国鉄タキ4100形貨車 (2代)
国鉄タキ4100形貨車(こくてつタキ4100がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)及び1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に車籍を有した私有貨車(タンク車)である。 概要タキ4100形は液化アンモニア専用の25t積タンク車として1963年(昭和38年)11月30日から1967年(昭和42年)6月14日にかけて18ロット44両(オタキ4100 - オタキ4143)が三菱重工業、日本車輌製造、日立製作所、汽車製造、川崎車輛の5社にて製作された。 記号番号表記は特殊標記符号「オ」(全長 16 m 以上)を前置し「オタキ」と標記する。 タキ4100形を名乗る形式はタキ4100形(初代)(在籍期間 : 1953年(昭和28年)6月16日 - 1957年(昭和32年)4月頃)、タキ4100形(2代)(在籍期間 : 1963年(昭和38年)11月30日 - 1996年(平成8年)7月)の2形式が存在した。 本形式の他に液化アンモニアを専用種別とする形式は、タ520形(2両)、タ550形(5両)、タ580形(30両)、タ2800形(3両)、タム5800形(19両)、タサ4100形(142両)、タサ5800形(2両)、タキ18600形(128両)の8形式がある。 落成当時の所有者は、住友商事、東北肥料、日本瓦斯化学工業、化成水島、協和ケミカルズ(その後協和醗酵工業へ社名変更)、東亞合成化学工業、昭和電工、三菱商事、伊藤忠商事、日産化学工業の10社である。その後1971年(昭和46年)12月17日に日本瓦斯化学工業所有車6両が三菱瓦斯化学へ、1973年(昭和48年)12月13日に東亞合成化学工業所有車2両(オタキ4125、オタキ4128)が三菱瓦斯化学へ、1974年(昭和49年)2月28日に化成水島所有車6両が三菱化成工業へ、1974年(昭和49年)12月21日に住友商事所有車7両が三菱商事へ、1977年(昭和52年)8月19日に東亞合成化学工業所有車3両(オタキ4126、オタキ4127、オタキ4129)が日商岩井へ、1984年(昭和59年)10月12日に三菱瓦斯化学所有車2両(オタキ4125、オタキ4128)が日本陸運産業へ、それぞれ名義変更された。 1976年(昭和51年)10月13日から1978年(昭和53年)3月30日にかけて東北肥料所有車3両を除く41両に緊急遮断装置の取り付けが行われた。 1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「毒燃(G)26・3」(毒性の物質、燃焼性の物質、高圧ガス、毒性のあるもの、可燃性のもの)が標記された。専用種別の「液化アンモニア」と化成品分類番号の「燃」は赤色で標記されている。更にタンク体右側形式番号上に「連結注意」が標記された。 ドームレス直円筒型のタンク体は、高張力鋼(HT55、HT60)製で厚さ85mmの断熱材を巻きキセ(外板)を装備した。タンク体内部には波よけ板16枚が設置された。荷役方式はタンク上部にある弁からの上入れ、上出し式である。 塗色は、白であり、全長は17,880mm、全幅は2,500mm、全高は3,883mm、台車中心間距離は13,700mm、実容積は46.8m3、自重は27.1t - 27.9t、換算両数は積車5.5、空車2.8、最高運転速度は75km/h、台車はベッテンドルフ式のTR41Cと平軸受・コイルばね式のTR41Dである。 1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化時には伊藤忠商事所有車4両(オタキ4136 - オタキ4139)の車籍がJR貨物に継承されたが、1996年(平成8年)7月に4両一斉に廃車となり同時にこの形式は消滅した[1]。 年度別製造数各年度による製造会社と両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)
参考文献
脚注
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