ニキータ・ゲンナジェヴィチ・カツァラポフ(ロシア語: Ники́та Генна́дьевич Кацала́пов, ロシア語ラテン翻字: Nikita Gennadyevich Katsalapov, 1991年7月10日 - )は、ロシア出身の男性フィギュアスケート(アイスダンス)選手。パートナーはヴィクトリヤ・シニツィナ、エレーナ・イリニフなど。
2014年ソチオリンピック銅メダリスト、団体戦金メダリスト。2019年世界選手権、2018年グランプリファイナル2位、2010年世界ジュニアフィギュアスケート選手権優勝。
経歴
1991年モスクワ生まれ。4歳でスケートを始める。子供のアイスショーに参加する傍ら、母に技術レッスンを受ける。やがてショーよりもスポーツとしてのスケートを選択。選手育成拠点のある市内ソコリニキに通い、マリナ・ドゥルジクらの指導を受ける。2002-03年シーズンのロシアジュニア選手権の男子シングルノービスクラスで3位となる[1]。
13歳で母の助言によりアイスダンスをはじめ[1]、アメリカでアレクサンドル・ズーリンの指導のもとエレーナ・イリニフとカップルを組むが、ズーリンのロシア帰国に際しカツァラポフはモスクワに戻り、アメリカに残ったイリニフとのカップルを解消する。アンゲリカ・カブィシェワと組むが1シーズン半で解散[1]、ロシアに戻ったイリニフとのカップルを2008年に再結成、2008-09年シーズンのロシアジュニア選手権で4位となる。
国際競技会デビューとなった翌2009-2010シーズン、ジュニアグランプリシリーズ2大会で優勝、ジュニアグランプリファイナルでも2位。世界ジュニア選手権で優勝する。
2010-2011シーズン、ロステレコム杯では銅メダルを獲得。ロシア選手権では3位に入り、ヨーロッパ選手権の代表に選出され、4位入賞を果たした。ロシアのカップルで2番目の成績を収めたため、世界選手権の代表にも選出された。SDは6位と上々の滑り出しだったが、FDでは地元ロシアの観客の大歓声で音楽のスタートが分からないまま演技をスタート。精彩を欠いた演技でSDより順位を1つ落とし7位入賞に留まった。シーズン終了後、アレクサンドル・ズーリンからニコライ・モロゾフへコーチを変更。変更の理由として、十分に練習環境を整えてもらえなかったことを挙げている[2]。
2011-2012シーズン、NHK杯ではSDで首位に立った。しかし、FDのウォームアップ中にイリニフがフェンスに衝突しひざを負傷。順位を落とし3位で大会を終え、エキシビションは欠場した[3]。続くエリック・ボンパール杯では4位。ロシア選手権では前年より順位を1つ上げ2位。ヨーロッパ選手権ではSDで7位と出遅れ最終グループ入りを逃すが、FDでは3位で総合3位まで順位を上げ、初のメダルを獲得した。4位との差はわずか0.03ポイントしかなかった。世界選手権は予選から安定した演技を見せ5位入賞。ロシアのカップルでは最上位の成績だった。
2012-2013シーズン、ロステレコム杯では2位。NHK杯ではSDの後にイリニフが食中毒を起こしてしまうが、FDを滑り2位に入った。グランプリファイナルに初進出し、そこでは6位だった。ヨーロッパ選手権では前年より順位を上げ2位。世界選手権はレベルを取りこぼし9位に終わった。
2013-2014シーズン、4年連続出場のNHK杯では4位。エリック・ボンパール杯では地元のナタリー・ペシャラ / ファビアン・ブルザ組を破り2位。ヨーロッパ選手権のSDでは僅差の2位に付けるも、FDのシンクロナイズドツイズルでイリニフが転倒し2年連続の2位となった。ソチオリンピックの団体戦ではFDに出場し自己ベストを更新。金メダルを獲得した。個人戦ではSD、FD共に大幅に自己ベストを更新し、銅メダルを獲得した。世界選手権ではSDのシンクロナイズドツイズルの2本目を回ることができずノーバリューとなり5位と出遅れる。FDでは1位となり巻き返すも4位に終わった。世界選手権後にはイリニフとのカップルを解散した[4][5]。4月11日にはヴィクトリヤ・シニツィナとのカップルが結成され[6]、アメリカのミシガン州カントンでマリナ・ズエワの指導を受ける[7]。
2014-2015シーズン、ロステレコム杯では4位。NHK杯では2度のリフトの落下もあり7位に沈んだ。ロシア選手権では4位。
2015-2016シーズン、スケートアメリカで銀メダルを獲得。ロステレコム杯では銅メダルを獲得した。ロシア選手権はSDで首位に立つも、FDのシンクロナイズドツイズルでミスを犯し、2位に順位を落とした。欧州選手権では4位、世界選手権では9位となった。
2016-2017シーズン直前にロシアに帰国し、オレグ・ボルコフの元で練習を始めた。それに加え、エレーナ・チャイコフスカヤの指導も受け始めた。ロシア選手権では3位となり、欧州選手権代表に選出されるも、ロシアカップルの3組中最下位の10位に沈んだ。シーズン終了後、6年ぶりにアレクサンドル・ズーリンにコーチを戻した[8]。
2018-2019シーズン以降、ガブリエラ・パパダキス/ギヨーム・シゼロン組相手に何度も苦杯を飲まされ続けていたが、2020年の欧州選手権のRDで2位ながらパパダキス/シゼロン組とは僅か0.05点差とこのペアを倒す最大の好機が訪れた。そして迎えたFDはカーブリフトこそ危なかったがそれ以外は安定した演舞で首位に立つ。その後のパパダキス/シゼロン組にミスが相次いだ事が幸いし初めてパパダキス/シゼロン組を倒して初優勝を飾った。
2022年3月18日、モスクワのルジニキ・スタジアムでのクリミア半島併合から8年を祝う式典で、ロシア軍やプーチン大統領を支持するシンボルである「Z」の文字が入ったジャケットを着用した。
主な戦績
詳細
2008-2009 シーズン
|
開催日
|
大会名
|
CD |
OD |
FD
|
結果
|
2009年1月28日-31日
|
ロシアジュニアフィギュアスケート選手権(サランスク)
|
5 29.37
|
5 49.28
|
4 77.06
|
4 155.71
|
プログラム使用曲
脚注
参考文献
外部リンク