美郷町(みさとちょう)は、島根県の中央部に位置する町。邑智郡に属している。
2004年(平成16年)10月1日、郡内の邑智町と大和村が新設合併して発足した。
地理
江の川が町を貫通し、東部の山々は中国山地に連なる。町域の一部は豪雪地帯に指定されている。
隣接している自治体
歴史
美郷町の中心地である粕渕は中国山地を北流する江の川が大きく湾曲し、西流する地点にあって、江の川舟運の要地として栄えてきた。江戸時代は天領石見銀山の支配地で、幕末の慶応2年(1866年)には第二次長州征伐に出陣した備後福山藩主阿部正方が脚気を患い、逗留したこともあった。
浜原は、上流から小舟でやってきた荷物を大舟に積み替える場所で、問屋が並び栄えていた。明治時代に入ると地域の道路が整備され始め、大正時代に上流で熊見水力発電所が完成すると舟運が途絶え、商業の中心地は粕淵へ移った。
昭和時代初頭に延伸してきた三江線は、当初、江の川の湾曲部分をトンネルでショートカットする計画で、粕淵、浜原を通らない予定であったが、地元の運動により川沿いにルートを移した[1]。なお、三江線は2018年に廃線となった(後述)。
行政
警察
川本警察署の管轄となっている。
地域
人口
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美郷町と全国の年齢別人口分布(2005年)
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美郷町の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 美郷町 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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美郷町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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10,494人
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1975年(昭和50年)
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9,262人
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1980年(昭和55年)
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8,838人
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1985年(昭和60年)
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8,372人
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1990年(平成2年)
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7,606人
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1995年(平成7年)
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7,211人
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2000年(平成12年)
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6,624人
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2005年(平成17年)
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5,911人
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2010年(平成22年)
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5,351人
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2015年(平成27年)
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4,900人
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2020年(令和2年)
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4,355人
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総務省統計局 国勢調査より
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- 世帯数 : 2,490世帯(2008年10月1日)
教育
2009年(平成21年)3月31日に島根県立邑智高等学校が閉校して以降、町内に存在する教育機関は小学校および中学校のみである。
小学校
中学校
経済・産業
豊かな自然や伝統文化を生かした観光客誘致に力を入れている(後述)。
猪肉と「美郷バレー」構想
中国山地にも棲むイノシシを猟銃やワナで仕留めて猪肉(山くじら)を食べる文化があったほか、過疎化による人口減少と耕作放棄地の増加に伴い農作物に対するイノシシの食害が1990年代から深刻さを増したため、囲いワナの設置とイノシシの捕殺実績に補助金を出すようになった[2]。2004年に「おおち山くじら生産者組合」を結成して、捕らえたイノシシを生きたまま処理施設に運べる箱ワナに切り替えるなどして質の高い猪肉を生産し、ブランド化を進めた[2]。
組合員が高齢化したため「おおち山くじら」は2017年に株式会社へ事業承継し、さらに他種を含めた鳥獣害対策版のシリコンバレーをめざす「美郷バレー」構想を2018年に始め、ジビエとしての活用だけでなく農地への接近阻止などを含めた総合的な対策に取り組んでいる[2][3]。
交通
鉄道路線
町内を鉄道路線は通っていない。最寄り駅は、JR西日本山陰本線大田市駅となる。
かつて存在した鉄道路線・駅
- JR西日本
中心となる駅は粕淵駅であった。
バス路線
道路
- 一般国道
- 県道
郵便
郵便番号は以下の通りとなっている。
- 粕淵郵便局:699-46xx、699-47xx、696-11xx、696-07xx
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
温泉
出身人物
脚注
- ^ 「終着駅の町 鉄道廃止論どこふく風」『中國新聞』昭和46年10月15日 5面
- ^ a b c 島根県美郷町「おおち山くじら物語」獣害対策、資源の利活用、そして地域づくりへ『ビッグイシュー』VOL.449(2023年2月15日発行)pp.12-14
- ^ 美郷バレー構想(2023年2月26日閲覧)
外部リンク