マディソン・チョック
マディソン・ラアケア・テラン・ホール・チョック(英語: Madison La'akea Te-Lan Hall Chock, 1992年7月2日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性フィギュアスケート(アイスダンス)選手。パートナーはエヴァン・ベイツ。元パートナーはグレッグ・ズーライン。 2014年ソチ五輪、2018年平昌五輪、2022年北京五輪アメリカ代表。2023年・2024年・2025年世界選手権優勝。2023/2024・2024/2025グランプリファイナル優勝、2019年・2020年・2023年四大陸選手権優勝、2009年世界ジュニア選手権優勝。 人物母はヨーロッパ系アメリカ人、父は中国・ハワイ系アメリカ人で、ラアケア・特蘭・ホール・チョックという姓はアイルランド、ハワイ、中国に由来する。 母のバーバラ・ホールは1973年に「絵はがき」という曲で、日本でレコードデビューをした経験を持つ。 パートナーのエヴァン・ベイツと2017年より交際しており、2022年6月に婚約を発表[1]。2024年6月に結婚した[2]。 経歴![]() ![]() ![]() カート・リンゲフェルターとはノービス以前に1シーズンカップルを組み全米ジュニア選手権で4位に入った。翌シーズンからはグレッグ・ズーラインとカップルを組んでいる。 2008-2009シーズン、ISUジュニアグランプリシリーズ、ジュニアグランプリファイナル、世界ジュニア選手権と出場した試合全てで優勝を果たした。シニア2年目の2010-2011シーズン、奇抜な衣装とメイクを施したフリーダンスが話題となった。グランプリシリーズスケートカナダとエリック・ボンパール杯の両方で3位となり、シニアの国際大会で初のメダルを獲得した。全米選手権でも3位となり、初めてのメダルを獲得した。代表として選出された四大陸選手権では5位、世界選手権ではパーソナルベストを更新し9位となった。その後、シーズン終了間際にズーラインの引退によるパートナー解消を発表した[3]。 2011-2012シーズンでは、シーズン初頭にエヴァン・ベイツとパートナーを組むことを発表、引き続きイーゴリ・シュピリバンドとマリナ・ズエワに師事することを決めた[4]。新カップルのデビューとなったフィンランディア杯では3位と健闘、その後もスケートカナダで4位、エリック杯で5位とパートナーを組んだばかりとしては好調な成績を収めている。 2012-2013シーズンは、全米選手権で前年から順位を大きく上げ2位。四大陸選手権では3位。世界選手権ではお互いに自己最高の7位となった。国別対抗戦は1位。 2013-2014シーズンは、グランプリシリーズ2戦で銅メダルを獲得。全米選手権では2年連続で2位。ソチオリンピックは8位入賞、世界選手権では自己最高の5位に入った。 2014-2015シーズン、スケートアメリカでグランプリシリーズ初優勝。ロステレコム杯でも優勝し、2連勝で初のグランプリファイナル進出を決めた。そこでは銀メダルを獲得した。全米選手権では初優勝。四大陸選手権ではグランプリファイナルと同じくケイトリン・ウィーバー/アンドリュー・ポジェ組に次ぎ銀メダルを獲得した。世界選手権ではSDで全てのエレメンツでレベル4を獲得し1位、FDでは順位を落として2位になるも、自身初の世界選手権のメダルを獲得した。 2015-2016シーズン、グランプリファイナルで2年連続の2位。全米選手権では、4年ぶりにマイア・シブタニ/アレックス・シブタニ組に敗れ2位。四大陸選手権では3位に終わった。地元アメリカ開催の世界選手権では、前年より1つ順位を落とすも銅メダルを獲得した。 2016-2017シーズン、グランプリシリーズは2戦ともに2位。3年連続出場のグランプリファイナルでは最下位の6位。世界選手権では、SDで表彰台圏内につけるも、FDのシンクロナイズドツイズルでミスがあり7位に終わった。 2017-2018シーズン、8月に右足首を負傷し、砕けた骨片が残ったままシーズンが始まった。グランプリシリーズでは2戦ともに2位。4年連続出場のグランプリファイナルでは5位に終わった。全米選手権ではSDで3位発進で、FD1位と巻き返すも首位に0.52点及ばず3位に留まった。平昌オリンピックではSDのウォームアップで再び右足首を負傷した[5]。さらにFDのダンススピンでは、2人の靴のブレードが接触した影響で転倒し総合9位に沈んだ。世界選手権では2年連続で表彰台を逃し、シーズンを通して怪我に苦しめられる結果となった。4月6日に右足首で砕けた骨片を取り除く出術をおこなった[6]。5月下旬にはコーチをマリー=フランス・デュブレイユ、パトリス・ローゾン、ロマン・アグノエルに変更し、練習拠点をカナダ・モントリオールに映した[7]。 2018-2019シーズン、当初はグランプリシリーズへの参加が決まっていたが、怪我からの復帰に万全を期すために出場を辞退した[8]。1月にはメンタートルン杯で優勝して競技会に復帰した。全米選手権では前年よりも1つ順位を上げ銀メダルを獲得した。四大陸選手権では、同門のマディソン・ハベル/ザカリー・ダナヒュー組のレベルの取りこぼしが重なり、2位から逆転優勝を果たした。共に別々のパートナーと世界ジュニア選手権優勝の経験はあるが、シニアのISUチャンピオンシップス優勝はこれが初めてである。 2022-2023シーズン、全米選手権を連覇すると、四大陸選手権優勝、続く世界選手権で初優勝した。 2023-2024シーズン、ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ、エスポーグランプリ、グランプリファイナルを制し、続く全米選手権で3連覇を達成、世界選手権でも優勝し昨年に続き連覇を達成した。 主な戦績
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脚注
外部リンク
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