トゥザヴィクトリー
トゥザヴィクトリー(欧字名:To The Victory、1996年2月22日 - 2023年5月14日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。 2001年のエリザベス女王杯(GI)優勝馬である。その他の勝ち鞍に、2000年の阪神牝馬特別(GII)、クイーンステークス(GIII)、府中牝馬ステークス(GIII)。 競走馬時代3 - 4歳時(1998年-1999年)1998年にデビューし、新馬戦を快勝。翌1999年1月の福寿草特別ではスリリングサンデーの2着に敗れる。ちなみにこの競走の3着は、その年の東京優駿(日本ダービー)を2着、菊花賞を優勝したナリタトップロードである。他にもこの競走にはのちの重賞馬であるミッキーダンスが出走していた。 続くつばき賞を勝ち、報知杯4歳牝馬特別を目指すが体調不良で回避。翌週のアネモネステークスに出走するが3着に敗れ、桜花賞への優先出走権を逃す。結局桜花賞には抽選で出走したが、プリモディーネらに差され3着に敗れる。1番人気に推された優駿牝馬(オークス)では先行するも、ゴール直前でウメノファイバーの末脚に屈し2着に敗れる。休み明けのローズステークスは1番人気に推されながら、期待を裏切り4着。秋華賞でも1番人気に推されたが13着と惨敗し、休養を余儀なくされた。 5歳時(2000年)復帰3戦目のクイーンステークスで重賞を初制覇すると、次の府中牝馬ステークスも勝ち、エリザベス女王杯へ出走。2番人気に支持されるもファレノプシスの4着に敗れる。1か月後の阪神牝馬特別で勝って重賞3勝目を挙げた。 5 - 6歳時(2001年-2002年)悲願のGI制覇に向け、陣営はダートに路線変更を決め、2001年のフェブラリーステークスに出走。初のダート挑戦ながらノボトゥルーの3着と好走した。 その後、ドバイ遠征を計画し、ドバイワールドカップ、ドバイデューティーフリー、ゴドルフィンマイルに登録。ドバイワールドカップはウイングアローとレギュラーメンバーが選出され、トゥザヴィクトリーはドバイデューティーフリーに選出された。しかし、ウイングアローが体調不良により辞退したため、トゥザヴィクトリーが出走意思を表明しドバイワールドカップに選出された。 ドバイワールドカップでは世界の強豪を相手に奮闘し、牝馬としてはドバイワールドカップ史上最高着順となる2着で入線し、史上初めてドバイワールドカップで賞金を獲得した牝馬となった。なお、2023年現在もドバイワールドカップにおける牝馬の最高着順記録となっている[注 1]。 帰国後初戦となるエリザベス女王杯では、長期休み明けもあり歳下の牝馬二冠馬テイエムオーシャンらに人気を許すものの、それまでの先行策から一転、道中は脚をためてゴール寸前で差し切り、混戦を制して遂に悲願のGIタイトルを奪取した。レース後、鞍上の武豊は「ヴィクトリーに勝たせるにはこれしかないという乗り方をした」と語っている。なお、この時に更新したエリザベス女王杯のレコードタイムは2024年にスタニングローズに更新されるまで23年間保持しており、JRA-GⅠのレコード保持期間としては最長のものになっている[注 2]。次走ジャパンカップでは四位洋文を鞍上に迎えたが、道中で引っかかってしまい14着と大敗した。しかし、続く有馬記念では逃げてマンハッタンカフェの3着に粘り、テイエムオペラオーに先着した唯一の牝馬となった。そして、ドバイでの善戦やエリザベス女王杯での勝利が評価され、この年のJRA賞で最優秀4歳以上牝馬に選ばれ、ようやく5歳にしてJRA賞初受賞となった。 2002年初戦となったフェブラリーステークスは4着、2年連続の出走となったドバイワールドカップでは11着に惨敗。同レースを最後に現役を引退し、繁殖生活に入った。 競走成績
繁殖牝馬時代2006年7月11日、ノーザンホースパークで行われたセレクトセールで、2006年生まれの産駒が6億円(お台8000万円〜)という日本最高額かつ牝馬世界最高額で取引され話題となった(競走馬登録はされず未出走のまま繁殖入りし、ディナシーという繁殖名をつけられた)。 2007年2月8日、2番仔となるアゲヒバリが船橋競馬場で行われた3歳未出走未受賞(ダート1500メートル、9頭立て)でデビュー。石崎駿騎乗で単勝1.1倍の圧倒的1番人気に推され、3馬身差で勝利した。その後は4月のナイスビット特別で2勝目を挙げ、東京プリンセス賞で4着、そして関東オークスでは両親ともに騎乗経験のある武豊が騎乗したが11着で、2008年3月6日の草萌特別で1着となったのを最後に3月21日付で地方競馬の競走馬登録を抹消され繁殖入りが発表された。繁殖入り後はメドウラーク(2011年産。七夕賞、阪神ジャンプステークス)[3][4]、ダノンディスタンス(2014年産。京都新聞杯3着)[5]、リオンリオン(2016年産。青葉賞、セントライト記念)[6]といった重賞優勝馬・入着馬を産んでいる[7]。 2010年3月14日、4番仔となるトゥザグローリーが阪神競馬6日目第5競走の3歳新馬でデビュー。圧倒的1番人気に推され、産駒初の中央競馬での勝利を飾った。本馬は春のクラシック戦線で東京優駿まで駒を進め(7着)、2010年12月11日、中日新聞杯で産駒による重賞初勝利を飾った。その後も京都記念、日経賞、日経新春杯、鳴尾記念といった重賞を制し、また有馬記念では2年連続3着の成績を残している。 2017年9月16日付で用途変更となり繁殖を引退した[8]。その後はリードホースとなり、引き続きノーザンファームで繋養されていた[9]が、2023年5月14日に老衰のため死亡した[10][11]。27歳没。 繁殖成績
血統表
脚注注釈
出典
外部リンク
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