せきれい賞(せきれいしょう)は岩手県競馬組合が盛岡競馬場で施行する地方競馬の重賞(M2)競走(平地競走)である。正式名称は「報知新聞杯 せきれい賞」。競走名は盛岡市の市鳥であるセキレイに因む。
概要
1979年に創設。長らくアラブ系のオープン特別競走としてダートコースで行われていたが、1996年に盛岡競馬場が移転すると、1998年よりサラブレッド系の芝コースの特別競走として施行され、2000年より重賞競走に格上げされた。
出走条件は重賞に格上げとなった当初は東北地区交流、2002年は東日本と九州地区、2003年から地方競馬全国交流となっている。馬齢はいずれもサラブレッド系3歳以上。
施行距離は重賞格上げ前の1998年から芝1600mで、2003年に芝2400mに延長されて現在に至る(なお2024年は芝コースの走路状況悪化のためダート2000mに変更された)。
2016年に岩手競馬で重賞格付け制度が開始され、M2に格付けされた。
中央競馬の天皇賞(秋)のステップ競走へのブロック代表馬選定競走としても施行されており[1]、優勝馬はオールカマー、毎日王冠、京都大賞典のいずれかの出走可能となる。さらにこのいずれかの競走で上位2着までに入賞すると、天皇賞(秋)へ出走可能となる。
本競走は2008年からスタリオンシリーズ競走に指定されている。
条件・賞金等(2024年)
- 条件
- 出走条件はサラブレッド系3歳以上、地方競馬全国交流。
- 負担重量
- 定量、3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減[1]。
- 賞金等[2]
- 賞金額は、1着500万円、2着175万円、3着100万円、4着65万円、5着35万円、着外手当は2万5000円。
- 副賞
- 報知新聞社賞、ダーレー・ジャパン賞、盛岡市長賞、開催執務委員長賞[1][2]。
- ダーレー・ジャパンが協賛し、ホークビルの配合権利が優勝馬馬主への副賞となっている。
- 優先出走権付与
- 3着以上の馬に、岩手県知事杯OROカップの優先出走権が付与される。
歴史
- 1979年 - 旧・盛岡競馬場のダートコースで行われるアングロアラブ系4歳(現3歳)以上の岩手所属馬による特別競走「せきれい賞」として創設。
- 1996年 - この年から現在の盛岡競馬場「OROパーク」の開催に移行。
- 1998年
- 施行距離を芝1600mに変更。
- 出走条件を「アングロアラブ系4歳(現3歳)以上の岩手所属馬」から「サラブレッド系4歳(現3歳)以上の岩手所属馬」に変更。
- 2000年
- 重賞競走に格上げ。
- 東北地区交流競走として施行され、出走条件を「サラブレッド系4歳(現3歳)以上の岩手・上山・新潟所属馬」に変更。
- 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件を「サラブレッド系4歳以上の岩手・上山・新潟所属馬」から出走条件を「サラブレッド系3歳以上の岩手・上山・新潟所属馬」に変更。
- 2002年 - 当年のみ、東日本・九州地区交流競走として施行、出走条件を「サラブレッド系3歳以上の北海道・岩手・上山・北関東・南関東・九州所属馬」に変更。
- 2003年
- 施行距離を現在の芝2400mに変更。
- この年から地方競馬全国交流競走として施行され、出走条件を「サラブレッド系3歳以上の地方所属馬」に変更。
- 2005年
- 岩手のサイレントグリーンが史上初の連覇。
- 岩手の板垣吉則が騎手として史上初の連覇。
- 岩手の千葉博が調教師として史上初の連覇。
- 2007年 - 岩手のサイレントグリーンが当競走で史上初の3度目の優勝。
- 2008年 - スタリオンシリーズ競走に指定。
- 2010年
- 川崎のコスモヴァシュランが史上2頭目の連覇。
- 川崎の町田直希が騎手として史上2人目の連覇。
- 川崎の河津裕昭が調教師として史上2人目の連覇。
- 2024年
- 施行時期を7月上旬に変更。
- 芝コースが走路状況悪化のためダート2000mに変更。
歴代優勝馬
- 2000年以前の優勝馬の馬齢は旧表記を用いる。
- タイム欄のRはコースレコードを示す。
脚注・出典
注釈
出典
各回競走結果の出典
関連項目
外部リンク