沖浜町 (福岡市)

沖浜町
福岡市博多区沖浜町 地図
沖浜町の位置(福岡市内)
沖浜町
沖浜町
沖浜町の位置(福岡県内)
沖浜町
沖浜町
沖浜町の位置(日本内)
沖浜町
沖浜町
北緯33度36分33.8秒 東経130度24分5.1秒 / 北緯33.609389度 東経130.401417度 / 33.609389; 130.401417
日本の旗 日本
都道府県 福岡県
市町村 福岡市
博多区
面積
 面積39haは約
 • 合計 39 ha
人口
(2022年12月末現在の人口)
 • 合計 24人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
812-0031
市外局番 092

沖浜町(おきはままち)は、福岡県福岡市博多区町名。現行行政地名は、沖浜町[1]。町内の港湾施設の総体としては「中央ふ頭」と呼ばれる。土地利用については、北部及び南東部において、旅客ターミナルコンテナヤード、物流倉庫などの港湾施設が集積し、南西部において、町内のマリンメッセ福岡が、近接する福岡国際会議場石城町)、福岡サンパレス築港本町)及び福岡国際センター(築港本町)とともに、コンベンションセンターの大規模な集積地の一部を構成している。面積は約39ヘクタール。2022年12月末現在の人口は24人[2]郵便番号は812-0031[3]

地理

福岡市の中心とされる中央区天神の北側、博多区の北西端で、海に面する地域に位置する。町内全域が1937年(昭和12年)から1995年(平成7年)にかけて海面の埋立によって造成された埠頭である。南西、北西及び北東で博多湾に面して岸壁等を形成し、南東で石城町と、南西の一部で築港本町と隣接する。また南西は那珂川の河口部(港湾区域)を介して那の津(須崎ふ頭)に面し、北東は御笠川の河口部(港湾区域)を介して東浜(東浜ふ頭)に面する。

都市計画

都市計画に関しては、「福岡市都市計画マスタープラン」[4]において、沖浜町を含む中央ふ頭と隣接する博多ふ頭、天神周辺、博多駅周辺を核とした一体の地域が都心部として位置付けられている。用途地域は、全域が準工業地域に指定されている。また、都市計画法及び港湾法に基づく臨港地区にも指定されている。さらに、沖浜町の一部に石城町及び築港本町の各一部を加えた区域約16.8ヘクタールの地区については、地区計画の区域として「中央ふ頭地区地区計画」[5]が定められ、展示場ホテル会議場等のコンベンション関連施設の立地などにより、ウォーターフロントの交流拠点にふさわしい市街地の形成等を図ることが目標とされている。

歴史

中央ふ頭を含む沖浜町は1908年(明治41年頃)から1965年(昭和41年)9月10日にかけて埋立によって造成された[6]

沖浜町、石城町及び築港本町における埋立の変遷
1939年12月6日撮影の福岡市沖浜町、石城町及び築港本町の航空写真
1939年12月6日撮影
1948年4月7日撮影の福岡市沖浜町、石城町及び築港本町の航空写真
1948年4月7日撮影
1956年1月30日撮影の福岡市沖浜町、石城町及び築港本町の航空写真
1956年1月30日撮影
沖浜町、石城町及び築港本町における埋立の変遷
1961年5月6日撮影の福岡市沖浜町、石城町及び築港本町の航空写真
1961年5月6日撮影
1964年5月25日撮影の福岡市沖浜町、石城町及び築港本町の航空写真
1964年5月25日撮影
1969年4月28日撮影の福岡市沖浜町、石城町及び築港本町の航空写真
1969年4月28日撮影
沖浜町、石城町及び築港本町における埋立の変遷
1972年4月21日撮影の福岡市沖浜町、石城町及び築港本町の航空写真
1972年4月21日撮影
1979年5月23日撮影の福岡市沖浜町、石城町及び築港本町の航空写真
1979年5月23日撮影
1998年11月12日撮影の福岡市沖浜町、石城町及び築港本町の航空写真
1998年11月12日撮影
沖浜町、石城町及び築港本町における埋立の変遷
2001年5月29日撮影の福岡市沖浜町、石城町及び築港本町の航空写真
2001年5月29日撮影
2007年7月27日撮影の福岡市沖浜町、石城町及び築港本町の航空写真
2007年7月27日撮影
2020年10月5日撮影の福岡市沖浜町、石城町及び築港本町の航空写真
2020年10月5日撮影

交通

交通に関しては、公共交通機関としてはバス及び船舶がある。

鉄道

鉄道は通っていない。最寄りの駅は福岡市交通局が運営する福岡市地下鉄箱崎線呉服町駅であり、距離は道程で約2キロメートルである。呉服町駅附近のバス停から沖浜町(中央ふ頭、博多港国際ターミナル)へ向かうバスの便が多い。

バス

バスについては、西日本鉄道が運営するバスが運行しており、次の停留所がある。一部の路線ではBRTも運行されている。

  • マリンメッセ前
  • 博多港国際ターミナル
  • 中央ふ頭

国際航路

国際航路には、博多港(「博多港国際ターミナル」)と釜山港大韓民国釜山市)とをつなぐ航路として、次の船舶がある。また、「中央ふ頭クルーズセンター」では国際クルーズ客船の発着がある。

道路

主な幹線道路は次の通り。

施設

博多港国際ターミナル
中央ふ頭クルーズセンター
マリンメッセ福岡 (左:A館、右:B館)
博多港修築第一期工事竣功記念碑
博多港引揚記念碑(那の津往還)
「博多港発祥の地」の記念碑

公共施設

その他

  • 博多港開発株式会社[10]

学校

 町内に学校は存在しないが、校区については、小学校区、中学校区についてそれぞれ次の学校の校区に属する[11]

名所・旧跡

  • 博多港修築第一期工事竣功記念碑[注釈 4]
  • 博多港引揚記念碑(那の津往還)[12]
  • 「博多港発祥の地」の記念碑[注釈 5]

外部リンク

脚注

注釈

  1. ^ これは石城町の石城町497号線も含めた道路愛称である。
  2. ^ 所在地は福岡市博多区沖浜町14番1号(中央ふ頭の中央部)。供用開始は1993年[平成5年]4月1日、ブースは8台。
  3. ^ 所在地は福岡市博多区沖浜町24番25号北緯33度36分37.5秒 東経130度23分48.6秒 / 北緯33.610417度 東経130.396833度 / 33.610417; 130.396833(中央ふ頭先端部)。供用開始は2015年[平成27年]5月17日。税関、出入国管理、検疫を行うCIQ棟と、待合棟とで構成されている。ブースは20台
  4. ^ 記念碑の隣の説明版には、1931年(昭和6年)に着工された博多港修築第一期工事は、現在の中央ふ頭の南側部分を埋立て、大型汽船が入港できる港を整備したもので、これにより、内外貿易の要衝の地にある博多港が、近代港としての第一歩を踏み出すこととなったと記されている。工事の完成を記念して、1942年(昭和17年)7月に建てられたとされている。
  5. ^ 所在地は北緯33度36分17.7秒 東経130度24分8.0秒 / 北緯33.604917度 東経130.402222度 / 33.604917; 130.402222。石碑には次のように記されている。「日本三大津の一つ『那ノ津』と呼ばれ古来より大陸文化受け入れの要衝の地であった博多港は明治32年7月13日開港の指定をうけ博多船溜を中心に近代港湾としての道を進み国際貿易港として現在に至っている。博多船溜にはかつて魚市場も併設されていた。博多港のより一層の発展を念じこの地に記念の碑を建立する。昭和60年7月20日 福岡市長 進藤一馬」

出典

  1. ^ 福岡市. “福岡市区の設置等に関する条例”. 2023年1月27日閲覧。→別表第1
  2. ^ 福岡市統計調査課. “登録人口(公称町別)- 住民基本台帳(日本人)男女別人口及び世帯数”. 福岡市. 2023年2月1日閲覧。
  3. ^ 日本郵便株式会社. “郵便局”. 2023年1月27日閲覧。→「郵便番号を調べる」→キーワード検索等
  4. ^ 福岡市都市計画マスタープラン
  5. ^ 福岡市のWEBページ「地区計画決定状況一覧」の「博多区」→「博14」
  6. ^ 福岡市港湾局編『博多港史:開港百周年記念』福岡市港湾局、2000年、469~471頁。 JP番号:20221637
  7. ^ 厚生労働省のWEBページ:「福岡検疫所
  8. ^ 水産庁のWEBページ:「九州漁業調整事務所
  9. ^ 中央ふ頭地区内の港湾関連業務施設を集約し、港湾業務の拠点となってる。福岡市のWEBページ:「各ふ頭のご案内
  10. ^ WEBページ「博多港開発株式会社
  11. ^ 福岡市通学区域
  12. ^ 福岡市のWEBページ:「博多港引揚記念碑(那の津往還)

関連項目

 

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