三浦璃来
三浦 璃来(みうら りく、英語: Riku Miura、2001年12月17日 - )は、兵庫県宝塚市出身[1]の女性フィギュアスケート選手。 2015年からペア選手として活動し、パートナーは木原龍一。マネジメントはIMG。身長145cm。 日本選手が苦戦していたペア競技において、数々の最高成績を更新している歴史的な選手である。2022年北京オリンピックで日本初の入賞となるペア7位、団体戦銀メダル獲得に貢献した。2022-2023年のシーズンでは、日本ペア史上初のグランプリシリーズのスケートカナダで優勝、NHK杯優勝、また、世界選手権、四大陸選手権、グランプリファイナルで優勝しフィギュアスケートの全カテゴリを含めて日本選手初となる年間グランドスラムを達成した[2]。 経歴2006年、5歳のときにスケートを始めた。フィギュアスケートをするディズニーのアニメを見て私にもできると思ったのがきっかけだった。スケート上達に向け、体を柔らかくするために新体操を、精神力を鍛えるために空手を、スケートと並行して子供の頃にやっていたが2つとも短期間でやめた。空手では回し蹴りが得意だったという[3]。 小学生の時点でスケート中心の生活だった[4]。 当初シングル選手として活動していたが、2015年に同じ練習拠点だった市橋翔哉とペアを結成した。 市橋翔哉とのペアペアの愛称は「りくしょう」。 2015年12月、全日本選手権ジュニアクラスで優勝[5]、初めての国際大会となった2016年ババリアンオープンでは7位となった。 2016年12月、全日本選手権ジュニアクラスで2連覇を達成[5]。2017年1月に開催されたメンタートルン杯で優勝を果たした。 2017年3月、初出場となった2017年世界ジュニア選手権ではショートプログラム(以下SP)11位、フリースケーティング(以下FS)13位で総合11位となった。 2019年7月、ペアを解消。 木原龍一とのペア2019 - 2020シーズンその頃、同じようにペアを解散していた木原龍一に申し出て、2019年7月末にトライアウトを行った[6]。「ペアはどちらかが合わせるイメージでしたけど、滑ってみてお互いが合いました」[7]とのちに語ったように、相性のよさを互いに実感し、8月5日、木原が所属する木下グループから新ペア結成を発表した[8]。ペアの愛称は「りくりゅう」[9]。カナダ・オークビルを練習拠点とし[10]、結成わずか3か月ながら初出場したグランプリシリーズNHK杯において第5位[11] 、四大陸選手権では8位。派遣が決定していた世界選手権はコロナウイルス感染症の影響により中止となった。 2020-2021シーズン新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、出場を予定していたスケートカナダが開催中止となり、全日本選手権への出場も辞退したため[注 1]、世界選手権がシーズン初戦となったが、SPで8位となり、初のFS進出を果たす。FSでは10位で、総合順位は10位となった。これにより、北京オリンピックの日本の出場枠「1」を自力で獲得した[13]。世界国別対抗戦ではSP、FSともに3位となり、日本の銅メダル獲得に貢献する。 2021-2022シーズンシーズン初戦のオータムクラシックで総合得点200点を超え、国際大会初優勝を果たす[14]。スケートアメリカでは2位となりISUグランプリシリーズで初のメダルを獲得。またNHK杯では3位となり、日本人同士のペアとして初めてグランプリファイナルに進出した[注 2]。オミクロン株の影響で、全日本選手権は昨年に続き欠場するも、今季の実績をもとに北京オリンピック代表、世界選手権代表に選出された[15]。
北京冬季オリンピックにペアの日本代表として出場した。2月4日に開催された団体戦のペアSP、7日のFSともに自己ベストを更新し、それぞれ4位、2位になると、日本のフィギュアスケート団体戦初のメダル獲得に貢献した[16]。その後、ロシアチーム(ROC)のドーピング違反により、2024年8月、日本の順位は2位に繰り上がっている[17]。なお、このドーピング問題で、長らく団体戦の順位が確定せずに表彰式も延期となった。順位確定後の2024年8月7日、夏季パリオリンピック期間中にパリ市内にて改めてセレモニーが開催され、アメリカチームに金メダルが、日本チーム[18]に銀メダルが授与された[19]。 2月18~19日に行われた個人戦ではSPでミスはあったものの8位となってFSに進出し、FSでは自己ベストを更新する出来で総合順位は7位。五輪での日本人ペアとしては初入賞、史上最高順位となる7位入賞を果たした[20]。 3月の世界選手権では、SP3位、FSで3位で銀メダルを獲得。日本勢のペア種目では五輪を含め過去最高順位で、日本人同士のペアでは初の表彰台に上がる快挙を果たした。しかしFSのソロジャンプ、スロージャンプなどでミスがあったことから演技後は涙も見せ、「今シーズンたくさん成長することが出来たので、来年も必ず自分たちは成長出来ると思っているので、さらにさらに頑張って行きたいと思います」と語った[21]。 2022-2023シーズン7月のアイスショーで左肩を負傷(脱臼)し、治療とリハビリのため二人での練習が9月までできなかった[22]というが、今季初戦となるスケートカナダでは、SP1位、FS1位、合計で自己最高を記録して優勝し、ペアの日本勢で初めてグランプリシリーズの頂点に立った[23]。続くNHK杯でもSPでは自己最高を更新、世界歴代5位(開催時点)の高得点で1位、FSもまた1位となり、合計で自己最高を記録し制覇すると、グランプリファイナル出場を決めた[24]。グランプリファイナルではSP、FSともに1点に満たない僅差の戦いを制して1位となり優勝を果たした。グランプリファイナル制覇もまた日本のペア史上初の快挙である[22]。 全日本選手権は出場予定であったが、拠点であるトロントから日本への移動時に航空便の大幅遅延およびロストバゲージに見舞われ、日本には着いたものの欠場となった[25][26]。 グランプリシリーズの成績等から世界選手権、四大陸選手権代表に選出されると、四大陸選手権でもSP1位、FS1位を獲得すると、日本人ペアでの史上初優勝を飾る[27]。 さらに世界選手権ではSPで80.72点と自己ベストを更新して首位に立ち、FPでは転倒がありながらも自己ベストを更新、合計222.16点で優勝した。これも日本人ペアとして初優勝であり、再び歴史を塗り替えた[28]。また、このシーズンのISUチャンピオンシップである世界選手権、四大陸選手権、グランプリファイナルを制したことで、日本フィギュア界初の年間グランドスラムを達成している[28]。 2023-2024シーズングランプリシリーズは、スケートアメリカ、NHK杯に出場予定だったが、木原の腰椎分離症のため、両試合とも欠場となった[29][30]。 世界選手権ではフリー当日の6分間練習で転倒して、肩を亜脱臼した状態で望むことになったが2位に輝いた。その後医師により6週間の安静が必要と診断された[31]。 2024-2025シーズンロンバルディア杯ではSPが73.53点で2位、FSが126.02点で3位、合計199.55点で2位となった[32][33]。 スケートアメリカではSP1位、FS1位で優勝。主要な国際大会での優勝は、2023年3月の世界選手権以来1年7か月ぶりとなった[34]。 スケート観試合は毎回とても緊張する[4]。 ペア演技では1番難しいと感じるところは、2人のタイミングのずれやコンディションの違いである。ただ、その難しさを2人で乗り越えたときは、喜びも2倍になり相方とその喜びを分かち合えるのは、ペアにしかない楽しさだという[4]。 記録主な戦績木原龍一とのペア
市橋翔哉とのペア
ISUパーソナルベストスコア
詳細
プログラム使用曲
受賞歴
サポート・パートナーシップ契約他
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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