国鉄タキ5500形貨車
国鉄タキ5500形貨車(こくてつタキ5500がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した私有貨車(タンク車)である。 本形式と同じ専用種別であるタキ5550形、タキ10250形についても本項目で解説する。 タキ5500形タキ5500形は、シクロヘキサン専用の30t積タンク車として1960年(昭和35年)8月3日に5両(タキ5500-タキ5504)が富士重工業にて製作された。2年後の1962年(昭和37年)12月20日に2両(タキ5507-タキ5508)が東急車輛製造にて増備され合計7両が製作された。この際タキ5505-タキ5506はなぜか使用されることなく空番のままであった。 本形式の他にシクロヘキサンを専用種別とする形式にはタキ5550形(後述)、タキ10250形(後述)の2形式が存在した。 所有者は三井物産、常備駅は名古屋臨海鉄道汐見町線の汐見町駅であった。 1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「燃31」(燃焼性の物質、引火性液体、危険性度合2(中))が標記された。 塗装は黒、全長は13,900mm、全幅は2,544mm、全高は3,884mm、台車中心間距離は9,800mm、実容積は38.5-40.0m3、自重は19.1-20.9t、換算両数は積車5.0、空車2.0、台車はベッテンドルフ式のTR41Cであった。 1985年(昭和60年)9月13日に最後まで在籍した2両(タキ5507 - タキ5508)が廃車となり同時に形式消滅となった。 タキ5550形
タキ5600形より3両(コタキ5603、コタキ5600、コタキ5601)の専用種別変更(シクロヘキサノン→シクロヘキサン)が1966年(昭和41年)2月28日に1両(コタキ5550)、同年11月29日に2両(コタキ5551-コタキ5552)が富士重工業にて行われ、形式名は新形式であるタキ5550形とされた。 記号番号表記は特殊標記符号「コ」(全長 12 m 以下)を前置し「コタキ」と標記する。 所有者は、種車落成時より一貫して関東電化工業であり、その常備駅は群馬県の渋川駅であった。 1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「燃31」(燃焼性の物質、引火性液体、危険性度合2(中))が標記された。 塗装は黒、全長は11,800mm、全幅は2,450mm、全高は3,853mm、台車中心間距離は7,700mm、実容積は32.3m3、自重は17.9t、換算両数は積車4.5、空車1.8、台車はベッテンドルフ式のTR41Cであった。 1986年(昭和61年)11月29日に全車(3両)が一斉に廃車となり同時に形式消滅となった。 タキ10250形
タキ10250形は、シクロヘキサン専用の35t 積タンク車として1967年(昭和42年)12月6日から1971年(昭和46年)12月21日にかけて3ロット3両(タキ10250 - タキ10252)が、川崎車輛(その後「川崎重工業」へ社名変更)1社にて製作された。 落成時の所有者はタール製品取扱業協同組合であり、常備駅は鹿児島本線の西八幡駅(現・廃駅)であった。その後所有者は、1979年(昭和54年)1月17日に全車(3両)が日本陸運産業へと名義変更された。 1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「燃31」(燃焼性の物質、引火性液体、危険性度合2(中))が標記された。 塗装は黒、全長は12,010mm、全幅は2,720mm、全高は3,860mm、台車中心間距離は8,210mm、実容積は44.8m3、自重は16.0t、換算両数は積車5.0、空車1.6、台車はベッテンドルフ式のTR41Cであった。 1987年(昭和62年)3月23日に最後まで在籍した1両(タキ10251)が廃車となり同時に形式消滅となった。 年度別製造数各年度による製造会社(改造会社)と両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)
参考文献
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