キングカメハメハ
キングカメハメハ(欧字名:King Kamehameha、2001年3月20日 - 2019年8月9日)は、日本の競走馬・種牡馬。いわゆる持込馬である[4]。 2004年のNHKマイルカップをレースレコード、東京優駿をコースレコードで優勝し、いわゆる「変則2冠」を達成、JRA賞最優秀3歳牡馬に選出された。2004年の秋に故障によって引退。翌2005年から2018年までは社台スタリオンステーションにおいて種牡馬として供用されていた[5]。2010年・2011年日本リーディングサイアーとなった[5]。 競走馬時代出自-デビュー前母・マンファスはアイルランド産馬で現役時代はイギリスで走り、通算7戦0勝[7]。繁殖牝馬として初仔のザデピュティ(父ペターディア)[8]が2000年のサンタアニタダービーを勝利している。ノーザンファーム代表の吉田勝己がアメリカのキーンランド・ノーベンバーセールでキングマンボを受胎している状態で65万ドルで落札し、日本に輸入した[9]。 本馬は2001年の当歳セレクトセールで金子真人が7800万円で落札した[10]。金子は「セレクトセール前に3回牧場に下調べに行った。いくら出しても競り落とすつもりだった」という[11]。 2歳(2003年)2003年11月16日、京都の新馬戦で安藤勝己を背に1番人気に応えてデビュー勝ちを収めた[12][13]。騎乗した安藤はレース後に「強いですね」とコメントし、管理する調教師の松田国英は「これだけの馬だけにダービーを狙いたいと思う。本当に素晴らしい馬に巡りあえた」と語った[14]。 同年12月13日、阪神競馬場で行われたエリカ賞(500万下条件戦)では武豊に乗り替わり、デビュー2連勝を飾った[15][16]。 3歳(2004年)明けて2004年1月18日、ダリオ・バルジューが騎乗した京成杯ではフォーカルポイント、マイネルマクロスに先着を許し、生涯唯一の敗戦となる3着に敗れる[17][18]。レース後にバルジューは「まだまだ経験不足で、自分が何をしたらいいのかがわかっていない。乗った感触ではものすごい能力を感じるので、経験を積めばいずれはチャンピオンになれる存在だと思う」と語った[19]。 その後、同年2月29日に出走したすみれステークスでは、7頭立てという少頭数のレースとなったが、スタート後、好位につけると先行馬を自力で潰して先頭に立ち、後続馬も完封するという横綱相撲で完勝する[20][21]。新馬戦以来となる手綱をとった安藤勝己は後年、「すべてが変わっていた。デビュー時より10キロも体重が減っていたにもかかわらず、“雄大”に見えるようになっていました。パワーとスピードが段違いになっていたので、アクションが大きくなっていたんです。それで体が大きく見えたのでしょう」と振り返り、キングカメハメハの成長を実感したという[22]。 3月27日に出走した毎日杯では、前走手綱をとった安藤勝己がドバイワールドカップに出走するアドマイヤドンの騎乗でドバイ遠征したため、福永祐一が騎乗することとなった。レースでは京成杯でキングカメハメハに先着(2着)をしたマイネルマクロスが逃げ、1番人気の評判馬シェルゲームが2番手につける展開となり、キングカメハメハは先の2頭を見る形で3番手でレースを進めた。平均よりやや遅い流れの中、先行した2頭を早めの仕掛けで潰しにいき、あっさりと突き放すと、出走馬の中で上がり3ハロン最速となる34秒5の末脚で2馬身半の差をつけて完勝した[23][24]。 NHKマイルカップ京成杯の敗戦から中山には不向きと見てクラシック第一弾となる皐月賞を回避して臨んだ[25]NHKマイルカップでは、手綱が安藤勝己に戻り、単勝3.6倍の1番人気に推されたものの、重賞2勝を含む4連勝でここに臨んできたシーキングザダイヤが3.7倍の2番人気であることからみれば、決して抜けた存在ではなかった。これは、シーキングザダイヤの他にもメイショウボーラーやコスモサンビームなどメンバーが揃っており、さらにキングカメハメハ自身がマイル初挑戦であることも影響していたと考えられる。しかし、調教師の松田国英は「クロフネと同じローテーションですし、胸を張ってダービーに向かうためにも負けられないレースです」と発言し、自信をもってレースに送り出した[26]。レースでは熾烈な先行争いが繰り広げられ、最初の3ハロンが33秒9、4ハロンが45秒6というハイペースとなった。キングカメハメハは中団外目で悠々と追走、最後の直線では大外から一気に先行勢を飲み込むと、あとは差を広げる一方となり[25]、2着のコスモサンビームに5馬身差をつけて優勝[25][27][28][29]。勝ちタイムの1分32秒5は、同レースのレコードであった[25]。また、5馬身差の勝利はこれまでの1 3/4馬身を上回るレース史上最大着差となった[30]。 日本ダービー3歳馬の頂点を目指して挑んだ次走の東京優駿は、良馬場で行われた。主戦の安藤勝己はレース前に「カメ(キングカメハメハ)は本当に強い。乗り方に注文がつくわけでもありませんし、誰が乗っても勝てる馬ですよ」「“どこからでもかかって来い”って感じです」と語るなど、自信を深めてレースに臨んでいた[31]。当時、調教助手を務めていた高野友和はレース前のキングカメハメハの様子について「ダービー前もあの大観衆の前で落ち着いていました。『ダービーを勝つには、これだけ堂々とした精神力が必要なんだな』と、思わされた」と述懐している[32]。 単勝2.6倍の1番人気に推されたキングカメハメハは、マイネルマクロスが後続を引き離して作り出した1000m通過が57秒6というハイペースを中団から追走。[33]レースは残り600mの最終コーナーから大きく動き、2番人気のコスモバルクが押して先頭に立ったことにより、他の有力馬が一気に進出を開始。キングカメハメハは青葉賞を圧勝してきた3番人気のハイアーゲームとともに外から進出をすると、直線の坂の入り口で早くも先頭に立った。ハイペースかつ有力馬が早めに仕掛けたため、最後の直線は消耗戦の様相を呈しており、早めに動いたコスモバルクが先頭争いから脱落、皐月賞馬ダイワメジャーを始め、先行勢が早々に失速していった。これは最終コーナーから早めに仕掛けられていたキングカメハメハにとっても非常に厳しい展開だったが、ゴール前でハイアーゲームを競り落とすと、上がり3ハロンを出走馬中4番目(1~3位は全て追い込み馬)となる35秒4でまとめ、後方2番手から追い込んできたハーツクライに1馬身半という決定的な差をつけて優勝した[34][35][36]。 走破タイムは2分23秒3で、1990年にアイネスフウジンが記録した2分25秒3のレースレコードを2秒も更新した[33][注 1]。ハイペースの東京優駿を押し切った本馬を、管理した松田国英は「ハロン11秒台のラップをいくつも続けられ、そのどこかに10秒台のラップを織り交ぜることができる馬です」と語っている。また、安藤勝己は「あのダービーはベストの騎乗とはいえないはずでしょう。普通に強いのであれば、後ろから来たハーツクライに飲み込まれていたところですからね。どう乗っても、誰が乗っても勝てるほどの馬だったんですよ」と評している[37][38]。 このNHKマイルカップ・東京優駿の連覇は、松田国英がこだわり続け、厩舎の先輩であるクロフネ、タニノギムレットでも成し遂げられなかった「変則二冠」である[39]。一方、NHKマイルカップから東京優駿というローテーションは、馬に過酷ということで各方面で物議を醸した[39]。こののち2008年には昆貢厩舎のディープスカイが同じローテーションでNHKマイルカップ・東京優駿を制している[40]。 神戸新聞杯-引退秋初戦の神戸新聞杯でケイアイガードやハーツクライらを退け優勝するも[41][42]、出走を表明していた天皇賞(秋)の2週間前に右前浅屈腱炎を発症し[43]、10月23日に引退が発表された[44]。 この年のJRA賞最優秀3歳牡馬に選出された[45]。 競走成績以下の内容は、JBISサーチ[46]およびnetkeiba.com[47]に基づく。
種牡馬時代![]() 社台スタリオンステーション 競走馬引退後は国内調教馬としては当時の史上最高額となる総額21億円の種牡馬シンジケートが組まれ[33]、北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションに種牡馬として繋養され、2005年より供用されている[48]。2006年7月11日、ノーザンホースパークにおいて行われたセレクトセールにて、初年度産駒の当歳牝馬(母:トゥザヴィクトリー)が6億円という当歳世界最高額で落札された[49]。サンデーサイレンスの血を持たないため、サンデーサイレンスの血を持つ繁殖牝馬との交配ができることがメリットとされ[50]、2010年には年間種付頭数266頭の日本記録を達成している[51]。 2008年初年度産駒が競走馬デビューし、5月29日に旭川競馬場で行われたルーキーチャレンジをマサノシャルナ[注 2]が制し、産駒が初勝利[52]。8月10日にはフィフスペトルが函館2歳ステークスを制し、産駒がJRA重賞初勝利[53][注 3]。フィフスペトルを含めた初年度産駒は、勝利数こそゴールドアリュールと並ぶ26勝だったが、トータルでは4億円超の賞金を獲得[54]。フレッシュサイアーにして2歳総合リーディングを獲得した[55][56][57]。 2009年アパパネが阪神ジュベナイルフィリーズを制しGI(JpnI)初勝利を挙げると[58]、翌週の朝日杯フューチュリティステークスもローズキングダムが制し、史上初めて産駒が同一年で両2歳GIを制覇[56][59]。またローズキングダム、アパパネがそれぞれ最優秀2歳牡馬、最優秀2歳牝馬に選出され、優駿賞当時にライジン、テスコガビーが選出されたテスコボーイ以来35年ぶりとなる、同一年度に牡牝のJRA賞最優秀2歳馬を出した種牡馬となった[60]。この2頭の活躍を含め、2歳馬獲得賞金が4億円を突破し[61]、種牡馬デビューから2年連続で2歳リーディングに輝いた[62]。 2010年前年度に活躍したアパパネが牝馬三冠を達成、ローズキングダムもジャパンカップに優勝するなど産駒がGI4勝を含むJRA重賞9勝の活躍[63]。3年連続の2歳リーディングは2010年に産駒がデビューしたディープインパクト、朝日杯フューチュリティステークス優勝のグランプリボスを輩出したサクラバクシンオー[64]に次ぐ3位に終わったものの、全体では2位フジキセキに12億円以上の大差をつけて中央および全国リーディングサイアーに輝いた[63][65]。サンデーサイレンス系以外の種牡馬がリーディングサイアーとなったのは1994年のトニービン以来16年ぶりのことで、日本においてミスタープロスペクター系の種牡馬がリーディングサイアーとなったのは史上初のことであった[66]。また、11月21日に京都第4レースでグラッツィアが勝利したことによりJRA年間158勝目をあげ、クモハタの157勝を抜いて内国産種牡馬のJRA年間勝利数の新記録となった[55][67]。JRA年間勝利数は最終的に179勝まで伸び[68]、これに地方での8勝を加算して、2010年における中央・地方合わせての勝ち星数を187勝とした[69]。 2011年アパパネのヴィクトリアマイルでの勝利によるGI1勝を含む重賞12勝を挙げ、獲得賞金は2位クロフネに17億円近い大差をつける40億円越えで、2年連続の中央および全国リーディングサイアーを獲得した[70][71]。JRA年間勝利も、自身が前年達成した内国産種牡馬の最多記録を更新する、184勝を挙げた[72]。 2012年ルーラーシップによるクイーンエリザベス2世カップ[73]、ロードカナロアによるスプリンターズステークス[74]と香港スプリント[75]と、JRAGI1勝に加え国際G1競走でも2勝を挙げた。JRAサイアーランキングは、この年の11月17日に内国産種牡馬のJRA最多勝利記録を抜き去ったディープインパクト[72]に次ぐ2位に後退したが、JRA年間勝利は199勝、JRA重賞レース年間15勝と自己最多を更新した[50]。 2013年種付けシーズン途中に体調を崩し交配を中止したため、種付け数は81頭と前年の251頭から大きく減少した[76]。この年は地方競馬でリーディングサイアーとなった[77]。JRAサイアーランキングは2年連続でディープインパクトに次ぐ2位だったが、ロードカナロアがGI4勝を挙げたほか、ホッコータルマエがかしわ記念、帝王賞、JBCクラシックおよび東京大賞典を[78]、ベルシャザールがジャパンカップダートを制した[79]。 2014年7月26日、札幌競馬第6競走でエーシンノーティスが勝利し、産駒の中央競馬通算勝利数が1000となった[80]。 2015年2月1日の京都開催で産駒が7勝を挙げ、サンデーサイレンスが保持していた1場1日のJRA最多勝利記録(6勝)を更新し、また同日の東京開催でも4勝を挙げており1日の合計勝利数は11勝、こちらもサンデーサイレンスの9勝を更新するJRA新記録となった[81]。12月19日には阪神第8レースにおけるクルーガーの勝利でJRA通算1300勝を達成したが、これもサンデーサイレンスの7年11ヶ月22日を更新する7年5ヶ月29日での最速記録達成となった[82]。産駒も、ドゥラメンテが皐月賞と日本ダービーの二冠を制し[83]、その他レッツゴードンキが桜花賞に優勝[84]。ラブリーデイが宝塚記念と天皇賞(秋)を含む重賞6勝をあげ[85]、リオンディーズがデビュー2戦目で朝日杯フューチュリティステークスを制し、2着にエアスピネルが入る[86]など活躍。しかし、産駒の勝ち数こそ中央と地方の総合で272勝として他を圧倒したものの、収得賞金の差により4年連続でディープインパクトの後塵を拝し、2位に甘んじることとなった[87]。 2016年6月18日の函館1Rでハヤブサプリプリが勝利し、史上最速[88]でのJRA通算1400勝を達成[89]。 2017年1月15日の中山7Rでハイブリッドダンスが勝利し、史上最速でのJRA通算1500勝を達成[90]。またレイデオロが日本ダービーを制し、リオンディーズの朝日杯フューチュリティステークス以来のJRAGI制覇となった。 2018年3月11日の阪神11Rフィリーズレビューでのリバティハイツ優勝により、史上4頭目となるJRA重賞100勝を達成[91]。5月27日の東京9Rでエアウィンザーが勝利し、史上4頭目となるJRA通算1700勝を達成した[92]。7月15日には通算勝利数がブライアンズタイムを抜いて歴代3位となる1712勝に到達した[93]。その後ディープインパクトに上回られたものの[94]、11月17日に通算勝利数は1758勝に到達し、ノーザンテーストを抜いて再び歴代3位となった[95]。 2019年体調不良により本年度の種付けを見送られた。しかし状態の改善が思わしくなく、種牡馬の引退を発表。この年生まれた当歳馬がラストクロップとなった[96]。 種牡馬引退後は功労馬として、引き続き社台スタリオンステーションにて繋養されていたが、8月9日に死亡した[1]。18歳没。 晩年は白内障を患い、目が不自由になっていたことから人間の糖尿病に近い症状だったのかもしれないと吉田勝己は推測している[97]。 JRAは、追悼行事として、8月11日から全国の競馬場に献花台と記帳台を、場外勝馬投票券発売所(ウインズ)に記帳台を設置した[98]。9月1日まで設置され、607件の献花と2万506件の記帳を集めた[注 4]。後日それらはオーナーの金子に届けられた。 産駒は5月4日に令和初のJRA重賞となった京都新聞杯をレッドジェニアルが制し、史上3頭目となるJRA通算1800勝を達成している[99]。 2020年4月19日の中山5Rでカフェキングが勝利し、JRA通算1900勝を達成[100]。 牝馬三冠のデアリングタクト、阪神ジュベナイルフィリーズのソダシなどの母父である本馬が初のJRAリーディングブルードメアサイアーを獲得した。2006年から2019年まで14年連続でトップだったサンデーサイレンスを抜いての戴冠となった[101]。また、内国産馬としてはトサミドリ以来43年ぶりの獲得となった[102]。 2021年4月3日阪神9Rでリーブルミノルが勝利し、サンデーサイレンス・ディープインパクトに次いで史上3頭目となる産駒のJRA通算2000勝を達成した[103]。 2022年3月21日、フラワーカップを最終世代である2019年産のスタニングローズが勝利し、2006年産の初年度産駒から14世代すべてで重賞勝ち馬が誕生した[104]。12月4日、チャンピオンズカップをジュンライトボルトが制し、種牡馬として国際GI勝利を収めた産駒が15頭に到達。国際競馬統括機関連盟が定めている国際保護馬名の条件を満たしたため、今後「KING KAMEHAMEHA」の名はサラブレッドへの命名が全世界で禁止される[105]。 2024年6月4日、2024年度のJRA顕彰馬選出記者投票において、投票数の75%以上となる176票中143票(81.3%)を獲得し、コントレイルとともに顕彰馬に選出された。キングカメハメハは2006年から顕彰馬の投票対象となっており、選出前近3年の2021年が69%、22年が71%、23年が65%と選出まであと一歩の得票が続いており、投票対象最終年となる2025年を前にしての選出となった[106][107]。子ロードカナロアと孫アーモンドアイはすでに顕彰馬に選出されており、本馬が選出されたことで父子3代の殿堂入りとなった。11月10日、エリザベス女王杯をスタニングローズが延べ18頭目の出走で初勝利を挙げ、産駒によるJRA牝馬G1完全制覇となった[108]。 種牡馬成績年度別種牡馬成績(中央+地方)
主な産駒GI競走優勝馬太字はGI級競走
グレード制重賞優勝馬*は地方重賞を示す
地方重賞優勝馬
母父としての主な産駒グレード制重賞優勝馬
地方重賞優勝馬
血統表
脚注・出典注釈
出典
外部リンク |
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