平和 (福岡市)
地理福岡市の都心とされる中央区天神の南約3キロメートル、中央区の南端、南区の北西端に位置する。北北西で中央区 都市計画都市計画に関しては、「福岡市都市計画マスタープラン」[6]において定められた方針については次のとおりである。交通ネットワークとして都市の骨格となる桧原比恵線の沿道は、商業、業務、サービス施設や中高層住宅などが連続した「都市軸」に位置付けられている。土地利用については、中央区平和三丁目及び五丁目並びに南区平和一丁目及び二丁目の各一部(北部)は、戸建住宅などの低層住宅が大部分を占めるが、一部中高層住宅などが立地する「低中層住宅ゾーン」に位置付けられ、低層住宅と中層住宅の調和などがまちづくりの視点とされている。南区平和一丁目及び二丁目の各一部(南部)は、戸建住宅などの低層住宅を主とする「低層住宅ゾーン」に位置付けられ、良好な住環境の保全・形成などがまちづくりの視点とされている。平尾霊園、平和南緑地、鴻巣山南緑地なども含む南区平和四丁目は、豊かな自然資源を保全した「山地・丘陵地」に位置付けられ、緑地の保全、育成や無秩序な開発の抑制がまちづくりの視点とされている。用途地域については次のとおりである[7]。桧原比恵線及び博多駅鳥飼線(筑肥新道)の道路境界線より概ね50メートルの範囲は第二種住居地域に、上記を除き、平和桧原線のうち平和一丁目交差点から平和二丁目交差点までの道路境界線より概ね30メートルの範囲及び平和一丁目のうち平和2868号線から北側の範囲は第二種中高層住居専用地域に、上記を除き、平和一丁目及び二丁目の一部(北側)、平和三丁目の平和441号線、445号線、450号線及び453号線の北側並びに平和町小笹線の西側の範囲並びに平和四丁目の一部(南側)の範囲は第一種中高層住居専用地域に、これら以外の地域は第一種低層住居専用地域に指定されている。風致地区については、南区平和一丁目及び二丁目の各一部(西側)並びに平和四丁目の全てが次の地区に含まれており、建築物の建築、宅地の造成、木竹の伐採その他の行為について、都市の風致を維持するための規制がかけられている[8][9][10]。
建築基準法に基づく建築協定については、次の区域について協定が定められ、住宅地としての環境を高度に維持促進することについて協定が締結されており、通常の用途地域の規制に加えて、さらに建築物の高さ、用途等に関する制限が加えられている[11]。 また、都市緑地法に基づく規制については、次の特別緑地保全地区が指定されており[12]、建築物の建築等の行為について制限がかけられている[13]。
語源町名は戦災からの復興と平和社会の提供を目指して命名された[要出典]。 歴史
1953年(昭和28年)7月に、福岡市は市として実施する最初の土地区画整理事業として、現在の平和を含む平尾地区において「平尾地区土地区画整理事業」[注釈 10]に着手し、1964年(昭和39年)11月に完了した。土地利用としては、旧陸軍の射撃場跡地を小中学校、公園等の敷地として確保し、また、地区内に都市計画により「福岡市立平尾霊園」[14]を造成するなど、公共施設の用に供する土地が占める率の高い閑静な住宅地を形成している[15]。 町域の変遷
※三丁目と五丁目は1982年(昭和57年)に中央区へ編入された[16]。 人口中央区平和三丁目及び五丁目の合計並びに南区平和一丁目、二丁目及び四丁目の合計について、それぞれ人口の推移を福岡市の住民基本台帳(公称町別)[1]に基づき示す(単位:人)。集計時点は各年9月末現在である。 中央区平和三丁目及び五丁目
南区平和一丁目、二丁目及び四丁目
校区公立小・中学校の校区は次のとおり[17]。 中央区平和三丁目、五丁目南区平和一丁目、二丁目
南区平和四丁目
主な施設
交通道路主な幹線道路は次の通り。 県道
市道市道は次の通り。括弧内は福岡市道路愛称等。
鉄道町内に鉄道は走っていないが、町外の鉄道駅までの距離については差があり、利便性の高い地域もある。町域の西方に西日本鉄道が運営する西鉄天神大牟田線が通っており、駅は町外であるが、最寄りの駅は次の通り。 また、町域の北方に走る城南線の地下に福岡市交通局が運営する福岡市地下鉄七隈線が通っており、駅は町外であるが、最寄りの駅は次の通り。 なお、かつては国鉄筑肥線[注釈 12]が地区の北側を走っていた[注釈 13]。 バスバスについては、西日本鉄道株式会社が運営する西鉄バスが近くに走る幹線道路で運行しており、次の停留所がある[22]。
脚注注釈
出典
関連項目 |
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