トマシュ・ベルネル(チェコ語:Tomáš Verner, 1986年6月3日[1] - )は、チェコ共和国の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。他の日本語表記としてトマーシュ・ヴェルネルなど。
2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピック、2014年ソチオリンピックチェコ代表。2008年欧州選手権優勝。
人物
自他ともに認める日本びいき[2]。東京で開催された2007年世界選手権のエキシビションでは、日の丸の入った鉢巻を巻いてピンク・パンサーを演じ、会場の笑いを誘った[3]。2007-2008シーズンフリーのグリーン・デスティニーでは、「勇名トラ」と胸に書かれた衣装を着た[2]。
4回転トウループと6種類の3回転ジャンプを跳ぶことができる。4回転は16歳から跳んでいる[4]。
母国語であるチェコ語と英語、ドイツ語を流暢に話す事が出来る。また、ロシア語も少し話す事が出来る。
2010年にカレル大学を卒業[5]。
選手引退後はアイスショー出演、テレビ解説、イジー・ベロラドスキー、マティアシュ・ベロラドスキーら後進のコーチ及び振付師、チェコの紳士服ブランドの広告モデル[6]、テレビ番組の司会者[7]として多彩に活躍している。
経歴
1986年6月3日、チェコスロバキア南ボヘミア州ピーセクで生まれる。5歳のとき、スケート場で見かけた女の子が気に入ったことがきっかけでフィギュアスケートを始めた[2]。12歳から親元を離れ、練習拠点を求めてコーチとともに世界各国を渡り歩く[8]。1999-2000シーズンよりISUジュニアグランプリに参戦。2001-2002シーズンに初めてチェコ選手権を制し、欧州選手権や世界選手権にも出場し始める。2005-2006シーズン、カールシェーファーメモリアルで優勝してトリノオリンピック出場枠を得る[9]。2006年トリノオリンピックでは18位となった。
2006-2007シーズンからグランプリシリーズに参戦。欧州選手権で銀メダルを獲得し、世界選手権ではFSで2度の4回転トウループを決めて4位となる。2007-2008シーズン、フィンランディア杯で優勝。NHK杯では、SPの2つのステップでレベル4を獲得。FSも大きなミスなく終えて2位となり、グランプリシリーズで自身初の表彰台に立った。欧州選手権ではブライアン・ジュベールやステファン・ランビエールらを抑えて初優勝。世界選手権はFSでジャンプがほとんど決まらず15位に沈んだ。
2008-2009シーズン、初めてグランプリファイナルに駒を進めた。欧州選手権はFSで崩れて連覇を逃した。
2009-2010シーズン、スケートアメリカ期間中にH1N1亜型インフルエンザに罹ったことがきっかけで深刻な不振に陥る[10]。グランプリファイナルはブライアン・ジュベールの出場辞退により繰り上がり出場し6位。バンクーバーオリンピックでは19位。世界選手権は8年ぶりに出場しなかった。
2010-2011シーズンよりコーチをロバート・エマーソンに変更し、拠点をカナダに移した[10]。ロステレコム杯で自身初となるグランプリシリーズでの優勝を果たした。欧州選手権ではSP5位と出遅れたもののFSで2位と巻き返し、総合で3位となって3年ぶりに欧州選手権の表彰台に立つこととなった。
2011-2012シーズンは背中の故障の為、ロステレコム杯を欠場。国内選手権で復帰し優勝した。欧州選手権では、SPで3位に入るがFSでミスが重なり、5位に終わった。
2012-2013シーズンは欧州選手権は11位、世界選手権は21位と振るわない成績に終わった。シーズン終了後、3シーズンの間拠点にしていたトロントを去り、以前練習拠点にしていたオーベルストドルフのキャンプに参加。コーチをミヒャエル・フースに戻した[11][12]。
2013-2014シーズン、オンドレイネペラトロフィー、ニース杯で連続優勝。前年までの三国に加えハンガリーを加えて初開催された四国選手権でも優勝した。欧州選手権ではSPで自己ベストを更新し3位、FSではジャンプのミスが相次ぎ、総合では7位となった。最後の試合として臨んだソチオリンピックでは11位となった[13]。その後引退を撤回し、世界選手権へ出場する意向を示した[14]。世界選手権ではSPで自己ベストを更新し4位となるも、FSでは大きく崩れ15位となったものの、スタンディングオベーションを受け、総合10位となった。
主な戦績
2004-2005シーズンから
2003-2004シーズンまで
詳細
プログラム使用曲
脚注
外部リンク