国鉄タキ11200形貨車
国鉄タキ11200形貨車(こくてつタキ11200がたかしゃ)は、1968年(昭和43年)から製作された、リン酸専用の 35 t 積 貨車(タンク車)である。 私有貨車として製作され、日本国有鉄道(国鉄)に車籍編入された。1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に車籍を承継された。 本形式と同一の専用種別であるタキ11300形についても本項目で解説する。 タキ11200形タキ11200形は1968年(昭和43年)から1978年(昭和53年)にかけて14両(コタキ11200 - コタキ11213)が川崎車輛、新潟鐵工所、日本車輌製造にて製作された。 記号番号表記は特殊標記符号「コ」(全長 12 m 以下)を前置し「コタキ」と標記する。 本形式の他にリン酸を専用種別とする形式は、タ4200形(1両)、タム8200形(3両)、タキ1200形(1両)、タキ1250形(8両)、タキ3650形(1両)、タキ11300形(2両)、タキ17400形(2両)の7形式がある。 本形式の前級であるタキ1250形(ステンレス鋼製)は30t 積であり最終車両は1968年(昭和43年)7月9日の製造であった。次の車両の製造は本形式及びタキ11300形へと移行した。2形式とも35t 積でありそれぞれの形式の最初の車両(トップNo車)は、共に1968年(昭和43年)8月3日に川崎車輛にて製造された。複数の後継形式があることは一般的であるが、同一メーカーにて同時期に開発されることはまれであった。タンク体は本形式が耐候性高張力鋼(内部ゴムライニング)製であったのに対してタキ11300形は前級と同じステンレス鋼製であり、実容積は両形式とも22.1m3であった。 1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「侵80」(侵食性の物質、腐食性物質、危険性度合3(小))が標記された。 落成当時の所有者は、ラサ工業、新潟硫酸、燐化学工業、サン化学の4社であった。その後新潟硫酸所有車4両は1970年(昭和45年)8月19日にサン化学へ名義変更した。ラサ工業所有車2両は1975年(昭和50年)12月1日に東北肥料へ名義変更した。 1983年(昭和58年)4月に、サン化学と東北肥料が合併してコープケミカルとなった。これによりタキ11200形はコープケミカル10両、燐化学工業4両の2社に絞られた。 タキ5750形の設計を流用したため両形式の外観は酷似している。キセ(外板)なしドーム付きタンク車であり、荷役方式は上入れ、上出し式(S字管使用)である。 塗色は、黒であり、全長は10,800mm、全幅は2,420mm、全高は3,597mm、台車中心間距離は7,000mm、自重は14.5t、換算両数は積車5.0、空車1.4、最高運転速度は75km/h、台車は12t車軸を使用したTR41C、TR225である。 最後まで在籍した3両(コタキ11206 - コタキ11208)が1997年(平成9年)度に廃車、同時に形式消滅となった。 年度別製造数各年度による製造会社と両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)
タキ11300形
タキ11300形は、リン酸専用の35t 積タンク車として1968年(昭和43年)8月3日に川崎車輛にて1両(コタキ11300)、同年8月31日に汽車製造にて1両(コタキ11301)がそれぞれ製作された。 記号番号表記は特殊標記符号「コ」(全長 12 m 以下)を前置し「コタキ」と標記する。 1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「侵80」(侵食性の物質、腐食性物質、危険性度合3(小))が標記された。 所有者は、日本化学工業の1社のみでありその常備駅は、福島県の郡山駅であった。 2車の製造メーカーは異なるため、その両車の外観は大きく異なる。ドームの高低、補強環の有無が大きな識別点であった。荷役方式はマンホールからの上入れ、空気圧を使用した液出管からの上出し式である。 塗色は、ステンレス鋼地色(銀色)であり、全長は10,800mm、全幅は2,420mm、全高は3,647mm、台車中心間距離は7,000mm、自重は14.0t、換算両数は積車5.0、空車1.4、台車は12t車軸を使用したTR41Cである。 1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化時には2両全車の車籍がJR貨物に継承されたが、1997年2月の廃車と同時に形式消滅となった。 参考文献
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