昆貢
昆 貢(こん みつぐ、1958年6月14日 - )は、北海道出身の現調教師・元騎手。 来歴1976年4月より栗東・橋本正晴厩舎所属の騎手候補生となり、1977年2月からは服部正利厩舎に移籍。 1978年3月にデビューし、同期には安藤賢一・嘉堂信雄・田原成貴らがいる。同4日の阪神第12競走5歳以上300万下・ワールドゼット(18頭中18着)で初騎乗を果たし、5月28日の阪神第11競走5歳以上600万下・トーアラックで初勝利を挙げる。1年目の同年は2勝に終わり、2年目の1979年には7勝を挙げるが、服部のあまりの厳しさに耐えかねて[1]、11月より庄野穂積厩舎に移籍。 3年目の1980年には阪神障害ステークス(春)・ハツノボリ(9頭中7着)で重賞初騎乗を果たし、11月29日の京都で初の1日2勝を挙げるなど、初の2桁で自己最多の21勝をマーク。 1981年には2年連続2桁となる15勝をマークし、1984年にはカツラノイシキリで桜花賞に騎乗する予定であったが、出走取消で騎手生活唯一のクラシック騎乗機会を逃す。 1987年にはペガサスステークスでビンゴガルー産駒・母父タニノチカラのトッピングガイを14頭中14番人気の3着に導き、6月より大沢真厩舎に移籍。 1988年2月からはフリーとなり、夏の小倉では7月に16日第3競走3歳新馬・タッチアンドエース、翌17日第6競走4歳未勝利・オンワードダラスと2日連続勝利、8月20日には第4競走3歳新馬・ベリーグッド、第7競走4歳以上400万下・ノーザンユーと1日2勝をマーク。この4勝が同年の全勝ち鞍となり、1989年に現役を引退。同年2月12日の小倉第2競走4歳未勝利・リトルバレンタインで逃げ切ったのが最後の勝利、同19日の小倉第12競走4歳以上400万下・ヤマニンストライプ(11頭中6着)が最後の騎乗となった。 引退後は福島信晴厩舎の調教助手(1989年 - 1998年)を経て、1999年2月には南井克巳らと共に調教師免許を取得。 2000年3月1日付で厩舎を開業し、同5日に初出走となった阪神第12競走5歳以上500万下は、後の重賞馬アルアランが9番人気で3着となる。4月15日の阪神第7競走で同馬が人気に応えて、延べ11頭目で初勝利を挙げると、同馬は2002年のオグリキャップ記念で重賞初勝利をもたらす。 2004年2月21日付で小林慎一郎が所属となり、2006年12月9日にJRA通算100勝を達成。 2007年の全日本2歳優駿をイイデケンシンが制しGI級競走初勝利を挙げると、2008年にはNHKマイルカップと東京優駿をディープスカイで制覇。 2009年には高松宮記念・スプリンターズステークスでローレルゲレイロが勝利し、2011年には天皇賞(春)をヒルノダムールで制覇。 厩舎はかつては本田優・藤田伸二・四位洋文、現在は横山典弘・田中勝春を主戦騎手に起用。 昆曰く「日高の馬」にこだわり、「社台グループが強くなりすぎてしまったら、競馬自体が面白くない」とも語っている[2]。 函館2歳ステークスを制覇することが大きな目標の一つであり、例年函館でデビューさせた2歳馬を同レースに出走させているが、2006年にローレルゲレイロが2着になったのが最高である。 騎手成績
主な騎乗馬
調教師成績
主な管理馬※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
主な厩舎スタッフ脚注
関連項目 |
Portal di Ensiklopedia Dunia