アンナ・シェルバコワ
アンナ・スタニスラーボブナ・シェルバコワ(ロシア語: Анна Станиславовна Щербакова、ロシア語ラテン翻字: Anna Stanislavovna Shcherbakova、2004年3月28日 - )は、ロシアのフィギュアスケート選手(女子シングル)。主な戦績は、2022年北京オリンピック金メダル、2021年世界選手権優勝、2022年欧州選手権優勝、2019年グランプリファイナル2位、ロシア選手権3連覇など。 シニアの女子選手として史上初めて4回転ルッツおよび4回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させた。 人物ソチ・オリンピック団体戦の金、平昌オリンピック女子シングルの金・銀メダリストを育てたエテリ・トゥトベリーゼコーチから指導を受けている選手の一人。同じく指導を受けているアレクサンドラ・トゥルソワ、アリョーナ・コストルナヤとフィギュアスケートの国際的な年齢規定で同世代である。 憧れの選手は浅田真央。美しい滑りと高難度ジャンプを称賛していた[2]。 クマのぬいぐるみコレクションを持っている[3]。 技術・演技アクセルを除く5種類の3回転ジャンプを跳ぶことができる。コンビネーションジャンプにおいてはセカンド3回転トウループ、セカンド3回転ループ、サード3回転サルコウの全てを得意としており、特に基礎点の高い3回転ルッツ-3回転ループのコンビネーションは大きな武器である。 2019年ロンバルディア杯において、単独の4回転ジャンプ(アクセルを除く)で最も基礎点の高い4回転ルッツに、シニアの女子選手として初めて成功した[4]。 2019年スケートアメリカのフリースケーティング(以下、フリー)で、4回転ルッツ2本(4回転ルッツ-3回転トゥループのコンビネーションジャンプ及び単独の4回転ルッツ)を成功させた[5]。これは、シニアの女性選手として公式戦で初めての記録となった[6]。 経歴2004年3月28日、三姉妹の次女として生まれる[7]。祖父は物理学の教授。父はモスクワ大学を卒業した地質学者。母も同じくモスクワ大学を卒業した結晶学者である。 ジュニア時代3才の時、姉の影響でフィギュアスケートを始める。7歳の時に、サンボ70、フルスタリヌイ(クリスタル)学科に入学した。2013年(9歳)から、エテリ・トゥトベリーゼの指導を受ける。モスクワのサンボ70に所属している。 2016年ロシアノービス選手権で優勝する[7]。しかし、その直後に腕を骨折し、復帰してロシアフィギュアスケート選手権で2位になるも、次は足を骨折して2017–2018シーズンは半分程度欠場した[8]。2018年1月のロシアジュニア選手権は13位に終わったが[9]、2月の国内大会、ロシア杯決勝大会 女子ジュニア・スポーツマスター候補者部門では翌月世界ジュニア選手権を制することになるアレクサンドラ・トゥルソワを抑えて優勝した[10]。 2018年8月のジュニアグランプリシリーズブラチスラヴァ大会で国際大会デビューし、2位に18ポイント差をつけての鮮烈な初優勝で飾った。カナダ(リッチモンド)大会でも優勝。2018年ジュニアグランプリファイナルでは珍しくミスを重ね5位と初黒星。それでも続くロシア選手権ではフリーで躍進し、トゥルソワにわずか0.07ポイント差をつけ優勝。2019年世界ジュニア選手権はトゥルソワにリベンジされ準優勝。 シニア時代2019–2020シーズン:シニアデビュー、欧州選手権準優勝2019年9月にイタリアで開催された、ISUチャレンジャーシリーズのロンバルディア杯でシニアデビュー。フリーではシニア女子史上初となる4回転ルッツを成功させ、またもデビュー勝利を果たした[4]。2019年スケートアメリカでグランプリシリーズデビューを果たし、ショートプログラム(以下、SP)で4位、フリーで1位を記録し、優勝した。この大会で、国際大会で2つの4回転ルッツおよび4回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションを着氷させた最初の女子選手となった[6]。2戦目の中国杯でも優勝。 初出場のグランプリファイナルでは、フリーで1位になる奮闘を見せたが、合計ではアリョーナ・コストルナヤの後塵を拝し、シニア初黒星を喫した。しかし、ロシア選手権では、SPでコストルナヤに10点差をつけられるも、2つの4回転ルッツと4回転フリップを成功させる圧巻のフリーで逆転連覇を果たした。女子の演技構成点は男子の5分の4にすぎないにもかかわらず、この時の合計得点は同大会男子のチャンピオンであるドミトリー・アリエフを上回っていた[11]。2月の欧州選手権ではコストルナヤに次ぐ2位となった[12]。代表内定していた3月の世界選手権は新型コロナ流行の影響で中止となった[13]。 2020–2021シーズン:世界選手権初優勝、ロシア選手権3連覇2020年11月頃に肺炎を患うアクシデントがあった(ただしCOVID-19ではなかった)ものの、翌月のロシア選手権では盤石のパフォーマンスを見せ、20年ぶりとなる3連覇を成し遂げた[14]。世界選手権でもSP1位、フリー2位の累計でトップとなり、世界チャンピオンとなった[15]。同大会では2位にエリザベータ・トゥクタミシェワ、3位にトゥルソワとロシア勢が表彰台を独占し、1国が独占するのは1991年のアメリカ勢以来のことだった[16]。 大阪府で開催の国別対抗戦の代表入りし、来日。SP・フリーともに1位の演技を見せ、ロシアの優勝に貢献した[17]。 2021–2022シーズン:北京オリンピック金メダル6月に足の怪我をしてロシアでの強化合宿を欠席。10月のブダペスト杯では、後輩のマイア・フロミフに敗れて2位に終わった。五輪代表選考が迫る中、11月のグランプリイタリア大会ではSPの得点が71.73点に留まり、不安を見せた。それでも、フリーでは165.05点の高得点を叩き出し、貫録の逆転勝ちをおさめた[18]。 五輪選考会となるロシア選手権では、SPは2位発進したが、フリーは2度のジャンプ転倒があり4位。1位のカミラ・ワリエワと2位のトゥルソワとは点差があるものの、総合3位に入ったため代表入りしたかと思われたが、トゥクタミシェワが良い演技をしたにもかかわらず総合7位だったことから、代表3枠目に関する論争が起きた(4-6位はジュニア選手なので選考外)。レジェンドのエフゲニー・プルシェンコが2人による再選考会開催を主張したり[19]、記者から直接批判されたりするなど[20]重圧がかかる中、欧州選手権に出場する。SPは69.05点で4位と苦しむが、フリーで4回転フリップを成功させて2位で巻き返し、総合2位に食い込んだ。シェルバコワはこの2日間を乗り越え、代表入りを確定させた[21]。 北京オリンピックで五輪初出場。SPでは制限下での最高難易度となる3回転アクセルは組み込まない堅実な構成をミスなく遂行し、ワリエワに次ぐ2位となる80.20点をマーク。フリーでは、4回転フリップ2本を組み込んだ高レベルな内容を全要素で加点を得る完璧な滑りで披露。4回転5本のトゥルソワにはわずか及ばずも自己ベストの175.75点を叩き出し、合計255.95点で金メダルに輝いた[22][23][24]。 2022–2023シーズン8月に左膝手術を受けると発表した[25]。全治未定であるが、ロシアの選手は、今季の国際大会には出場できないこともあって、復帰の目処などは未発表であったが、2023年4月15日に参加したアイスショーでのジャンプを全て決め完全復帰と報道された[26]。 主な戦績
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脚注
外部リンク
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