・網走の各方面との交通の結節点 として栄えた。また西部の白滝地区は旧石器時代 には国内有数の黒曜石 およびそれを原材料にした石器の産地であり(白滝ジオパーク )、大正時代 には合気道 創始者の植芝盛平 が入植し武術 の道に入ったゆかりの地としても知られる。
1919年 (大正 8年)に、当時の上湧別村から分村して二級町村・遠軽村が設置された後、生田原村(のちに町)、丸瀬布村(のちに町)、白滝村がそれぞれ遠軽村(→町)から分村されたが、前述のとおり2005年 (平成17年)に4町村が新設合併して(新)遠軽町が誕生。現在の遠軽町域は、1919年の遠軽村設置当初の領域と同じになっている。なお旧遠軽町は過疎地域 の適用を受けていなかったが、他の3町村がいずれも過疎地域の指定自治体だったことから、新町発足後は基準によりすべての地域で過疎地域に指定されている。
町名の由来
現在の瞰望岩(がんぼういわ)を指していたアイヌ語 の「インカルシ(inkar-us-i)」(眺める・いつもする・所)に由来する[ 3] [ 4] 。かつてはここで見張りをしたという[ 4] 。
湧別村時代の1901年 、郵便路線整備にともなう新郵便局設置のため現地視察した札幌郵便局 管理課員が、瞰望岩を示すアイヌ語名称を意義深いとして、学田農場付近に設置した新局に「遠軽郵便局」 と名付けたことが始まりで、のち新設された官公庁や学校などもこれにならい、地名として定着した[ 5] 。
地理
上川管内・上川町 との町境にそびえる北大雪山系 東麓から、湧別川 およびその支流の流域にあたる東西47km、南北46kmの広い町域を持ち、その大半は山林であるものの河川沿いには農業・酪農に適した平地も多くある。最高所は上川町との境界に位置する武利岳(標高1,876m)で、これはオホーツク管内の最高峰でもある。市街地は旧4町村(遠軽、生田原、丸瀬布、白滝)のそれぞれにあり、市街地の標高 はもっとも低い遠軽(町役場本所)で74m、もっとも高い白滝(白滝総合支所)で357mである。
山 : 武利岳 (1,876m) 、支湧別岳 (1,688m)、平山 (1,771m)、チトカニウシ山 (1,446m)、北見富士 (1,306m)、六郷山 (416m)
河川 : 瀬戸瀬川、生田原川 、湧別川 、社名淵川、武利川、丸瀬布川
滝 : 山彦の滝 、鹿鳴の滝、十三の滝、白滝
その他: 瞰望岩(がんぼういわ) - 約700万年前の新生代 新第三紀 中新世 後期、海底火山 から噴出した安山岩 質の水中溶岩 (ハイアロクラスタイト )と火山性の砂岩 礫岩の堆積物で形成された遠軽市街地の岩丘[ 6] 。標高 160.8m。断崖頂部から地表まではおよそ78mの高さがある。アイヌ人の古戦場となった伝説がある。北海道自然百選選出。国の名勝 に指定(名勝地群「ピリカノカ」の一部として)[ 7] 。
六郷山(2019年9月)
湧別川(2019年8月)
山彦の滝(2017年8月)
気候
ケッペンの気候区分 では亜寒帯湿潤気候 (Dfb)に属する。夏は晴天の日が多く、内陸部のため日中の最高気温が30℃を超えることもよくみられるが、日平均気温は比較的低く湿度も低い。冬は最低気温が-20℃を下回ることが多いが、降雪量は道央 の日本海側より少なく、雪質は軽い。
町内の気象庁 アメダス 観測地点は遠軽(東町、1977年 10月24日 観測開始)、白滝(白滝北支湧別、1993年 1月27日 観測開始[ 8] )、生田原(生田原、1977年 10月25日 観測開始)、丸瀬布(丸瀬布武利、1984年 10月5日 観測開始)の4か所。いずれも有線ロボット気象計による観測で、遠軽、白滝、生田原は4種目(遠軽、白滝は積雪の深さも観測)、丸瀬布は降水量のみ観測している。以下は1981年から2010年までの30年間の観測データに基づく遠軽の気候表である。
遠軽 (1981年 - 2010年平均)の気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
最高気温記録 °C (°F )
9.2 (48.6)
12.0 (53.6)
17.1 (62.8)
30.9 (87.6)
32.7 (90.9)
35.3 (95.5)
36.4 (97.5)
36.6 (97.9)
33.3 (91.9)
27.8 (82)
22.8 (73)
16.6 (61.9)
36.6 (97.9)
平均最高気温 °C (°F )
−2.7 (27.1)
−2.1 (28.2)
2.4 (36.3)
10.6 (51.1)
17.0 (62.6)
20.3 (68.5)
23.7 (74.7)
25.5 (77.9)
21.3 (70.3)
15.3 (59.5)
7.3 (45.1)
0.3 (32.5)
11.6 (52.8)
日平均気温 °C (°F )
−8.3 (17.1)
−8.1 (17.4)
−2.9 (26.8)
4.6 (40.3)
10.4 (50.7)
14.3 (57.7)
18.2 (64.8)
19.9 (67.8)
15.3 (59.5)
8.9 (48)
2.1 (35.8)
−4.7 (23.5)
5.81 (42.45)
平均最低気温 °C (°F )
−15.1 (4.8)
−15.4 (4.3)
−9.1 (15.6)
−1.4 (29.5)
4.0 (39.2)
9.0 (48.2)
13.6 (56.5)
15.3 (59.5)
9.9 (49.8)
3.0 (37.4)
−3 (27)
−10.5 (13.1)
0 (32.0)
最低気温記録 °C (°F )
−29.2 (−20.6)
−29.5 (−21.1)
−26.2 (−15.2)
−18.1 (−0.6)
−5 (23)
−0.6 (30.9)
3.7 (38.7)
5.6 (42.1)
0.7 (33.3)
−5.2 (22.6)
−16.6 (2.1)
−23.9 (−11)
−29.5 (−21.1)
降水量 mm (inch)
49.5 (1.949)
32.1 (1.264)
34.4 (1.354)
40.9 (1.61)
54.8 (2.157)
58.2 (2.291)
97.7 (3.846)
114.5 (4.508)
113.7 (4.476)
80.5 (3.169)
51.1 (2.012)
52.9 (2.083)
794.5 (31.28)
降雪量 cm (inch)
162 (63.8)
135 (53.1)
120 (47.2)
30 (11.8)
2 (0.8)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
24 (9.4)
117 (46.1)
596 (234.6)
平均月間日照時間
92.4
110.2
155.2
166.2
182.9
167.0
144.9
151.1
152.2
143.6
109.8
91.2
1,671
出典1:気象庁 [ 9]
出典2:気象庁[ 10]
観測史上1位
歴史
日本キリスト教会 遠軽教会会堂。札幌北一条教会 旧会堂の意匠を採って建設された[ 11] (1931年 建設、大通南二丁目)
救世軍 遠軽小隊が1915年 に初代の橋を架橋した救世橋(道道社名淵瀬戸瀬停車場線 )
遠軽町は1896年 (明治 29年)、プロテスタント の日本基督教会 (現・日本キリスト教会 )が、札幌で活動していた宣教師の信太壽之ら東北学院 (仙台市 )の神学部出身者を中心に創設した北海道同志教育会 のキリスト教徒 によって開拓が始まった道内でも珍しい歴史を持つ[ 12] 。
当地にキリスト教主義の私立大学を設立することをめざして1897年 、学田地 と名付けた湧別村湧別原野第四小作地(のちの遠軽市街地周辺)に最初の集団入植を行い、現在の岩見通南二丁目1番地付近に「学田農場事務所」を設置したが、翌年にかけて冷害や大水害に見舞われ、最終目的の大学建学は果たせなかった。
しかし学田農場事務主任でのち遠軽郵便局 初代局長を務めた野口芳太郎と入植者らが築いた基盤を元に1902年 、日本基督教会 遠軽教会が創設された。遠軽教会は1922年 には国内純農村の教会としては初の独立自給教会となった。現在も日本キリスト教会 遠軽教会として伝道活動を行っている[ 13] 。
また学田の入植者らが基礎を築き、1913年 に設立された救世軍 北海道連隊遠軽小隊は国内最北の小隊である。学田の名は今も地名(遠軽町学田)として残っている。
経済
主な産業は商業と農業、林業、木材加工業である。開拓期に学田農場入植者の手で始められたハッカ 栽培が戦後にかけて盛んだったほか、1935年 には農林省 北見種馬所(のち遠軽種畜牧場)が設置された。1950年 に設置された北海道農業試験場 遠軽試験地(遠軽町福路、1997年 廃止)では寒地向けニホンハッカ8品種が開発され、寒冷地のハッカ産業に貢献した。
遠軽駅 はかつて、旧名寄本線 と石北本線 の接続駅として栄え、国鉄 遠軽機関区などの現業機関が多く設置されていた。1951年 には町が旧農林省遠軽種畜牧場跡に警察予備隊 駐屯地を誘致し、陸上自衛隊 遠軽駐屯地 が置かれている。
産業分類別就業者数
2010年 国勢調査 における産業分類別就業者数の上位区分(500人以上)は次の通りである。
区分
人数
医療・福祉
1,497人
卸売業・小売業
1,344人
公務
1,234人
建設業
1,008人
製造業
858人
農業・林業
844人
サービス業
548人
教育・学習支援業
506人
立地企業
ヤマハミュージッククラフト北海道(旧・北見木材) - ヤマハ が製造するグランドピアノ 用木製部材の生産・供給を行う。
王子木材緑化 北海道支店遠軽営業所
ベル食品 遠軽工場 - 旧・エヌケイフーズ。レトルト食品製造。レトルトスープカレー 商品を初めて開発した。2007年 、主要取引先だった加ト吉 (香川県 観音寺市 )が循環取引 発覚に伴う手形不渡りを起こしたあおりを受けて倒産。ベル食品が買収して子会社化し、2014年 に遠軽工場として統合。
ノルディックファーム
イト電商事 - 家電・電材・建材販社。家電を取り扱っている岩見通南2丁目の本社所在地は遠軽の開基となった北海道同志教育会学田農場の事務所跡地で、敷地内に記念碑が建つ。
農協・共済組合
金融機関
遠軽信用金庫本店
遠軽信用金庫生田原支店
北洋銀行遠軽支店
北海道労働金庫遠軽出張所
商業
ショッピングセンター
商業施設
Aコープえんゆう遠軽店
Aコープえんゆう生田原店
コープさっぽろプラザ店
北雄ラッキーシティえんがる店
DZマート遠軽店
マツヤデンキ遠軽店
坂本ホーマ遠軽店
ホーマックニコット遠軽店
サッポロドラッグストアー遠軽店
ツルハドラッグ遠軽店
ツルハドラッグ遠軽南町店
ゲオ遠軽店
電力
北海道電力
遠軽ネットワークセンター
湧別川水力発電所 - 出力690kW(湧別川ダム、1924年 運転開始)
瀬戸瀬水力発電所 - 出力25,000kW(武利ダム、1980年 運転開始)
工営エナジー
白滝発電所 - 出力270kW。村内電化促進のため白滝村と白滝村農業協同組合が湧別川に1952年 設置。白滝・旧白滝地籍境界付近の湧別川右岸に、数百メートル上流の取水堰と導水管で結ばれた発電機を設けている。白滝村営(白滝村電気事業委員会)、のち遠軽町営の遠軽町白滝発電所(出力220kW)として運転し、後年は北海道電力に売電していたが、2011年 の台風被害で運転を停止。2014年 に日本工営 関連会社の工営エナジー子会社・NK北海道水力発電が無償譲受し、設備の更新工事を行ったのち、工営エナジーがNK北海道水力発電を吸収合併して直営化し[ 14] 2016年 7月2日 に運転を再開した。固定価格買い取り制度 を利用して発電全量を売電している[ 15] 。
メディア
商工団体・観光協会
遠軽商工会議所(岩見通南二丁目)
えんがる商工会(丸瀬布中町) - 生田原支所・白滝支所
えんがる町観光協会(南町三丁目) - 丸瀬布地域委員会・白滝地域委員会・生田原地域委員会
郵便
郵便局
簡易郵便局
宅配便
遠軽北センター・遠軽南センター
官公庁
遠軽町役場
本所(1条通北3丁目1-1)
生田原総合支所(旧生田原町役場・生田原339-1)
生田原総合支所安国出張所(旧生田原町役場安国出張所・生田原安国32番地)
丸瀬布総合支所(旧丸瀬布町役場・丸瀬布中町115-2)
白滝総合支所(旧白滝村役場・白滝138-1)- 遠軽町埋蔵文化財センター・遠軽町白滝ジオパーク 交流センターを併設
国の機関
法務省
厚生労働省
農林水産省
北海道森林管理局 網走西部森林管理署
生田原合同森林事務所
丸瀬布合同森林事務所
白滝合同森林事務所
国土交通省
防衛省
道の機関
保健福祉部
オホーツク総合振興局
遠軽合同庁舎
保健環境部紋別地域保健室遠軽地域保健支所
保健環境部社会福祉課遠軽社会福祉事務出張所
産業振興部網走農業改良普及センター遠軽支所
西部森林室遠軽事務所
網走建設管理部遠軽出張所
警察
遠軽警察署 - 駅前交番、生田原警察官駐在所、安国警察官駐在所、丸瀬布警察官駐在所、白滝警察官駐在所
消防
地域
人口
遠軽町と全国の年齢別人口分布(2005年)
遠軽町の年齢・男女別人口分布(2005年)
■ 紫色 ― 遠軽町■ 緑色 ― 日本全国
■ 青色 ― 男性■ 赤色 ― 女性
遠軽町(に相当する地域)の人口の推移
1970年 (昭和45年)
33,330人
1975年 (昭和50年)
30,785人
1980年 (昭和55年)
30,428人
1985年 (昭和60年)
29,444人
1990年 (平成2年)
26,735人
1995年 (平成7年)
25,769人
2000年 (平成12年)
24,844人
2005年 (平成17年)
23,648人
2010年 (平成22年)
22,258人
2015年 (平成27年)
20,873人
2020年 (令和2年)
19,241人
総務省 統計局 国勢調査 より
消滅集落
2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落 となっている[ 16] 。
医療
教育
中学校
遠軽町立遠軽中学校
遠軽町立南中学校
遠軽町立生田原中学校
遠軽町立安国中学校
遠軽町立丸瀬布中学校
遠軽町立白滝中学校
小学校 - 社名渕小学校は2006年 閉校し東小学区に、支湧別小学校は2011年 閉校し白滝小学区に、瀬戸瀬小学校は2021年 閉校し南小学区に編入。
遠軽町立遠軽小学校
遠軽町立南小学校
遠軽町立東小学校
遠軽町立生田原小学校
遠軽町立安国小学校
遠軽町立丸瀬布小学校
遠軽町立白滝小学校
学校教育以外の施設
公営住宅
道営団地
町営団地
遠軽地域 - 山の手、豊里、末広、川岸、学田、北2丁目、向遠軽、寡婦住宅、瀬戸瀬、ふくろ
生田原地域 - 学校通、大和、北区、コーポ白樺、栄行、共進、生野、伊吹高原定住、林友定住、安国中央定住、日進
丸瀬布地域 - 新町第1号、新町第2号、新町第3号、新町、新町緑ヶ丘、若葉、若葉第2号、水谷、天神、天神第2号、元町、新町定住1号、新町定住2号、新町定住4号、新町定住5号、新町定住6号、西町定住、天神定住、天神定住2号、上武利定住2号、フレッシュ若葉、やまなみ
白滝地域 - あけぼの、中央、東区、南区、西区、西区第2、上白滝、上支湧別、アゼリアハイツ、しらかば、南区定住
交通
空港
鉄道
「白滝発祥の地」付近を走行するキハ40
かつて存在した駅は次の通り(路線の表記がないものは石北本線)
バス
遠軽町営バス
詳細は各記事を参照。
道路
道の駅遠軽 森のオホーツク
道の駅まるせっぷ
道の駅しらたき
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
北海道指定有形文化財の北海道家庭学校 礼拝堂
太陽の丘えんがる公園 のコスモス園
ロックバレースキー場(旧ロッジ、遠軽インターチェンジ整備工事に伴う新施設建設のため2018年 解体)
ちゃちゃワールド
ホテルノースキング
丸瀬布森林公園いこいの森 の「雨宮21号 」と井笠鉄道 (岡山県 )客車
文化財
国の史跡
国宝
北海道白滝遺跡群出土品 - 石器、接合資料含む1965点(遠軽町埋蔵文化財センター収蔵)
国の名勝
北海道指定有形文化財
幌加川遺跡出土の石器群
北海道家庭学校礼拝堂 - 北海道家庭学校開校5周年の1919年 に完成した木造の教会建築
観光
遠軽地域
生田原地域
ちゃちゃワールド - 木製のおもちゃをテーマとする観光施設[ 17] 。1998年(平成10年)4月28日に開館[ 17] 。
生田原温泉「ホテルノースキング」 - 名称は戦前生田原市街地に隣接して操業した「帝国産金北の王鉱山」にちなむ。
ノルディックファーム
オホーツク文学館 - JR北海道 生田原駅 駅舎を兼ねて1993年 開館。オホーツクを舞台とした文学作品や作者自筆の原稿などの資料約500点を展示。
オホーツク文学碑公園
丸瀬布地域
森林公園いこいの森 - 北海道遺産 指定の武利意森林鉄道 蒸気機関車「雨宮21号 」を動態保存
丸瀬布温泉
丸瀬布昆虫生態館 - 丸瀬布温泉の廃熱を利用した昆虫館
平和山公園 - 丸瀬布水谷町。ふもとの弘政寺住職が1945年 に譲り受けたフジの木をきっかけに戦後増やし続けた延長約1kmのフジ棚で知られ、1973年 から毎年6月 に「藤まつり」が開かれている。
山彦の滝 - 武利川上流にある高さ28mの滝で、1897年 2月 に上武利地区在住のアイヌ人青年、村山カムイカウックが発見した。滝の裏側に回り込むことができる道内では数少ない「裏見の滝」。冬季は道路が閉鎖されるが、滝が完全に結氷して巨大な氷柱が現れることから、町教委や町観光協会による観察会やナイトツアーが開かれる。
鹿鳴の滝
十三の滝
道の駅まるせっぷ
白滝地域
祭事など
コスモスフェスタ(9月 - 10月)
コスモス開花宣言花火大会(8月下旬)
湧別原野100kmクロスカントリースキー大会(2月下旬)
遠軽がんぼう夏祭り(7月) - かつては桜祭り、冬祭りも行われていたが遠軽市街地の商業衰退で消滅
ヤマベまつり(7月中旬) - ダムがなくヤマベ(ヤマメ )釣りの名所として知られる湧別川支流生田原川の釣り解禁に合わせて開催
姉妹都市・提携都市
海外
日本国内
出身者
その他の著名人
「合気道ゆかりの地」碑
水谷政次郎(1877年 - 1950年 ) - 戦前の日本における製パン 最大手「マルキ号製パン」(本店:大阪市 西区 )の創業者。香川県 高松市 出身。イースト菌 を使用した機械による製パンを日本に初めて導入し広く普及させた製パン工業化の祖で、「東洋のパン王」と呼ばれた。製パンに適した北海道産小麦の大規模生産に取り組み、1922年 に遠軽村丸瀬布(当時)の岩井農場を買収して機械化された小麦農場を開設。原料輸送ルートとなる石北本線 の敷設陳情活動(カボチャ陳情団 )を支援した。功績をたたえ丸瀬布市街地に「水谷町(現・丸瀬布水谷町)」として地名に残る。
植芝盛平 (1883年 - 1969年 ) - 合気道 の創始者。和歌山県 田辺市 出身。1912年 (大正元年)に紀州団体54戸の団体長として紋別郡上湧別村白滝原野基線235番地(現・遠軽町上白滝23番地)に入植。7年間にわたり白滝地域の開拓・発展に尽力し上湧別村会議員も務めるかたわら、この地で武術の道に入った。入植地跡には旧白滝村が1983年 に建立した「合気道ゆかりの地」の記念碑がある。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
遠軽町 に関連するカテゴリがあります。
脚注
外部リンク
公式