趙 宏博(ちょう こうはく、中国語: 赵宏博、英語: Hongbo Zhaoツァオ・ホンボー、1973年9月22日 - )は、中華人民共和国ハルビン出身の男子フィギュアスケート選手(ペア)、コーチ。バンクーバーオリンピック金メダリスト、ソルトレイクシティオリンピック及びトリノオリンピック銅メダリスト。2002年、2003年、2007年世界フィギュアスケート選手権優勝。パートナーは妻の申雪。
経歴
コーチの勧めでペアに挑戦。その後1992年から申雪とペア競技に取り組み、1997年ごろから頭角を現し、長野オリンピックでは初出場でありながら5位という好成績を収めた。1999年世界選手権では中国のペアとして初めて世界選手権のメダルを獲得した。
2001-2002シーズン、ソルトレイクシティオリンピックでは、五輪史上初の4回転スロージャンプに挑戦、申雪は着氷に成功したかに見えたが直後にブレードが滑って転倒、4回転スロージャンプの成功認定はならず、銅メダル獲得となった。その後の世界選手権では中国のペアとして初めて優勝した。
2002-2003シーズン、グランプリファイナルを除く全ての大会で優勝を果たした。世界選手権ではSPでサイドバイサイドのスピンでバランスを崩し2位。FSの公式練習で4回転スロージャンプで申雪が足首を負傷し、痛み止めを打ち演技に臨んだ。ノーミスでスタンディングオベーションを起こし、世界選手権2連覇を果たした[1]。
2003-2004シーズン、グランプリシリーズの採点方式が新採点方式(CoP)に移行。スケートカナダではタチアナ・トトミアニナ/マキシム・マリニン組に敗れ2位となるが、当シーズンよりISUグランプリシリーズに組み込まれた中国杯では優勝。グランプリファイナルではスケートカナダで敗れたトトミアニナ/マリニン組に18.78の大差をつけ3度目の優勝。世界選手権のSPでは趙宏博がソロジャンプで転倒し4位。FSでは前年に引き続きスタンディングオベーションを起こし1位。最後の6点満点方式を採用となった大会で技術点で2個、芸術点では10個の6.0を獲得した[2]。
2004-2005シーズン、スケートカナダ、エリック・ボンパール杯、ロシア杯とグランプリシリーズは全勝。グランプリファイナルも優勝し、この4戦はSP、FSを通じ完全優勝を果たした。四大陸選手権の練習時に左足のアキレス腱を痛め棄権。怪我が治らないまま出場した世界選手権ではSP3位。FSの6分練習には姿を見せたが、演技を行わず棄権をした[3]。
2005-2006シーズン、8月にアキレス腱断裂の重傷を負い、練習に復帰できたのは11月だったためグランプリシリーズの欠場を余儀なくされた[4]。トリノオリンピックでは金メダル候補と思われていたが、長年のライバルだったロシアのトトミアニナ/マリニン組、後輩である中国の張丹/張昊組に敗れ、念願であったオリンピックでの金メダル獲得はならなかった。
2006-2007シーズン、出場した全ての大会でSP、FSを通じて完全優勝。世界選手権のFSの演技終了後、申雪にプロポーズを行う一幕もあった。
2007-2008シーズンより競技会には出場せず、アイスショーを中心に活動していたが、2009-2010シーズンISUグランプリシリーズで国際大会に復帰。中国杯、スケートアメリカと優勝。この優勝でボフロスト杯を含め、グランプリシリーズ7大会を制した初めての選手となった。グランプリファイナルでは自らが持つ国際スケート連盟主催大会スコアの最高記録を塗り替え、史上最多6回目の優勝をした。バンクーバーオリンピックでは、SP76.66点、FS139.91点、合計216.57点というパーソナルベストを記録。ロシア勢の13連覇を阻んで金メダルを獲得した。
2010年2月に現役引退を発表。2010年8月に自らが主催したアーティストリー・オン・アイスで海外のスケーターも招き、結婚式を行った[5]。
2013年9月3日、第1子となる女児が誕生した[6]。
現在はコーチとして活躍しており、今日の中国ペアでトップクラスの4組(彭程/張昊組、隋文静 /韓聰組、于小雨/金揚組、王雪涵/王磊組)を指導している。2014年、教え子たちはグランプリシリーズで中国杯の表彰台独占をはじめ出場したすべての大会でメダルを獲得し、3組がグランプリファイナルに進出した。
氷上でのプロポーズ
申雪と趙宏博が恋人の関係にあるのではないかという推測は、ソルトレイクシティオリンピックの前後から根強いものがあった。特に趙宏博はしばしばそうした希望を中国メディアにおいてほのめかせていたが、申雪は「彼はあくまでも競技の上でのパートナーに過ぎない」と断言し続けた。しかし2007年の世界選手権においてフリー演技が終了した直後、趙宏博は氷上でついに申雪に結婚を申し込んだ。ところが申雪は自分が結婚を申し込まれたことをこの時認識できておらず、趙宏博のロマンチックなプランは空振りに終わった。結局、趙宏博はその日の深夜、夜食を取ってからホテルに戻る途上で改めて申雪に求婚し、申雪もこれを快く受け入れた。
主な成績
詳細
2005-2006 シーズン
|
開催日
|
大会名
|
SP
|
FS
|
結果
|
2006年2月10日 - 26日
|
トリノオリンピック(トリノ)
|
5 62.32
|
3 124.59
|
3 186.91
|
プログラム使用曲
脚注
- ^ ワールドフィギュアスケート No.11 P.20
- ^ ワールドフィギュアスケート No.14 P.26
- ^ ワールドフィギュアスケート No.18 P.17
- ^ ワールドフィギュアスケート No.22 P.47
- ^ Xue Shen and Hongbo Zhao
- ^ China's figure-skating couple have baby daughter
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
趙宏博に関連するカテゴリがあります。
ISUグランプリシリーズ(1995-) |
---|
|
---|
|
名称の変遷:スケートアメリカ(1979-現在)/ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(1995-現在) |
|
---|
|
名称の変遷:スケートカナダ(1973-現在)/ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(1995-現在) |
|
---|
|
名称の変遷:ラリック杯(1987-2003)/ISUグランプリシリーズ ラリック杯(1995-2003)/ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(2004-2015)/フランス杯(2016)/フランス国際(2017-現在) |
|
---|
|
名称の変遷:富士フイルム杯(1986-1987)/ネイションズ杯(1989-1994)/ISUグランプリシリーズ ネイションズ杯(1995-1996)/ ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(1997-2001)/ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯(2002)/ボフロスト杯(2003-2004) |
|