ロビン・ゾルコーヴィ(ドイツ語: Robin Szolkowy, 1979年7月14日 - )は、ドイツ出身の男性元フィギュアスケート選手(ペア)。パートナーはアリオナ・サフチェンコ、クラウディア・ラウシェンバッハなど。
世界フィギュアスケート選手権優勝5回。2006年トリノオリンピックペアドイツ代表。2010年バンクーバーオリンピック、2014年ソチオリンピック銅メダリスト。
経歴
1979年、ドイツ、メクレンブルク=フォアポンメルン州のグライフスヴァルトに生まれる。父は当時ドイツ留学中だったタンザニア人医師で、ドイツ人看護師の母親のもとで育つ。母とともにエアフルトへ移った4歳のときにスケートを始めた。
当初男子シングル選手として活動していたが、16歳のときよりペアに転向、ケムニッツで生活を始め、最初のパートナーはヨハンナ・オットー、次いでアネット・ペッチの娘であるクラウディア・ラウシェンバッハと組んで2001年のドイツ選手権で優勝する。
ラウシェンバッハの引退後はケムニッツのシンクロナイズドスケーティングチームに所属しながらパートナーを探し、2003年、ウクライナ出身のアリオナ・サフチェンコとペアを結成した。インゴ・シュトイアーに師事し、2004-2005シーズンからISUグランプリシリーズに出場、表彰台の常連となっていった。トリノオリンピックを控えた2005-2006シーズンにはスケートカナダでISUグランプリシリーズ初優勝を飾り、初出場のグランプリファイナルでは3位。2005年12月29日にサフチェンコがドイツ国籍を取得、ドイツ代表として2006年トリノオリンピックに出場し、6位となる。
2006-2007シーズン、欧州選手権で初優勝、世界選手権で初表彰台の3位となる。2007-2008シーズンはネーベルホルン杯で優勝し、ISUグランプリシリーズのスケートカナダでも優勝、次戦のロシア杯では2位となったものの、3戦目となるNHK杯では優勝を飾った。3度目の出場となったグランプリファイナルでは、SPとFSでともに1位となり、初優勝を飾った。年が明けて欧州選手権では自己最高得点をマークし2連覇を達成した。世界選手権では初優勝を果たし、1997年に自身のコーチであるインゴ・シュトイアーが優勝した以来の栄冠をドイツにもたらした。
2008-2009シーズン、シーズン序盤から安定した成績を収め、グランプリファイナル以外の大会では全て優勝。世界選手権では2連覇を果たした。
2009-2010シーズン、エリック・ボンパール杯では転倒や要素が抜けるなどの大きなミスがあり3位、フリーのプログラムを一新して臨んだスケートカナダでは史上初めてPCSで10.00の評価をジャッジから受ける演技で優勝。グランプリファイナルではSP2位につけるが、FSでのミスが響き2年連続の3位に終わった。4連覇を狙った欧州選手権でもSPではミスのない演技だったが、FSで逆転を許し2位となった。「金メダル以外はいらない」という思いで臨んだバンクーバーオリンピックだったが、FSでのミスが響いてSP2位から1つ順位を落とし、3位となった。
2010-2011シーズン、シーズン序盤から安定した成績を収め、出場した全ての大会で優勝。世界選手権ではFS、合計得点で世界最高得点を塗り替えて3度目の優勝を果たした。
2011-2012シーズン、グランプリシリーズは3大会にエントリーして好成績を収め、グランプリファイナルでは前年に引き続き優勝した。欧州選手権はサフチェンコの怪我が原因で、SP直前に棄権を発表。世界選手権には無事出場し、SPで両足着氷ながらスロー3回転アクセルを成功させ、4度目の優勝を果たした。
2012-2013シーズン、スケートカナダでは優勝したが、エキシビションをサフチェンコの発熱のために出場を辞退した。その後、サフチェンコが静脈洞感染症になりエリック・ボンパール杯の出場を辞退し、8年連続のグランプリファイナルの出場を逃した。世界選手権ではFSの最後のエレメンツにスロー3回転アクセルを組み込む構成で2位、7年連続でメダルを獲得した。
2013-2014シーズン、中国杯の優勝でグランプリシリーズ6大会全てで優勝を果たした。続くロステレコム杯でも優勝。グランプリファイナルではSP、FSともにパーソナルベストの演技で4度目の優勝を果たした。欧州選手権はSP2位だったが、サフチェンコが風邪を引いたために棄権した[1]。引退を決めたソチオリンピック[2]ではSPを3シーズン前のFSのピンクパンサーに変更し挑み、パーソナルベストで2位。最終滑走で迎えたFSでは2度の転倒が響き4位、総合3位で2大会連続の銅メダルに終わった。しかし、大会終了後のインタビューではサフチェンコが世界選手権に出場の意向を示した[3]。世界選手権ではSP、FS共に1位で5度目の優勝し有終の美を飾った[4][5]。8年連続の世界選手権でのメダルはイリーナ・ロドニナに次ぐ記録であり、同一のパートナーによるメダルではリュドミラ・ベルソワ/オレグ・プロトポポフに並ぶ歴代1位の記録である。4月26日に練習拠点のケムニッツで行われたアイスショーを最後に、サフチェンコとの11年に及ぶペアを解消した[6]。
引退後はコーチ業に加え、スイスのミリアム・ロイエンベルガーとペアを組みアイスショーにも出演する[7]。また、ロシアのニーナ・モーゼルのアシスタントコーチとしての活動も始めた[8]。
ロシアでのコーチ業を終え、2019年1月からはカリフォルニア州・アーバインに移住した。ジェニー・メノー/トッド・サンド組やアイスダンス専門家のクリスティーン・バインダーとコーチングチームを結成し、コーチ業を再スタートさせた[9]。
表記
カシューブ語に由来すると見られる姓[10]は、ショルコーヴィーほか多様なカナ表記がされている。
人物
2014年8月1日、スイス人の女性と結婚した[8]。2015年9月、第1子となる男児が誕生した。
主な戦績
詳細
プログラム使用曲
脚注
- ^ Volosozhar, Trankov lead Russian pairs sweep
- ^ Aliona Savchenko and Robin Szolkowy Chasing the Ultimate Triumph
- ^ Savchenko sucht neuen Eiskunstlauf-Partner
- ^ サフチェンコ/ショルコウィー組がペア制し有終の美、世界フィギュア
- ^ Germany's Aliona Savchenko, Robin Szolkowy win fifth pairs at worlds
- ^ Fans feiern noch einmal Aljona Savchenko und Robin Szolkowy
- ^ Robin Szolkowy kehrt auf das Eis zurück
- ^ a b Reinvented Szolkowy turns to pro skating, coaching
- ^ Robin Szolkowy: "Das Abenteuer reizt mich total"
- ^ https://ameblo.jp/nirenoya/entry-10058519062.html
- ^ a b オープン参加選手を含めても1位
- ^ バンクーバーオリンピック最終予選。国際スケート連盟主催。
- ^ Savchenko, Szolkowy out to erase 2010 letdown
- ^ Savchenko, Szolkowy to take classical curtain call
参考文献
ISUグランプリシリーズ(1995-) |
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名称の変遷:スケートアメリカ(1979-現在)/ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(1995-現在) |
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名称の変遷:スケートカナダ(1973-現在)/ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(1995-現在) |
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名称の変遷:ラリック杯(1987-2003)/ISUグランプリシリーズ ラリック杯(1995-2003)/ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(2004-2015)/フランス杯(2016)/フランス国際(2017-現在) |
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