千代 (福岡市)
千代(ちよ)は、福岡市博多区の地名。現行の行政地名は千代一丁目から六丁目まで[3][4]。面積は917,520平方メートル (91.75 ha)[5]。2023年3月末現在の人口は10,864人[1]。郵便番号は812-0044[2]。 地理博多区北端部、御笠川河口付近の東岸に位置する。北に区境を挟んで東区東浜・馬出、東に東公園・吉塚、南に堅粕、南西から西にかけて御笠川を挟んで御供所町・呉服町・石城町などと接する。 河川千代の西に接して、御笠川(二級河川)が横断し、北部で河口部を形成して、博多湾に注いでいる[6]。 都市計画等都市計画に関しては、「福岡市都市計画マスタープラン」[7]において定められた方針については次のとおりである。千代と都市の拠点との関係では、2012年(平成24年)12月21日に策定された『第9次福岡市基本計画』[8][注釈 1]の「都市空間構想図」において、「都心部」[注釈 2]の北東側外縁部に位置する。交通ネットワークに関しては、都市の骨格となる国道3号、国道202号及び福岡県道607号福岡篠栗線の沿道や幹線道路である福岡県道21号福岡直方線及び福岡県道550号浜新建堅粕線沿道は、商業、業務、サービス施設や中高層住宅などが連続した「都市軸」や「沿道軸」に位置付けられている。環境資源に関しては、那珂川の河川沿いが散策・憩いの場となるとともに、緑と広がりのある景観が連続したゆとりと潤いのある水辺空間として「河川緑地軸」に位置付けられている。土地利用については、千代三丁目、五丁目及び六丁目のうち国道3号の沿線が、大規模な住宅団地など中層住宅や高層住宅で形成される「中高層住宅ゾーン」に位置付けられ、住環境の保全・形成や大規模団地の老朽化に対する対応などがまちづくりの視点とされている。上記以外が、戸建住宅などの低層住宅が大部分を占めるが、一部中層住宅などが立地する「低中層住宅ゾーン」と位置付けられており、良好な住環境の保全・形成、緑化の推進、低層住宅と中層住宅の調和などがまちづくりの視点とされている。今後の課題については、千代一丁目の西側、二丁目の大部分、三丁目の南東側及び四丁目の大部分が太平洋戦争の後に進められた戦災復興都市計画による土地区画整理事業の施工地区から外れ、古くから市街地が形成されている地区であり、建築後30年以上の木造住宅が多く、特に二丁目の北西側が幅員4メートル未満の狭隘道路が多いため、災害時の安全性などが懸念されている。用途地域については次のとおりである[10]。千代一丁目のうち福岡県道550号の北西側全て、福岡県道550号の東側全て、福岡県道607号及び千代593号線の道路境界線から概ね50メートルの範囲が商業地域に、これらを除く範囲が第二種住居地域に、千代二丁目及び三丁目の全てが商業地域に、千代四丁目のうち福岡市道千代粕屋線及び福岡県道21号の道路境界線から概ね50メートルの範囲が商業地域に、これを除く範囲が第一種住居地域に、千代五丁目のうち国道3号の沿線が準工業地域に、これを除く範囲が第一種住居地域に、千代六丁目のうち国道3号の沿線が準工業地域に、これを除く北西側臨海部の範囲が工業地域に指定されている。さらに千代六丁目のうち福岡高速道路の北西側が臨港地区に指定されている。高度利用地区については、千代一丁目、二丁目及び東公園の各一部の約1.3ヘクタールの地区において指定されており、土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新とを図るため、建築物の容積率の最高限度及び最低限度、建築物の建蔽率の最高限度、建築物の建築面積の最低限度並びに壁面の位置の制限が定められている[11]。また、高度利用地区の指定に合わせて、福岡市が施行者となって市街地再開発事業である「千代地区第一種市街地再開発事業(パピヨン24)」[注釈 3]が実施された。地区計画については次のとおりである[13]。
歴史1889年の町村制施行時に那珂郡千代村が成立し、1912年10月1日に町制施行し千代町となる。1928年5月1日に福岡市に編入し、1972年4月1日に政令指定都市となり、博多区の一部となった。 町域の変遷現在の地名は、1974年(昭和49年)における住居表示の実施に伴う地名変更によって定められたものであり、その実施前後の地名は次表のとおりである[3]。
人口千代一丁目から六丁目までを合わせた人口の推移を福岡市の住民基本台帳(公称町別)[1]に基づき示す(単位:人)。集計時点は各年9月末現在である。
施設公共・公益施設
教育施設商業名所・史跡
交通道路都市高速道路国道県道
市道
鉄道バス
脚注注釈
出典
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