仁木町
仁木町(にきちょう)は、北海道の後志総合振興局の北部に位置する町。1964年(昭和39年)11月1日に旧大江村が改称するとともに町制を施行して成立した[1]。果樹栽培が盛んな町である。 地理町域は余市川流域とその周りの山地である。余市川は「し」の字を描くように、町の南東から入って北に抜ける。川は上流で赤井川村を流れ、下流部の河口付近は余市町中心部なので、仁木町は余市川の中流に広がっていることになる。仁木町内で両岸に1、2キロメートル幅の平地があり、最も川下にあたる町境付近では幅4キロメートルほどにもなる。その平地は、川上の大江地区までは主に水田に利用され、仁木地区では山の裾野とともに果樹園に利用されている。町の中心市街は仁木地区の仁木駅前と国道5号沿いに広がる。 余市川沿いの住所地名は川上側から、尾根内、長沢南、銀山、その川下に大江、さらに下流の平野に南町・東町・西町・北町となる。余市川下流で、平地は川の東に発達し、西は狭い。その狭い西側流域には、川上側から、然別川の合流点付近に然別、砥の川の合流点付近に砥の川、仁木町中心部と川をはさんで向かい合い旭台がある。
隣接している自治体歴史1879年(明治12年)11月に、仁木竹吉(にき たけよし)ら360余名が徳島県(現在の徳島県吉野川市)から集団で入植したのが和人定住の始まりで、翌年に仁木村が成立した。仁木町の名は仁木竹吉にちなむ。山口県からの移民を中心に、1883年(明治16年)3月に大江村が成立した。大江は、長州藩を支配した毛利氏の祖先とされる大江広元にちなむ。1920年の人口は、5476人であった。仁木では早くからリンゴの栽培が盛んで、現在まで果樹園が広がる。一方、大江では米作りが盛んであったので、稲と林檎が町の産業の二つの柱であった。20世紀後半になるとサクランボ、ブドウも加えた果樹の比重が高まった。 沿革
行政
経済産業山が多いため、耕地は町の面積の10.5%(2002年(平成14年))しかないが、主な産業は農業である。特に仁木地区で果樹の栽培が盛んで、リンゴ、ブドウ、サクランボが作られる。野菜も盛んに作られる。水田は耕地の半分近くだが、農業産出額の中では13%(2002年(平成14年))にとどまる。
立地企業
農協
金融機関
郵便局
※ 集配業務は余市郵便局が担当 宅配便公共機関警察
消防
姉妹都市・提携都市国内徳島県の川島町が仁木村を作った仁木竹吉の出身地にあたることから、1974年(昭和49年)に姉妹町になった。川島町が合併して吉野川市の一部になったことに伴い、姉妹町関係は解消になった。 地域人口
教育
交通鉄道路線2030年度末の北海道新幹線新函館北斗 - 札幌間開業後は町内を経由する予定であるが、駅や信号場は設置されない。 バス
道路最も重要な道路は町を南北に通る国道5号で、北に余市町、小樽市を経由して札幌市に通じ、南には共和町と連絡して遠く函館市まで通じる。北の余市町の近くとは平地続きのため道路網が発達しているが、他の町村との連絡は経路が限られる。国道5号は稲穂峠の下の稲穂トンネルによって南の共和町に出る。稲穂峠に向かうため余市川を離れる国道5号からは、北海道道1022号仁木赤井川線が分岐して、なお東に余市川沿いに走り、隣の赤井川に入る。北海道道36号余市赤井川線は冷水峠によって赤井川村と余市町を結ぶもので、仁木町を通るのは冷水峠付近のごく一部である。余市川の左岸(西岸)を余市町から南に然別川まで通じるのが北海道道755号然別余市線で、この道道は北西に折れてポン然別川の上流にある然別の廃坑そばまで通じる。
通信市外局番は0135(余市MA地域)。なお、同じ0135である岩内MA地域にかけるには、市外局番からかける必要がある。 市内局番は、主に仁木町中心部で32、銀山地区で33。 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事文化財
観光
イベント仁木町出身の有名人関連項目脚注
外部リンク
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