髙橋 大輔 (たかはし だいすけ、1986年 3月16日 - )は、2000年代から2020年代にかけて活躍した日本 のフィギュアスケート 選手(男子シングル 、アイスダンス )で現在はプロスケーター。2010年バンクーバーオリンピック 男子シングル銅メダリスト。パートナーは村元哉中 。
7歳にスケートを始めて以降男子シングルの選手として活躍し、日本代表として3度オリンピックに出場した(2006年 、2010年 、2014年 )。特に2010年バンクーバーオリンピック では銅メダルを獲得し、男子シングルのアジア勢では初となるオリンピックメダリストとなった。2010年世界選手権 では日本男子初となる世界チャンピオンに輝き、2012年には日本男子初のグランプリファイナル 優勝を果たした。また、髙橋は2010年にパトリック・チャン に更新されるまでフリースケーティング の世界記録保持者であった[ 2] 。
2014年に競技を引退し、2018年に復帰。国内で2シーズン戦ったのち、村元哉中とカップルを組んでアイスダンスに転向した。アイスダンスでは2022年四大陸選手権 2位の成績を残し、四大陸選手権の複数の種目でメダルを獲得した史上初の選手となった。全日本選手権優勝、世界選手権11位の結果を残したのち、2023年に引退した。
プロスケーターとしては『ICE EXPLOSION 2023』や『滑走屋』などのアイスショー をプロデュースしているほか、歌舞伎とのコラボレーション『氷艶』にも出演している。
人物
岡山県 倉敷市 出身。4人兄弟の末っ子。母親の務めていた理髪店の娘が名付け親で「大輔」は嶋大輔 からとった[ 3] 。愛称は「大ちゃん」。
関西大学 文学部 総合人文学科身体運動文化専修卒業[ 4] 。2008年4月より関西大学大学院 文学研究科 総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程に進学。2015年 、修士論文の未提出のため同大学院を中退。JOC シンボルアスリート 適用選手。
フィギュアスケート男子シングルにおける日本人初のオリンピック メダリストであり、日本人初の世界選手権 、世界ジュニア選手権 、グランプリファイナル 優勝者でもある。
オリコン による「好きなスポーツ選手ランキング」の男性部門において、2010年より5年連続でトップ10入りを果たした[ 5] [ 6] [ 7] [ 8] [ 9] 。
元サッカー日本代表 でサンフレッチェ広島 に所属する青山敏弘 とは保育園、小・中学校の同級生かつ幼馴染[ 10] 。
男子シングル現役中から現在までマネジメント は荒川静香 と同じユニバーサルスポーツマーケティング が行っている[ 11] 。
技術・演技
高いスケーティング技術を生かした世界一と呼ばれるステップ と、海外の解説者らからダンサーのようと賞讃された柔軟で切れのある情感豊かな表現力(ヒップホップからマンボ、ブルースまで巧みに表現できる音楽的感性)を持ち味としていた[ 12] [ 13] [ 14] [ 15] [ 16] [ 15] [ 注 1] 。荒川静香 は髙橋について「感性の高さで群を抜いており、どんなプログラムでも自分の世界で表現できる」「一緒に滑っていて、自分が哀しくなってくるほど才能がある」と評していた[ 18] 。
ジャンプではトリプルアクセル [ 19] [ 13] 、3回転フリップ [ 20] [ 13] 、3回転ルッツ [ 13] [ 注 2] を得意としていた。 また2005年頃からトウループジャンプ 等の4回転ジャンプに取り組んだ。2011年 のNHK杯 公式練習では4回転フリップ を試みたが、試合での認定には至っていない。2010年バンクーバーオリンピック では、共に4回転ジャンプに挑んだ志の高さからエフゲニー・プルシェンコ に「You are my hero.」と讃えられ固い握手を交わされた。
経歴
トリノ五輪出場
幼少時は性格的に弱く、心配した両親に少林寺拳法 、野球、アイスホッケーなどさまざまなスポーツをやらされたが、痛いことや怖いことが嫌いでどれも長続きしなかった[ 21] [ 22] 。体操は気に入ったが、岡山市内の体操教室に通うことが難しく断念[ 23] 。9歳のとき、家のすぐ近くにあるウェルサンピア倉敷 (厚生年金健康福祉センター )のスケートリンクでフィギュアスケートを始めた[ 24] 。
決して裕福とは言い難い家柄ながらも家族一丸となって支え、また地元の商店街の人々が有志の募金箱(大輔ボトルと呼ばれた)を設置しカンパ を受けるなど、非常に愛されて育ってきた背景がある。また、自身のお年玉 は全てスケート代に充てていた。
全国有望新人発掘合宿 (野辺山合宿)で素質を見出された髙橋は、1999年 (倉敷市立連島中学校 2年)から、長久保裕 ・佐野稔 両コーチがいる宮城県 仙台市 のスケートリンク(現・アイスリンク仙台 )に出向いて指導を受けていたが、佐野が仙台を離れることになったため、プログラム作成を依頼された長光歌子 と仙台で初対面した[ 25] 。同年に初の国際大会となるトリグラフトロフィー で優勝。2001年 に全国中学校大会 で2連覇を達成し、全日本ジュニア選手権 を制す。2002年 には世界ジュニア選手権 で日本男子として初めての優勝を飾った[ 26] 。
2002-2003シーズンから本格的にシニアに参戦するが、国際大会での成績は伸び悩み気味だった。1年間に渡り長光とともにアメリカ、カナダ、ロシアを訪ねて有名コーチの指導を仰いだが、成果は得られなかった。
2004-2005シーズンには、大学入学に伴う環境の変化やプレッシャーや、シーズン前半のアジア選手権で右足首の神経の炎症を起こしたことによりモチベーションが低下し、スケートをやめたいとさえ思っていた[ 27] 。しかし、全日本選手権 で6位に沈んだことで気持ちがふっきれ[ 28] 、年明けのユニバーシアードで優勝、四大陸選手権 では3位となった。世界選手権 では、ともに出場した本田武史 が予選演技中の怪我で途中棄権したため、翌年の2006年トリノオリンピック の日本男子出場枠が髙橋1人の順位にかかる大きなプレッシャーの中で演技することになった。ショートプログラム (以下、SPと略)までは7位と健闘したものの、フリースケーティング (以下、フリーと略)では冒頭の4回転ジャンプ転倒を皮切りにことごとく失敗を連発してしまい、総合15位に終わる。この結果、トリノオリンピックの日本男子出場枠は最小の1枠となる(総合10位以内なら2枠だった)。シーズン終了後、コーチ・振付師をニコライ・モロゾフ に変えるとともに、トレーナーのカルロス・アビラ・デ・ボルバにつき、フィジカル面とステップの強化に力を注ぎ始めた[ 29] 。
2005-2006シーズン、スケートアメリカ でISUグランプリシリーズ 初優勝を果たし、本田に続く日本人男子2人目のGPシリーズ優勝者となった。続くNHK杯では3位に終わったが、SPではシングルの選手として世界で初めてステップでレベル4(最高難度)を獲得した[ 30] 。初めて進出したGPファイナル では銅メダルを獲得して日本人男子として初の表彰台に立ち、全日本選手権 はSP2位から逆転して初優勝、僅か1枠のトリノオリンピック ・男子シングル日本代表の座を掴み取った。トリノオリンピックではSPで5位につけたが、フリーは冒頭の4回転ジャンプでの失敗やザヤックルール 違反などで得点が伸びず9位、総合8位入賞に留まった。
バンクーバー五輪で銅メダル獲得
2006-2007シーズン、NHK杯 で優勝、フリーでは1年8ヶ月ぶりに4回転ジャンプも成功させた。2季連続で進出したGPファイナル は、競技直前からの体調不良による腹痛や吐き気に耐えながら最後まで滑り切り、日本人男子として過去最高の2位となった。全日本選手権 では2位以下に大差をつけて2連覇を達成。2007年冬季ユニバーシアード でも2連覇を果たした。日本・東京 で開催の世界選手権 では、ショートプログラム 3位、フリースケーティング 1位で、日本男子史上最高位となる銀メダルを獲得した[ 注 3] 。また、織田信成 が7位に入ったため、翌2008年世界選手権 の日本男子代表枠は最大の3枠となった。
2007-2008シーズン、GPシリーズ 初戦のスケートアメリカ で優勝。2戦目のNHK杯 では日本人男子として五十嵐文男 以来26年ぶりのNHK杯連覇を達成し、3季連続のGPファイナル 進出を出場ポイント1位通過で決めた。ファイナルではステファン・ランビエール に僅か0.26点及ばず2位となるも、12月の全日本選手権 ではフリーで4回転ジャンプを2度成功させ、再び2位以下に大差をつけて3連覇を達成。四大陸選手権 でもフリーで2度の4回転ジャンプを成功させ、フリーと総合得点でISU歴代最高記録を更新して初優勝。優勝候補の筆頭にあげられて臨んだ世界選手権 であったが[ 31] 、フリーではジャンプミスやザヤックルール違反により総合4位に終わった。5月、コーチのニコライ・モロゾフ が織田信成のコーチに就任したため、モロゾフとの契約を解除した[ 注 4] 。
2010年世界選手権 で「道」を演じる髙橋2008-2009シーズン、2008年10月末の練習中に3回転アクセルで転倒し、右膝を負傷したため、出場を予定していたグランプリシリーズ中国杯を欠場[ 34] [ 35] 。その後の精密検査により右足膝の前十字靭帯 と半月板 を損傷していることが分かり、シーズンの全大会の出場を断念して11月に手術をした[ 36] [ 37] [ 38] [ 35] 。リハビリを経て2009年4月より氷上での練習を再開[ 39] [ 40] 、6月からはジャンプも跳び始めた[ 40] 。リハビリで体の可動域が広がったため、跳び方を調整する必要があった[ 40] 。また、ジャンプ専門のコーチとして本田武史 を迎え、ジャンプの指導を受け始めた[ 41] 。
2009-2010シーズン、10月のフィンランディア杯 優勝で自らの国際競技会復帰を飾った。スケートカナダ では表彰台に上り、2季ぶりにGPファイナル にも出場。全日本選手権 で4度目の優勝を成し遂げ、バンクーバーオリンピックの男子シングル日本代表に内定、ニ大会連続2回目の冬季五輪代表入りを果たした。
2010年 のバンクーバーオリンピック ではSPで90点台をマーク、SP1位のエフゲニー・プルシェンコ と0.6点の僅差で3位につけた。フリーでは冒頭の4回転トウループで転倒し、他細かなジャンプミスも有ったが、得意のステップと演技構成点は出場選手中最も高い評価を受ける[ 42] 。結果フリーのみでは5位だったものの、総合得点では4位のステファン・ランビエール を0.51点の僅差で上回り3位入賞を果たし、日本及びアジア人の男子シングルの選手としては史上初の冬季オリンピックのメダルとなる銅メダルを獲得した[ 43] 。
世界選手権初優勝
バンクーバー五輪から約1か月後の世界選手権 では、SP、フリーともに1位の完全優勝を果たし、男子シングルでは日本・アジアで史上初の世界チャンピオンとなった。フリーの演技冒頭で挑んだ4回転フリップは回転不足、両足着氷の失敗に終わったが、世界初の試みであった。なお、フリーではシングルの選手として初めて、全てのスピン・ステップで最高評価のレベル4を獲得した[ 44] [ 45] 。
ソチオリンピックまでの道のり
2010-2011シーズン、GPシリーズ初戦NHK杯 ではFSで3シーズンぶりに4回転トウループを成功させ優勝。続くスケートアメリカ でも優勝、日本人男子として最多となるGPシリーズ6勝目を挙げた。GPファイナル では練習中に小塚崇彦 と衝突して首がむち打ち のような状態になり、本番では4位に終わった[ 46] 。首の状態がさらに悪化した状態[ 47] で臨んだ全日本選手権では3位に入った。四大陸選手権 では3年ぶり2度目の優勝を達成。当初東京で開催予定ながら東日本大震災 の影響で1か月延期、モスクワ で代替開催の世界選手権 では、FS冒頭の4回転トウループが1回転に抜ける着氷失敗時、スケート靴のビスが外れるアクシデントに見舞われる。ビスを留める為約2分中断後に演技を再開したが、3回転サルコウの転倒などが響き総合5位に終わった。
五輪でのメダル獲得や世界王者となったことでモチベーションが低下し、現役続行を迷いながらも迎えたシーズンであったが、5位に沈んだことで気持ちが吹っ切れ、現役続行を決意した[ 48] 。シーズン終了後、5月に右膝ボルト除去手術を受けた。リハビリを経たのち、8月にフランス のリヨン に渡り、アイスダンス コーチのミュリエル・ザズーイ の下でスケーティングを基礎から見直した[ 49] 。また、柔軟性を高めるために、バレエ のレッスンも受け始めた[ 50] 。
2011年スケートカナダ
2011-2012シーズン、NHK杯 では大会最多となる4度目の優勝を果たした。全日本選手権 ではSPで7シーズンぶりに4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させ(ISU非公認)、2年ぶり5度目の優勝を果たした。GPファイナル 、四大陸選手権 、世界選手権 はいずれも世界王者パトリック・チャン に次ぐ2位だったが、シーズン最後の国別対抗戦 ではチャンを抑えて1位、SPでは歴代最高得点をマークした。6月、再びニコライ・モロゾフ をコーチの一員として迎えた[ 51] 。
2012-2013シーズン、自身7度目の挑戦となったGPファイナル において、日本男子初のチャンピオンとなった。しかし四大陸選手権 は7位に終わり、翌2014年2月開催のソチオリンピック 出場枠の掛かる世界選手権 も6位と表彰台を逃したが、羽生結弦 の4位との成績で、ソチ五輪男子シングル種目は2大会連続で最大の3枠を確保する。国別対抗戦 では1位となった。
ソチオリンピック出場
2013-2014シーズン、スケートアメリカ では4位。NHK杯 ではSPで自己ベストを更新。FSも1位で優勝した。GPファイナル への進出を決めたが、11月26日に氷上トレーニング中に負傷。右脛骨骨挫傷と診断され、欠場を発表した(代替選手は織田信成 で3位)[ 52] 。怪我をおして臨んだ全日本選手権ではSP、FSともに4回転に挑戦し失敗。FSでは4回転転倒後に右指を切り、流血しながらプログラムを最後まで演じきったものの、最終順位は5位に終わった。演技直後のインタビューでは「自分の中では五輪はないんだろうなと思っている」と涙ながらに答えていた[ 53] 。しかし過去の実績、シーズン成績などを考慮し、最後の3枠目で2014年ソチオリンピック 代表に選出された。尚フィギュアスケートの日本選手で三大会連続3回目の五輪代表選出は、髙橋が初めてである[ 54] [ 55] 。
2014年2月5日、現代のベートーヴェンとして絶賛されていた作曲者佐村河内守 が、自作の作曲としていた曲を別人の新垣隆 などに依頼していたことを公表[ 56] (ゴーストライター問題 を参照)、オリンピック本番のショートプログラムで使用する予定だった曲『ヴァイオリンのためのソナチネ』も佐村河内ではなく実際は新垣隆による作曲であると判明した。
ソチ五輪 での髙橋大輔
同日、関西大学の公式サイトで、『ヴァイオリンのためのソナチネ』のまま曲を変更しないことを表明、国際スケート連盟には楽曲作曲者を不明(Unknown)とする手続きをした[ 57] 。この曲は義手でヴァイオリンを弾いているというある女性に贈られた曲であり、本当の作曲者である新垣は幼稚園の頃からこの女性の伴奏などをしていた。そういう事情から、真実を知った後もこの曲への愛着は失われておらず、髙橋がこの曲を使用することを「とても楽しみ」とコメントしている[ 58] 。髙橋は9日にソチ入りした際にインタビューに応じ「正直ビックリしました。このタイミングでって。勘弁してよっていうのはありました」と笑いつつ、SPでの使用に変更がないことを明らかにした[ 59] 。
そのソチオリンピック 本番は団体戦には出場せず、個人戦のみ出場。SPでは4位発進だったが、フリーではジャンプミスが響いて総合6位入賞に留まり、五輪二大会連続メダル獲得はならなかった。しかしフィギュアスケート日本代表選手で、冬季オリンピック 三大会連続入賞(8位・3位・6位)は髙橋が史上初である[ 60] 。帰国後メディカルチェックを受けた際「右脛骨関節軟骨損傷及び慢性膝関節炎により、5~6週間の安静加療が必要」と診断。2014年3月4日、さいたま市 で開催される世界選手権 の欠場を表明(補欠の小塚崇彦が繰上げ出場し6位)。今後の去就については「まだはっきりと決めていない。ゆっくり時間を持った時に考えていきたい」と語っていたが[ 61] 、同年4月21日に2014-2015シーズンの全試合出場を見送り、1年間競技生活の休養を発表した[ 62] 。
現役引退・アイスショー等
2014年10月14日、岡山市 内で現役引退を表明した[ 63] 。2015年4月から12月にかけて語学、ダンス留学のためニューヨークに滞在。帰国後は従来のアイスショーに加え、ダンスショー「LOVE ON THE FLOOR」、歌舞伎とのコラボレーション「氷艶」など様々な舞台に出演した。またニュースキャスター、情報番組の司会、オリンピックキャスターなども務めた。
現役復帰
2018年7月1日、所属事務所を通じて現役復帰を発表した[ 64] 。同年8月1日、所属するユニバーサルスポーツマーケティング を通して、2018-2019シーズン使用曲と振付師を発表した[ 65] 。 ショートプログラムには坂本龍一 の『The Sheltering Sky 』、フリープログラムにはジョン・グラント作曲『Pale Green Ghosts (with the BBC Philharmonic Orchestra)』を使用し、振付師については、ショートプログラムを2011-2012シーズンで髙橋の振付を担当したデヴィッド・ウィルソン 、フリープログラムをブノワ・リショー が担当することを報告した[ 65] 。今季の所属先は関西大学KFSC。
2018-2019において、「全日本最終グループに入ること」を目標にし、全日本予選となる近畿選手権で3位、西日本選手権で優勝と順調に進み、全日本選手権では目標の最終グループに入り、2位を獲得。スケート連盟から世界選手権の代表入りを打診されたが「若い選手が経験する必要性の方が大きい」と出場を辞退した[ 66] 。
2019-2020年シーズンは、ショートプログラムをフォール・アウト・ボーイ の「The Phoenix 」(振り付けは、ビヨンセ などの振り付けも行ってきたシェリル・ムラカミ 、ユウコ・カイ 、ミーシャ・ジー )、フリープログラムを昨年度と同じ「Pale Green Ghosts (with the BBC Philharmonic Orchestra)」を引き続き使用すると発表。
2019年9月、2019年12月の全日本選手権を男子シングルとしての競技会出場を最後にすること、アイスダンスに転向し村元哉中 とペアを組んで、2020年1月からアメリカを拠点に移すことを公式サイトで発表した[ 67] [ 68] 。
アイスダンス
2021-2022 シーズン
全日本選手権 2位で、四大陸選手権、世界選手権代表に選出。四大陸選手権では結成2シーズン目ながら2位となり、アイスダンスの日本勢史上最高順位の銀メダルを獲得した。
2022-2023 シーズン
競技続行を表明し、村元哉中 とのカップル結成3季目。グランプリシリーズ は、スケートメリカ ,NHK杯 の2戦にアサイン。
シリーズ初戦となるスケートアメリカ では6位。翌週のチャレンジャーシリーズ デニステンメモリアルチャレンジ では、リズムダンス の最高得点を更新する好成績でRD1位、FD1位、合計1位で、ISU公認大会初制覇となった。
全日本選手権で優勝し、四大陸選手権9位、世界選手権11位の成績を残し、世界国別対抗戦を最後に競技を引退した。
主な戦績
アイスダンス
詳細
男子シングル
詳細
赤い数字 はISU公認国際大会での当時の世界最高得点(国内大会は含まない)。
2012/2013 ISUグランプリファイナル 金メダル
2012年NHK杯国際フィギュアスケート競技大会 銀メダル
2012年世界フィギュアスケート国別対抗戦 金メダル
2012年世界フィギュアスケート選手権 銀メダル
2011年四大陸フィギュアスケート選手権 金メダル
バンクーバーオリンピック 銅メダル
2008年四大陸フィギュアスケート選手権 金メダル
2007年NHK杯国際フィギュアスケート競技大会 金メダル
2006年スケートカナダ 銀メダル
プログラム使用曲
アイスダンス
シングル
表彰歴
2001年
2003年
2005年
2006年
2007年
文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
日本オリンピック委員会・JOCスポーツ賞 特別功労賞
上月スポーツ賞
2010年
2014年
岡山県スポーツ特別顕賞
倉敷市市長特別賞
倉敷市スポーツ特別功労章
2015年
2024年
SUITS OF THE YEAR 2024 スポーツ部門[ 84]
主な出演
テレビ番組
CM・広報
映画
舞台
氷艶
「氷艶 hyoen2017-破沙羅-」(2017年5月20日~22日、国立代々木競技場第一体育館) ‐ メインキャスト
演出:市川染五郎
主催:日本テレビ放送網株式会社/企画:株式会社ユニバーサルスポーツマーケティング/製作:松竹株式会社
「氷艶 hyoen2019ー月光かりの如くー」(2019年7月26日~28日、横浜アリーナ)‐ 主演
「LUXE」(2021年5月15日〜17日、横浜アリーナ)- 主演
監修・演出: 尾上菊之丞 主題歌:平原綾香
主催: 日本テレビ放送網株式会社、株式会社ユニバーサルスポーツマーケティング
「氷艶2024 -十字星のキセキ-」(2024一年 6月8日〜11日、横浜アリーナ)- 主演
演出原案:宮本亜門 演出統括: 尾上菊之丞 主題歌:ゆず
主催: 日本テレビ放送網株式会社、株式会社ユニバーサルスポーツマーケティング
「氷艶 hyoen 2025 -鏡紋の夜叉-」(2025年7月5日〜7日、横浜アリーナ)- 主演(増田貴久 とダブル主演)[ 96]
演出:堤幸彦
主催: 日本テレビ放送網株式会社、株式会社ユニバーサルスポーツマーケティングー
滑走屋
滑走屋(2024年2月10日~12日、オーヴィジョンアイスアリーナ福岡)
出版物
書籍
CD
髙橋大輔 ~フェイヴァリット・ミュージック~(ポニーキャニオン 、2010年2月3日)
Daisuke Takahashi 2010-2011 season(ポニーキャニオン、2011年1月7日)
DVD
髙橋大輔(ポニーキャニオン、2010年2月3日)
髙橋大輔 Plus(ポニーキャニオン、2011年1月7日)
髙橋大輔×サムライ魂 ~天才たちの化学反応~(アニプレックス 、2012年9月26日)
髙橋大輔 D1SK(ポニーキャニオン、2014年1月29日)
誰も知らない髙橋大輔(ポニーキャニオン、2014年11月12日)
髙橋大輔 The Real Athlete(ポニーキャニオン、2015年8月19日)
新・誰も知らない髙橋大輔(ポニーキャニオン、2019/7/17)
髙橋大輔 The Real Athlete -Phoenix-(ポニーキャニオン、2021/3/16)
ブルーレイ
髙橋大輔 Anthology(ポニーキャニオン、2015年4月29日)
髙橋大輔 The Real Athlete(ポニーキャニオン、2015年8月19日)
新・誰も知らない髙橋大輔(ポニーキャニオン、2019/7/17)
髙橋大輔 The Real Athlete -Phoenix-(ポニーキャニオン、2021/3/16)
脚注
注釈
^ またジャンプ の技術も高く、シニアに上がった頃から4回転ジャンプを得意としていた[要出典 ] 。2011年 の公式練習では前人未到の4回転フリップ を試みた。2010年バンクーバーオリンピック では、共に4回転に挑んだ志の高さからエフゲニー・プルシェンコ に「You are my hero.」と讃えられ固い握手を交わされた。モロゾフは、髙橋のことを「頭ではなく、ハートで滑っている」「彼こそが、氷上のアーティスト」と評した[ 17] 。
^ バンクーバー五輪のフリー以降、フリップやルッツ がエラーエッジ判定を受けていたが、2011/2012シーズンに矯正に成功している[ 13] 。
^ 従来の最高位は1977年の佐野稔 、2002年・2003年の本田武史 の銅メダル。
^ モロゾフの織田へのコーチ就任は髙橋には寝耳に水だった。二人は相談した結果、「ライバルの織田と同じコーチではできない」として契約を解消するに至った。なお、モロゾフはこの契約の1年以上前から織田にオファーを出し続けていた。その後、モロゾフは髙橋のエージェントに不満があったことが原因だと主張し、「髙橋は自分よりもエージェントを選び、織田を受け入れたときにはすでに関係は切れていた」と、世界中のメディアに繰り返し主張、「自分なしではダイスケはどこにも行けない」とも発言していた。だが、2011-2012シーズン終了後にモロゾフが髙橋にコーチ就任をオファーし、再契約するに至った。当時を振り返り髙橋は「当時の自分は、あの状況を受け入れる器量がなかった」とコメントし、モロゾフは「4年前のことは申し訳なく思っていた。彼はフィギュア史に残る選手。自分の全てを注いで、彼の五輪メダル獲得に協力したい」とコメントしている[ 32] [ 33] 。
^ a b ※ 2020/2021 ISUグランプリシリーズ は非公認大会 。新型コロナウイルスの影響で変則開催の為、ISUの公認記録に反映されない。また世界ランキングのポイントも付与されない 各大会の出場者を地元選手や開催国に拠点を置く選手らに制限しており、公平性を保つため。国際スケート連盟 (ISU)2020年10月26日[ 69]
^ ソチオリンピック以前の大会では佐村河内守 の作曲とされていた。
出典
^ a b “Daisuke TAKAHASHI ” (英語). ISU (2014年7月27日). 2016年2月1日閲覧。
^ "Progression of Highest Score - Men Free Skating Score" . 国際スケート連盟 . 2025年4月27日閲覧。
^ “超問クイズ!真実か?ウソか?|2015/01/06(火)放送 ”. TVでた蔵 . ワイヤーアクション. 2015年1月7日閲覧。
^ 高橋大輔「フィギュアスケートとスポーツビジネス」(2007年度卒業論文抄録集)(『身体運動文化フォーラム』第3号、173頁(2008年3月、関西大学身体運動文化学会)所収)。髙橋大輔 バンクーバー五輪 日本代表選手団プロフィール 2010年2月20日閲覧。
^ 2010年3位「第4回好きなスポーツ選手」、イチロー&真央が2連覇 ~サッカーW杯メンバーも急浮上
^ 2011年6位『第5回好きなスポーツ選手』イチロー&真央が3連覇 ~サッカー人気が如実に
^ 2012年9位2012年 好きなスポーツ選手ランキング
^ 2013年好きなスポーツ選手ランキング 2013年8位
^ 2014年 好きなスポーツ選手ランキング 2014年8位
^ “「大ちゃんはチャンプ」広島青山がエール ”. ニッカンスポーツ (2014年2月14日). 2014年2月22日閲覧。
^ “引退・高橋大輔、オファーなしの業界は? ”. NEWS CAFE (2014年10月25日). 2022年12月25日閲覧。
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外部リンク
※ 開催年は年度。1929–65年度は翌年1–4月、1966–81年度は同年11–12月、1982–96年度は翌年1月、1997年度以降は同年12月に開催された。
ISUグランプリシリーズ(1995-)
名称の変遷: スケートアメリカ(1979年-現在) / ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(1995年-現在)
10代 20代 30代 40代 50代 60代 以上 男性 特別 賞
*は複数回の受賞。男性は1992年から、60代以上は97年から、10代は99年から対象