アレクサンドル・スミルノフ
アレクサンドル・ヴィクトロヴィチ・スミルノフ(ロシア語: Александр Викторович Смирнов、英語: Alexander Victorovich Smirnov, 1984年10月11日 - )は、トヴェリ州トヴェリ出身の男性元フィギュアスケート(ペア)選手。パートナーは川口悠子など。 2010年バンクーバーオリンピックロシア代表。2009年、2010年世界選手権3位、2010年・2015年欧州選手権優勝。 人物2010年8月に一般人女性と結婚。2014年10月には夫人との間に第一子となる男子をもうけている。 経歴トヴェリ州トヴェリに生まれ、4歳のころにスケートをはじめた。当初は男子シングル選手として活動していたが、17歳のときにペアスケーティングに転向し、アレクサンドラ・ダニロワとのペアを経て2005年にエカテリーナ・ワシリエワとペアを結成した。JGPバルト杯で2位となったものの、シーズン終了後に解散。2006年4月川口悠子と新たにペアを結成した。 2006-2007シーズン、ロシア杯で3位、2007年3月世界選手権に出場し、9位となるなど頭角を現す。2007-2008シーズンはスケートカナダ、ロシア杯ともに3位となり、初のグランプリファイナル進出を決めた。グランプリファイナルではSPとFSともに転倒があり5位に終わった。年が明けて2008年1月、ロシア選手権で初優勝を飾り、欧州選手権のロシア代表に選出された。欧州選手権ではSPで4位スタートとなったものの、FSで3位となり総合3位、初出場でメダルを獲得した。 2009-2010シーズン、欧州選手権ではSP、FS、総合得点の全てにおいてパーソナルベストを更新して初優勝。FSではISU歴代最高得点も更新した。 2010年4月、川口は肩の手術を行った[1]。また、スミルノフは股の付け根部分を負傷したために、ドイツで治療を受けた[2]。その後、スミルノフがかかとを捻挫し、2人の治療のためにスケートカナダの出場を取り止めた。その後、ロステレコム杯で復帰し優勝をした。東日本大震災の影響で急遽、ロシアへ開催地が変更となった世界選手権では4位入賞。エキシビションでは日本への思いを込めて「いつも何度でも」を滑った。 2011-2012シーズン、グランプリシリーズに3戦出場。グランプリファイナルでは初のメダルの銅メダルを獲得。ロシア選手権はグランプリファイナルの前から痛めていたひざの怪我のために欠場[3]。さらに出場を予定していた欧州選手権は、盲腸炎の緊急手術のために欠場した[4]。世界選手権ではSPでリフト中に転倒し11位と出遅れた。FSでは4位と巻き返したものの同じくリフトで大きなミスを犯した。総合では7位に終わった。 2012-2013シーズン、夏に右膝の半月板の手術を行った[5]。欧州選手権はペア結成以来初めてメダルを逃した。世界選手権ではSP4位だったが、FSの最後のリフトでフェンスに接触し失敗。順位を6位に落とした。 2013-2014シーズン、国内大会のパニンメモリアルで3回転トゥループを転倒。その時に断裂した膝の靭帯の手術のために、スケートカナダとNHK杯の出場を辞退した[6]。怪我からの復帰は間に合わず、シーズン全ての試合を欠場することになった。このシーズン限りでの引退を予定していたが2018年平昌オリンピックを目指し、現役を続行することを決めた[7]。 2014-2015シーズン、復帰戦のネーベルホルン杯で優勝。グランプリシリーズのスケートアメリカでは自身初めてスロー4回転サルコウでマイナス評価を受けない実施をした。5シーズンぶりにFSのパーソナルベストを更新し優勝した。この優勝により史上5組目のグランプリシリーズ全6戦の優勝者となった。欧州選手権ではSP2位から逆転して、5年ぶり2度目の優勝を果たした。2年ぶりに出場の世界選手権のSPはミスの無い演技で4位につけた。しかしFSではスロー3回転ループの転倒をはじめ精彩を欠き5位に順位を落とした。 2015-2016シーズン、グランプリファイナルでは5年ぶりに銅メダルを獲得。ロシア選手権では3位にSPで0.05点差、FSでは0.07点差の2位で僅差をかわして銀メダルを獲得した。この結果、欧州選手権と世界選手権の代表に内定した。1月20日、川口のアキレス腱の断裂により欧州選手権の代表を辞退した[8][9]。 2016-2017シーズン、グランプリシリーズでは2大会でいずれも表彰台を逃した。ペア結成以降、1つのメダルも獲得できなかったのはこれが初めてである。ロシア選手権でも初めて表彰台を逃し、5位に終わった。 2017年9月22日、引退を発表した[10]。 主な戦績
詳細
プログラム使用曲
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia