張丹
張丹(ちょう たん、簡体字:张丹、繁体字中国語: 張丹、ラテン文字:Zhang Dan, 1985年10月4日 - )は、中国・ハルビン出身の女性元フィギュアスケートペア選手。2006年トリノオリンピックペア銀メダリスト。パートナーは張昊、コーチは姚濱。 人物2016年7月25日に結婚[1] 、8月29日に第一子となる女児が誕生[2]。 経歴中国のスケート競技のメッカ、ハルビンで生まれた。この町からは申雪、張昊、龐清、佟健というように数々の優秀な選手が次々と現れているが、張丹もその中の一人であった。 スケートを始めたのは1992年で、以来、名門のハルビン・スケートクラブに所属している。スケートを始めたきっかけは「母親の言いつけ」であった。 1997年には12歳で女子シングルの中国ジュニア女王になる。その翌年、「シングルより多彩な技が使えるから」という理由でペアに転向。パートナーは最初から張昊(同じ苗字ではあるが二人の間に血縁関係や婚姻関係は無い)である。 1999-2000シーズンよりISUジュニアグランプリに参戦、このシーズンはISUジュニアグランプリのSBC杯で優勝、JGPモントリオール杯で準優勝、JGPファイナル5位、世界ジュニア選手権5位、中国選手権2位という成績を残した。 2000-2001シーズンはJGP中国、JGPピルエッテン、JGPファイナル、世界ジュニア選手権の全てで優勝し、ジュニアクラスのタイトルを総なめにした。2000年の世界ジュニア選手権では史上初めてISUに公式に認定された4回転ツイストリフトを成功させている。 2001-2002シーズンのISUジュニアグランプリシリーズも全勝。ニアクラスのISUチャンピオンシップスにも参戦い2002年四大陸選手権3位、2002年世界選手権9位、ソルトレイクシティオリンピック11位など、早くも檜舞台を経験した。この時の世界選手権で今度はシニアクラスでも4回転ツイストリフトに成功する。オリンピックのショートプログラムでは、ダイナミックな技の連続でスタンディングオベーションを受けた。 2002-2003シーズンからはISUグランプリシリーズに参戦した。表彰台に上ることはなかったが、中国選手権では優勝している(ただしこのシーズン以降、申雪&趙宏博組は中国選手権に参戦していないので、彼等を破っての優勝ではない。)。 2003-2004シーズンにはISUグランプリシリーズはエリック・ボンパール杯で優勝、スケートアメリカとロシア杯で3位、グランプリファイナルにも出場したが6位に終わった。 2004-2005シーズンには世界選手権3位にまで到達し、申雪&趙宏博組に肉薄する。この2シーズンでの彼等の演技の進歩は著しいものであり、同様に力を付けた同門の龐清&佟健組とともに、ペア競技に中国の時代が到来したことを感じさせた。 2005-2006シーズンのトリノオリンピックでは優勝候補だった申雪&趙宏博組の趙宏博がアキレス腱断裂の大怪我をおったため、中国の一番手として大会に挑んだ。SPで2位につけた二人は、FSにおいて4年前に申雪&趙宏博組が挑んで果たせなかった4回転スロー・ジャンプに挑戦した。しかし張丹は着氷時に転倒し、左膝に負傷をおい演技は一時中断された。もはや演技続行は不可能かと思われたが、張丹は演技続行を選び、負傷後のパートでサイド・バイ・サイドの2回転アクセル-3回転トウループ という女子シングルのトップ選手でも難しいコンビネーションジャンプを成功させ、銀メダルを獲得した。さらにチームは翌月の世界選手権にも出場、こちらでも2位に入り彼等が今や世界のトップ・チームの一角であることを満天下に示したのだった。 2006-2007シーズンのグランプリファイナルでは3位に入賞するも表彰式を欠席した。張丹は大会中体調が思わしくなく大会後検査入院を受けた。万全でない状態で出場した世界選手権のSPではミスが響き10位と大幅に出遅れ、FSでも振るわない演技で4位、総合5位でシーズンを終えた。 2007-2008シーズンも張丹の体調は万全ではないもののISUグランプリシリーズではエリック・ボンパール杯、ロシア杯共に1位。しかしグランプリファイナル、四大陸選手権では共に2位に終わる。四大陸選手権終了後手術を受け、世界選手権に出場、SPでは43.5点というすさまじい技術点をたたき出し1位につけたが、FSではミスが目立ち総合2位に終わった。 2008-2009シーズンもISUグランプリシリーズで2連勝を果たすも、グランプリファイナル、四大陸選手権では優勝をすることはできず、世界選手権も2年連続の銀メダルとなった。 2009-2010シーズンは中国杯で2位、スケートアメリカで3位と振るわず、グランプリファイナルでは最下位の6位に沈んだ。SPの曲を2シーズン前のものに戻し、FSの衣装を変更して臨んだ四大陸選手権では優勝したものの、二大会連続のメダルを狙ったバンクーバーオリンピックでは5位に終わる。翌月の世界選手権ではSP、FS共にミスの少ない演技を見せ、FSではパーソナルベストを更新し、技術点ではトップだったものの演技構成点で他組に差をつけられ、こちらも総合5位に終わり苦しいシーズンとなった。 2010-2011シーズンはシーズンイン直前、新しいリフトの練習中に張昊が中指を粉砕骨折したため全試合を欠場した。2011-2012シーズンに復帰して、ISUグランプリシリーズ2戦で2位に入り、グランプリファイナルへ出場し4位となった。 元々フィギュアスケートの女性選手としては高身長であったが、20代半ばを過ぎてもさらに身長が伸び続け、ペアスケーティングの女性として過去に例のない169.5cmにまで達した。張昊は大柄な張丹を持ち上げるため見事にビルドアップされていたが、さすがにバランスがとりにくくなったためペアの解散と競技生活からの引退も表明した。引退後は北京体育大学での勉強を予定している[3]。 特徴4回転ツイストリフトやスロージャンプなど姚濱門下に共通するダイナミックな演技が持ち味である。身長は169.5センチとペア競技では異例なまでに高い(シングルでもこの身長は稀である)が、体型は極めて細い。 フリースケーティングでのコンビネーションジャンプでは、2アクセル+3トウループを飛ぶ。コンビネーションジャンプのセカンドジャンプで3回転のジャンプを跳ぶのは、2015年スケートアメリカでクセニヤ・ストルボワ/ヒョードル・クリモフ組が3トウループ+3トウループ+2トウループを跳ぶまで張丹と張昊のペアのみだった。 主な戦績
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プログラム使用曲
脚注
参考文献
外部リンク |