チャイナロック (China Rock) は、イギリスの競走馬。種牡馬として日本へ輸出された。20世紀、とりわけ戦後の日本のサラブレッド馬産を代表する大種牡馬の1頭である。
来歴
競走馬時代はイギリス、フランスで競走生活を送り、ジョンポーターステークスなど7勝を挙げた。
引退後1年間イギリスで種牡馬生活を送り、1960年末に日本へ輸入された後はタケシバオー、ハイセイコーの2頭の顕彰馬をはじめアカネテンリュウ、メジロタイヨウを輩出し、1973年には中央競馬のリーディングサイアーとなった。また、地方競馬でもヤシマナシヨナルなどの活躍馬を輩出した。
獣医学が現在ほど発達していなかった時代に抜群の受精能力を誇り、年間最大127頭、13年連続50頭以上、生涯通算1334回[1]もの種付け回数を誇るなど、当時としては比類なきタフさを発揮した。また、死亡した年も29歳と高齢であったにもかかわらず種付けを行った。
これらの記録はいずれも日本におけるサラブレッドの種牡馬に関する当時の最多記録であり、獣医学と種牡馬の体調管理術が進展した1990年代まで破られることはなかった。
また、一般的な種牡馬の場合には、当て馬と呼ばれる別の牡馬が種付けの前に牝馬を発情させて種付け行為を可能な状態にするが、チャイナロックは当て馬には任せずに自らがこれも行い、さらにはこの牝馬を発情させることも極めて上手であった。実際、当時を知る競走馬の生産者からは、現在にいたるまでこの点でチャイナロックを超える種牡馬はいまだ出ていない、という声も多い。
この様なこともあり「性豪[2]」の異名を没後久しい現在もなおほしいままにしている。もちろん、これらの異名は産駒の活躍あってのものでもある。
1982年12月28日、本桐牧場で老衰のために永眠した。
本馬の種牡馬としての功績を讃える「チャイナロック号記念像」が1976年に建てられ、新ひだか町の本桐牧場の敷地内にある。
産駒の傾向
チャイナロックの産駒の特徴としては、この父親に似てパワーとスタミナに恵まれた産駒が多いことが第一に挙げられる。また、体力的にタフで故障しにくいことと、芝ばかりでなくダートをこなすパワーを兼ね備えている点にある。この点については、産駒として種牡馬になったタケシバオー、ハイセイコーなどにも受け継がれた。また、ハンデ戦での高負担重量に強い馬が多く、中央競馬で65kgのハンデを背負って勝利したタケシバオー、戦後の地方競馬のサラブレッド競馬の最重負担重量 (76kg) での勝ち馬のヤシマナシヨナルは共に本馬の産駒である。
大柄で雄大な馬体に恵まれた産駒が成功する傾向が強かった。重賞勝ちは無かったが、キクオーカンは550キロ以上の超巨漢馬でありながら、日本最長距離ステークス中山競馬場・4000メートルで、4分15秒6のレコードタイムで圧勝している。同馬は春の天皇賞にも駒を進めた(但し脚部不安の為、出馬表には載ったものの出走取消)。
主な産駒
(五十音順・中央競馬と地方競馬で分類)
母の父としての主な産駒
※GI競走優勝馬及びJRA賞受賞馬のみ記載
血統表
- St.Simonは父内にSt. Frusquin、Chaucer、母内にSt. Serf、Desmondと産駒がおりSt.Simon 6×5×6×6、Cylleneは父内にMinoru、Lemberg、母内にCicero、Wood Daisyと産駒がおりCyllene 6×6×5×5とラインブリードが形成されている。
脚注
- ^ サラブレッド101頭の死に方 p102より
- ^ 吉沢譲治. “仕事嫌いの種牡馬たち 第1話 英雄色を好む”. 競馬コラム. JRA. 2016年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月9日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|チャイナロック”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年8月4日閲覧。
- ^ 小林皓正 編『サラブレッド血統マップ'93』コスモヒルズ、1993年、22-23頁。
参考文献
外部リンク
|
---|
1920年代 | |
---|
1930年代 | |
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|