市郡 |
町村 |
市町村章 |
由来 |
制定日 |
廃止日 |
備考
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那賀郡 |
伊南村 |
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不明 |
1918年[19] |
1923年2月11日 |
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能義郡 |
安来町 |
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安来公園の社日桜を表したもの[20] |
不明 |
1954年4月1日 |
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八束郡 |
玉湯町 |
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2つの勾玉を束ねたもの |
不明 |
1979年6月 |
初代の町章である
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安来市 |
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「安ギ」を図案化したもの[21] |
1954年4月1日[21] |
2004年10月1日 |
初代の市章である 1954年4月26日に再制定された[7] 色は赤色が指定されている[22]
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能義郡 |
広瀬町 |
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「吐月山」を図案化したもの[21] |
1899年6月10日[21] |
旧・広瀬町制時に制定され、新・広瀬町制時に継承された[21]
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伯太町 |
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「伯太」を図案化したもの[21] |
1954年7月1日[21] |
色は緑色が指定されている[23]
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江津市 |
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「江ツ」を鳥の形に図案化したもの[24][25] |
1954年10月8日[26] |
初代の市章である
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邑智郡 |
桜江町 |
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「サ」を図案化したもの[27] |
1956年1月1日[26] |
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邑智町 |
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「邑」を図案化し、周囲の円は融和と発展を表したもの[28] |
1958年10月[29] |
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大和村 |
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円形は「大和」、左右の三本の筋は合併前に三村(都賀村・都賀行村・布施村)を表したもの[30] |
1967年[30] |
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瑞穂町 |
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中心に「円」・生産性を表すために「稲束(イネの束)」を表したもの[31][32][33] |
1964年8月19日[31] |
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石見町 |
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「い」を図案化したもの[34] |
1957年7月26日[34] |
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羽須美村 |
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「羽」を図案化したもの[35] |
1967年2月11日[36] |
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隠岐郡 |
西郷町 |
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隠岐(隠岐島後)の玄関である西郷港(西郷湾)を図案化し、上部に西郷市街地・左右に愛宕山・中央部は日本海を表したもの[37][38] |
1984年10月7日[39] |
1921年刊行の「西郷町誌」で発案・使用されていたものを1984年10月7日に告示された[40]
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布施村 |
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三本(三箇所の部落である飯美・卯敷・布施を表している)の杉・松を使ったもの[41][42] |
1916年3月31日[41][42] |
1914年に制定されたものを再制定したもの[41]
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五箇村 |
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全体の円形は村の融和と団結、中央の空白部分は「ゴ」を表したもの[43][44] |
1979年[43] |
制定前は作成されていなかった[45]
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都万村 |
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左右対称の半円は闘牛の角、真ん中の二つの三角形は高田山を表したもの[46] |
1979年[47] |
制定前は作成されていなかった[48]
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美濃郡 |
美都町 |
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「ミト」を図案化したもの[6] |
1956年4月1日[6] |
2004年11月1日 |
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匹見町 |
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「匹」を図案化したもの[6] |
1955年7月1日[6] |
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大原郡 |
大東町 |
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桜の花の真ん中に「大」を配したもの[49][50] |
1903年11月6日[50] |
旧・大東町制時から使用され、新制施行後に継承される
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加茂町 |
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「カ」を力強く表し、雄和と発展を表したもの[51] |
1974年5月1日[52] |
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木次町 |
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「木」を鋭くして図案化したもの[53][54] |
1958年10月[54] |
1981年10月26日に告示される[53]
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飯石郡 |
三刀屋町 |
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全体を亀の形にし、三つの「ト」と「Y」を表したもの[55][56] |
1954年1月20日[57] |
第二次世界大戦前に制定されていたが詳細は不明である[55]
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掛合町 |
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「×」は乗法で「掛」を「+」は加法で「合」を意味し、前向きに表したもの[58][59] |
1951年4月1日[58] |
明治時代に制定されていたが、詳細は不明である[58]
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吉田村 |
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四つの「よ」と「田」を合わせて丸く円満を目的とするために図案化したもの[60][61] |
1889年4月1日[60] |
町村制より前に制定されていたが、詳細は不明である[60]
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飯石郡 |
頓原町 |
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頓原の「ト」と志々の「志」を「四」に読み替え、円形に組み合わせたもの[62] |
1958年[63] |
2005年1月1日 |
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赤来町 |
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「ア」を図案化したもの[64] |
1959年5月[65] |
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出雲市 |
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「出」を表したもの[66] |
1947年11月3日[66] |
2005年3月22日 |
初代の市章である 1957年11月3日に形状を決定した[67]
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平田市 |
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「ヒラ」を図案化したもの[66] |
1955年10月20日[66] |
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簸川郡 |
佐田町 |
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「サ」を象徴したもの[66] |
1956年12月21日[66] |
佐田村章として制定され、町制施行後に継承された[68]
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多伎町 |
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円と弧は「和」を象徴し、「タキ」を組み合わせたもの[66] |
1966年9月30日[66] |
多岐村章として制定され、町制施行後に継承された[69]
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湖陵町 |
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「コ」を円形に図案化したもの[66] |
1969年11月3日[66] |
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大社町 |
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「大」を表したもの[66] |
1961年9月26日[66] |
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八束郡 |
鹿島町 |
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「カしマ」を図案化したもの[70][71] |
1971年5月[71] |
2005年3月31日 |
1980年7月15日に告示された[72]
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島根町 |
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左側の半円で「し」・右側の半円と点で「マ」・中央が「ネ」をあしらったもの[73] |
1971年12月11日[74] |
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美保関町 |
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「美」を図案化し、合併前の四町村(美保関町、千酌村、片江村、森山村)をがっちりと結び、円満団結と飛躍を表したもの[75][76] |
1957年5月31日[76][75] |
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玉湯町 |
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玉(勾玉)を中央にしてから「ユ」を湾曲させて、それらで単純明快に図案化たもの[70][77] |
1979年6月[77][78] |
2代目の町章である
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宍道町 |
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「宍」を曲がった形にして発展を意味して図案化したもの[70][79] |
1975年11月14日[80][81] |
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八束町 |
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八つの「カ」を円周で組み合わせたもので「八カ」=「八束」読むことが出来、町内の八大字(江島・遅江・亀尻・寺津・入江・波入・二子・馬渡)を表したものである[70][82] |
1970年4月1日[83] |
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八雲村 |
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旧岩坂村・旧熊野村・旧大庭村を円満な形にして象徴したもの[70][84] |
1954年3月10日[84][85] |
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仁多郡 |
仁多町 |
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「仁」を円形と三角形にして図案化したもの[23] |
1955年[86] |
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横田町 |
(赤色篇)
(青色篇) |
「よ」を鳩の形に図案化したもの[87] |
1959年7月[87] |
色はメインカラーは赤色(横田レッド)・サブカラーは青色(横田ブルー)が指定されている[87]
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鹿足郡 |
津和野町 |
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三つの松葉を意匠化し、その中に「津」を配したもの[88] |
1955年1月10日[89] |
2005年9月25日 |
旧・津和野町制時(制定日不明[89])に制定され、新町制時に継承され、1978年1月1日に再制定された[88] 初代の町章である
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日原町 |
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「日」を図案化したもの[88] |
1938年4月10日[88] |
制定前から仮に使用していた[90]
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那賀郡 |
金城町 |
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「カ」を図案化したもの[5] |
1960年7月10日[5] |
2005年10月1日 |
金城村章として制定され、町制施行後に継承した
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旭町 |
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「旭」を図案化したもの[5] |
1958年12月1日[5] |
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弥栄村 |
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「ヤサカ」を大胆に組み合わせて図案化したもの[5] |
1967年9月27日[5] |
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三隅町 |
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三つの「ス」を図案化したもの[5] |
1955年4月1日[5] |
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邇摩郡 |
温泉津町 |
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「ゆ」を輪上にして図案化したもの[91][92] |
1954年7月3日[91] |
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仁摩町 |
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白字で「二」・赤字で「マ」を組み合わせ、表したもの[93][94] |
1954年7月[93] |
色は赤色と白色が指定されている[93]
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鹿足郡 |
六日市町 |
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「六日」を組み合わせたもの[95] |
1970年6月6日[95] |
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柿木村 |
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三角形を組合せたもの[95] |
1968年12月24日[95] |
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八束郡 |
東出雲町 |
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「ヒ」・「雲」を図案化したもの[4] |
1963年11月5日[4] |
2011年8月1日 |
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斐川郡 |
斐川町 |
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「ひ川」を組み合わせたもの[4] |
1955年[4] |
2011年10月1日 |
斐川村章として制定され、町制施行後に継承した
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