タチアナ・ボロソジャル
タチアナ・アンドリイウナ・ボロソジャル(ウクライナ語: Тетя́на Андрі́ївна Волосожа́р、ウクライナ語ラテン翻字: Tatiana Andreevna Volosozhar、ロシア語: Татья́на Андре́евна Волосожа́р、1986年5月22日 - )は、ウクライナ出身、ロシアの女性フィギュアスケート選手(ペア)。パートナーは夫のマキシム・トランコフ、スタニスラフ・モロゾフ、ペトル・ハルチェンコ。 2014年ソチオリンピック金メダリスト、団体戦金メダリスト。2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピックペアウクライナ代表。2013年世界選手権優勝。 表記ウクライナ語の読みに基づけばテチャーナ・ヴォロソジャールであるが、本稿では日本国内メディアで多く使用されるカナ表記を用いている。 人物2014年12月31日、旅行先のバリでパートナーのトランコフからプロポーズを受けた[1]。2015年8月18日、モスクワで挙式を執り行った。ブライズメイドの一人としてアデリナ・ソトニコワ、ベストマンとしてステファン・ランビエールとヒョードル・クリモフが式に立ち会った[2]。 2016年9月21日、妊娠を発表した[3]。2017年2月16日、第一子となる女児が誕生した[4]。 経歴ウクライナのドニプロペトロウシクに生まれ、5歳のころにスケートを始めた。2000年にペトル・ハルチェンコとペアを結成し、2001年世界ジュニア選手権に出場し13位となる。翌2001-2002シーズンからISUジュニアグランプリに参戦。GPチェコスケートで3位、JGPバルト杯で2位となり、JGPファイナルへも進出した。結果は7位。 2002-2003シーズンからはISUジュニアグランプリに出場しつつ、シニアクラスのISUグランプリシリーズにも参戦。ともに表彰台に上ることはなかったが、同シーズンには欧州選手権および世界選手権にも出場。2003-2004シーズンのウクライナ選手権で初優勝を飾り、世界選手権に出場したが14位に終わる。シーズン終了後にペトル・ハルチェンコとのペア解散、新たにスタニスラフ・モロゾフとペアを結成した。 2005年冬季ユニバーシアード競技会で2位、2005年欧州選手権では5位入賞となった。トリノオリンピックを控えた2005-2006シーズン、カールシェーファーメモリアルで優勝し、トリノオリンピック出場資格を得たが、2005年11月、練習中にパートナーのスタニスラフ・モロゾフがケガをしたためISUグランプリシリーズへの出場は見送られた。ケガ明けのトリノオリンピックでは12位、世界選手権では10位に終わる。 2007-2008シーズン、初戦のエリック・ボンパール杯では5位となり、NHK杯ではSPで2位と好スタートを切ったが、FSではミスが目立ち総合で4位に終わった。欧州選手権ではSPを終え3位に付けていたものの、FSで逆転を許し総合4位、メダル獲得はならなかった。 2度目のオリンピックとなったバンクーバーオリンピックでは8位となった。これを最後にスタニスラフ・モロゾフとのペアを解散し、新たにマキシム・トランコフとペアを結成した。 2010-2011シーズン、トランコフとのペアで出場したロシア選手権ではSP、FSで共に1位となり優勝した。ISU主催の初めての大会となった世界選手権では銀メダルを獲得。 2011-2012シーズンはグランプリシリーズに参戦し、2大会で優勝。グランプリファイナルでは2位となった。ロシア選手権は欠場したが、欧州選手権で初優勝を果たす。世界選手権はSPで8位と出遅れたものの、FSで巻き返し、2年連続で銀メダルを獲得した。 2012-2013シーズン、グランプリシリーズは2連勝、グランプリファイナルは初優勝、ロシア選手権では2連覇を果たす。欧州選手権の3日前、1月20日にトランコフの父親が亡くなったが出場。初めてアリオナ・サフチェンコ/ロビン・ゾルコーヴィ組を破り2連覇を果たしたものの、エキシビションは欠場した[5]。世界選手権ではFSと総合得点の歴代最高得点を更新し、初の金メダルを獲得。 2013-2014シーズン、ネーベルホルン杯で優勝。SPでは史上初の80点台、FSでも史上初の150点台を出し全てで歴代最高得点を更新した。スケートアメリカでも歴代最高得点をさらに更新し優勝。グランプリファイナルではSP首位に立つも、ジャンプの失敗が影響し2位。ロシア選手権は試合間隔が狭すぎるという理由で欠場した。欧州選手権ではSPでシーズン3度目の歴代最高得点を記録。FSでは2度の転倒があるなど精彩を欠いて2位だったがリードを守りきり3連覇を果たした。ソチオリンピックの団体戦ではSPに出場し1位となりロシアの金メダルに貢献した。個人戦ではシーズン4度目の歴代最高得点を出し首位に立ち、FSでも1位の完全優勝。地元開催のオリンピックでペア選手が優勝するのは初めてのことである。 2014-2015シーズン、グランプリシリーズはトランコフの肩の怪我で出場を見送った[6]。最終的にはシーズンを休養し、トランコフのリハビリやショー出演に時間を充てた。 2015-2016シーズン、ネーベルホルン杯で復帰し優勝。エリック・ボンパール杯でも優勝したが、NHK杯は脚の怪我を理由に出場を辞退した[7]。ロシア選手権では3度目の優勝を果たし、続く欧州選手権でも2年ぶり4度目の優勝を飾った。世界選手権では6位。ペア結成以来初めてメダルを逃した。 2016年5月8日、2016-2017シーズンのグランプリシリーズの欠場を発表した[8]。9月11日には、シーズン全ての試合の欠場を発表した[9]。 主な戦績
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脚注
参考文献
外部リンク |
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