サクラショウリとは日本の競走馬である。名種牡馬パーソロンが送り出した初めての牡馬クラシックホースであり、おもな勝ち鞍に1978年の東京優駿(日本ダービー)と1979年の宝塚記念があるほか、1978年に優駿賞最優秀4歳牡馬を受賞した。種牡馬としてもサクラスターオーなどを出した。主戦騎手は小島太。
戦績
3歳時
サクラショウリは、1977年6月札幌でデビュー。デビューから3戦はダート戦で3着、3着、4着と勝ち切れなかったが、初めて芝でのレースとなった4戦目で初勝利を挙げた。この4戦目から小島太が騎乗している。
その後、200万下の白菊賞を勝ったサクラショウリは朝日杯3歳ステークスに挑戦したが、優勝したギャラントダンサーから約4馬身離された3着に終わり、この年を終えている。
4歳時
明けて1978年、サクラショウリは京成杯から始動したが、タケデンの3着に終わった。それでも東京4歳ステークスでファンタストに競り勝って1着になり、重賞初制覇を果たした。
しかし、続く弥生賞は2着、クラシック第1戦の皐月賞もスタートで出遅れ、脚を余して3着に敗れ、2レースとも東京4歳ステークスで破ったファンタストにやり返される形で屈した。。しかし、小島は内心では、これならダービーの2400メートルも折り合いさえつけば大丈夫という自信が生まれた[1]。その晩、残念会の席で小島は全演植オーナーに「オヤジ、3着のおかげで俺はダービーを勝つ自信がついた。いや、絶対勝ってみせる」と大ミエを切った[1]。
クラシック第2戦の日本ダービーでは、サクラショウリは2番人気に推された。皐月賞後、サクラショウリの状態は恐ろしいぐらい良くなり、小島は、自分が失敗しなければ勝てるという確信を持って臨んだ[1]。レースではサクラショウリは道中6、7番手を進み、直線半ばで先頭に立つと、外から追ってきたアグネスホープを半馬身差抑えて勝利した[2]。
秋はセントライト記念から始動。このレースで1番人気に推されたサクラショウリは快勝した。しかし、続く京都新聞杯ではメジロイーグルに逃げ切りを許し2着、クラシック最終戦の菊花賞では単枠指定の1番人気に推されたが、インターグシケンの5着に敗れた。
そして、暮れの有馬記念はカネミノブの5着に終わり、この年を終えている。
5 - 6歳時
1979年、古馬になったサクラショウリはアメリカジョッキークラブカップから始動。このレースでグリーングラスに競り勝って1着になったサクラショウリは続く目黒記念(春)も快勝し重賞連勝を果たした。
だが、続く中山記念は2着、天皇賞(春)もカシュウチカラの2着と勝ち切れないレースが続いた。それでも続く第20回宝塚記念ではレコードタイムで制し、2つ目のビッグタイトルを手にした。
しかし宝塚記念後、秋になってからのサクラショウリは精彩を欠いた。天皇賞(秋)5着、有馬記念6着と着順こそ悪くないものの勝ち馬に離されるレースが続いた。
明けて1980年、6歳になったサクラショウリはアメリカジョッキークラブカップから始動するも4着と完敗。続く目黒記念(春)も11着と大敗し、これを契機に引退した。
通算成績は24戦8勝。掲示板を外したのは5歳時の有馬記念と引退レースとなった目黒記念(春)のみと、負けたレースでも常に好走を続けた。
引退後
引退後は種牡馬となり、二冠馬サクラスターオーやサムソンビッグ(きさらぎ賞)、サクラトモエオー(ジュニアカップ)、アスカクラウン(ダイヤモンドステークス2着)らを輩出したが気性の悪い産駒が多く、全体的には低調だった。サクラスターオーは父が獲れなかった皐月賞と菊花賞を勝ち、親子で3冠を獲得する形になっている。
代表産駒であるサクラスターオーがレース中のアクシデントで早逝してしまったため、同じ父親を持つメジロアサマはメジロティターンを、シンボリルドルフはトウカイテイオーをそれぞれ後継種牡馬に残したが、本馬は最後まで後継種牡馬には恵まれなかった。
1995年には種牡馬からも引退。新和牧場で余生を送っていたが、1999年に老衰のため死亡した。
主な産駒
母の父としてのおもな産駒
血統
脚注
- ^ a b c 『週刊Gallop臨時増刊100名馬 Vol.63 サクラローレル』39頁
- ^ この勝利はシンボリ牧場生産馬初の東京優駿(日本ダービー)制覇となり、2着のアグネスホープもシンボリ牧場生産馬だった。
外部リンク
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(旧)最優秀4歳牡馬 |
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最優秀3歳牡馬 |
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- 1 2001年より馬齢表記法が数え年から満年齢に移行
*2 1954-1971年は「啓衆社賞」、1972-1986年は「優駿賞」として実施
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