メジロイーグル(欧字名:Mejiro Eagle、1975年5月2日 - 1995年12月4日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1978年の京都新聞杯。
競走馬時代
1975年5月2日に北海道伊達市のメジロ牧場で誕生。父は目黒記念に勝利をしたメジロサンマン、母はメジロ牧場の基幹繁殖牝馬であるアマゾンウォリアーで、この系統からはメジロヒリュウ、日本初の三冠牝馬メジロラモーヌが生まれている。
現役時から非常に小柄な競走馬であり、410キロそこそこ、時には400キロを切ることもあった。戦法は逃げであり、そのため「小さな逃亡者」と呼ばれた。
勝利をした重賞は京都新聞杯のみではあるが、東京優駿5着、菊花賞・有馬記念3着、宝塚記念4着と八大競走を含むGI級レースにおいても好走を見せる。5歳時のオープン戦ではグリーングラスを相手に5馬身差圧勝を遂げるなど、実力も兼ね備えた個性派として人気を博した。
競走成績
年月日
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競馬場
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レース名
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頭数
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人気
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着順
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距離(状態)
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タイム
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騎手
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斤量
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勝ち馬/(2着馬)
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1977
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8.
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27
|
函館
|
3歳未勝利
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6
|
2
|
1
|
芝1000(稍)
|
00:59.40
|
伊藤清章
|
52
|
(ハシエイブル)
|
|
9.
|
17
|
阪神
|
野路菊賞
|
8
|
2
|
4
|
芝1200(良)
|
01:11.40
|
伊藤清章
|
52
|
インターグシケン
|
|
10.
|
09
|
京都
|
りんどう特別
|
9
|
1
|
1
|
芝1400(重)
|
01:24.20
|
伊藤清章
|
52
|
(ハンキチカラ)
|
|
10.
|
30
|
京都
|
紅葉杯
|
6
|
3
|
3
|
芝1600(良)
|
01:36.40
|
伊藤清章
|
53
|
インターグシケン
|
1978
|
3.
|
18
|
阪神
|
チューリップ賞
|
12
|
5
|
1
|
芝2000(良)
|
02:02.70
|
伊藤清章
|
54
|
(イセテンリュウ)
|
|
4.
|
16
|
中山
|
皐月賞
|
14
|
6
|
4
|
芝2000(良)
|
02:04.70
|
伊藤清章
|
57
|
ファンタスト
|
|
5.
|
07
|
東京
|
NHK杯
|
13
|
4
|
4
|
芝2000(不)
|
02:02.50
|
伊藤清章
|
56
|
インターグシケン
|
|
5.
|
28
|
東京
|
東京優駿
|
21
|
7
|
5
|
芝2400(良)
|
02:28.20
|
加賀武見
|
57
|
サクラショウリ
|
|
6.
|
18
|
函館
|
青函S
|
10
|
1
|
1
|
芝1800(重)
|
01:50.80
|
伊藤清章
|
54
|
(サカウエー)
|
|
7.
|
9
|
函館
|
函館記念
|
7
|
2
|
6
|
芝2000(良)
|
02:03.90
|
加賀武見
|
55
|
バンブトンコート
|
|
10.
|
7
|
京都
|
4歳以上
|
11
|
2
|
1
|
芝1600(良)
|
01:35.30
|
河内洋
|
54
|
(インターグシケン)
|
|
10.
|
22
|
京都
|
京都新聞杯
|
16
|
6
|
1
|
芝2000(良)
|
02:01.60
|
河内洋
|
57
|
(サクラショウリ)
|
|
11.
|
12
|
京都
|
菊花賞
|
20
|
4
|
3
|
芝3000(良)
|
03:06.30
|
河内洋
|
57
|
インターグシケン
|
|
12.
|
17
|
中山
|
有馬記念
|
15
|
8
|
3
|
芝2500(良)
|
02:33.60
|
河内洋
|
54
|
カネミノブ
|
1978
|
10.
|
14
|
中京
|
京都大賞典
|
8
|
1
|
8
|
芝2400(良)
|
02:28.20
|
河内洋
|
56
|
テンメイ
|
|
11.
|
10
|
東京
|
4歳以上
|
5
|
2
|
1
|
芝1800(稍)
|
01:48.00
|
河内洋
|
56
|
(グリーングラス)
|
1979
|
11.
|
25
|
東京
|
天皇賞
|
13
|
2
|
12
|
芝3200(不)
|
03:37.40
|
河内洋
|
58
|
スリージャイアンツ
|
1980
|
6.
|
01
|
中京
|
宝塚記念
|
15
|
3
|
4
|
芝2400(不)
|
02:32.20
|
伊藤清章
|
56
|
テルテンリュウ
|
1981
|
7.
|
12
|
札幌
|
タイムス杯
|
8
|
1
|
8
|
ダ1800(良)
|
01:59.80
|
伊藤清章
|
56
|
イエンライト
|
種牡馬時代
引退後は種牡馬となるが、重賞勝ちが1つしかないという事もあり種付けは少なく、その中の数少ない産駒はほぼメジロ牧場の自家生産馬であった[4]。さらに、1988年2月に行われた健康診断において、メジロイーグルは蹄葉炎の診断を受けてしまう[4]。そこで、診察を担当した獣医の田中秀俊はアメリカで行われていたという「患部の保温」と「特殊な装蹄」による治療を決断[5]。この治療法を8年間継続し、メジロイーグルの症状は無事に緩和していった[5]。さらに、数少ない産駒の1頭であったメジロパーマーが宝塚記念、有馬記念で逃げ切り勝ちを収めグランプリ2連覇を達成。同年のJRA賞最優秀5歳以上牡馬および最優秀父内国産馬に選出された。このことにより、1992年には0頭にまで落ち込んだ種付け数は翌年に18頭にまで回復した。なお、メジロイーグル自身はこの年をもって種牡馬から引退した[6][注 1]。
1995年8月14日、腹部に異常が現れ、診察の結果結腸便秘であることが判明する[7]。この時は3日で回復したものの、同年12月3日に再び症状が悪化[7]。高齢ということもあり回復は難しいと判断され、翌日の午後2時に田中によって安楽死させられ、死亡した[3][7]。21歳没。遺体はメジロ牧場に埋葬された。また、その翌年の1月、牧場で長年メジロイーグルの厩務員を務めた坂本陽一も、後を追うようにこの世を去った[7]。
血統表
脚注
注釈
- ^ 種牡馬登録そのものは、死亡するまで継続されていた。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “メジロイーグル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年11月8日閲覧。
- ^ メジロイーグル(JPN) - 血統書サービス、2022年11月8日閲覧。
- ^ a b サラブレッド101頭の死に方2 P152
- ^ a b サラブレッド101頭の死に方2 P157
- ^ a b サラブレッド101頭の死に方2 P159
- ^ サラブレッド101頭の死に方2 P160
- ^ a b c d サラブレッド101頭の死に方2 P161
- ^ “5代血統表”. netkeiba.com. 2023年8月22日閲覧。
- ^ “5代血統表”. JBISサーチ. 2023年8月22日閲覧。
参考文献
外部リンク