戸崎 (上尾市)
戸崎(とさき[6])は、埼玉県上尾市の大字。郵便番号は362-0053[3]。 市の統計などでは大谷地区で分類されている。 地理埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市南部[6]のさいたま市側に岬状に大きく突き出た大宮台地上[7]に位置する。地区の東端を鴨川が、西端を浅間川(準用河川)が流れ、地区の南端で合流する。鴨川には中橋[注釈 1]や戸崎橋などが架けられさいたま市に通じている。鴨川沿いの沖積平野と台地との境界に台地崖がある[9]。 東側をさいたま市北区奈良町、南側はさいたま市北区日進町や、同西区内野本郷と接する。西側はさいたま市西区西新井、北側は中新井と接する。地区の北東部に地頭方の飛地が二ヶ所、地区の南部に中新井の飛地が三ヶ所存在する。また地頭方の飛地と中新井の飛地の間にごく小さな戸崎の飛地がある。 地区の全域が市街化調整区域[10]で、南端の鴨川と浅間川の合流点付近に「大宮ネオポリス」などの住宅地が造成されている[9]ほか宅地が点在するが、大部分は農地で雑木林や屋敷林の風景が広がっている。河川沿いの低地は1950年代ごろまでは水田として利用されていたが、その後の周囲の都市化による営農環境の悪化により荒地化した[11]。また、1981年(昭和56年)に聖学院大学の校舎の新築工事をした際に旧石器時代の石器が出土し、前戸崎遺跡(県遺跡番号:14-076[10])と名付けられたほか、「中戸崎遺跡」と称される縄文時代中・後期の縄文遺跡(住居跡や土壙など)が発掘されている[9]。中央高等技術専門校の場所には氷川遺跡(県遺跡番号:14-128[10])の包蔵地があり、住居跡などの遺構や土器片のほか石器や鉄鎌の遺物が発掘されている。浅間神社前にも浅間遺跡(県遺跡番号:14-075[10])があり、土器片や石器が発掘されるなど、地内に包蔵地が点在している。 戸崎地区から望む富士山が「関東の富士見百景」に選定されている[12]。 歴史もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡指扇領に属する戸崎村[13]で、古くは中世末期頃より存在した水判土荘(みずはたのしょう)に属されていたと云われている[7]。中新井・堤崎の間や宝来・平方・入間郡古谷上の間に戸崎村の飛地があった[7]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では150石(田112石余、畑37石余、山銭永546貫文)[14]、『元禄郷帳』および『天保郷帳』によると270石余であった[7]。化政期の戸数は28軒で、村の規模は東西7町余、南北12町余であった[7]。地名の由来は『新編武蔵風土記稿』に「隣村より余ほど高き所にて、出崎に似たるゆへかく呼べり」と記される[13]ように、突き出た台地の岬端部から生じた地形名によるものと思われる[9][7]。 1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米141石、大麦141石、小麦20石、大豆18.5石、小豆2石、栗36石、稗45石、製茶160貫であった[15][注釈 2]。
小字世帯数と人口2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[25]。
交通地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅はJR東日本高崎線宮原駅もしくはJR東日本川越線日進駅であり、地内に立地する聖学院大学[26]や戸崎公園[27]も当駅が最寄り駅であると案内される。 道路地区内に国道および主要地方道・一般県道は通っていない。
バス地区内に路線バスは運行されておらずコミュニティバスのみ運行されている。戸崎公園の部分開園に伴い、「戸崎公園」バス停留所が2019年9月1日に新設されている。なお、以前は聖学院大学前から宮原駅・西大宮駅両駅へ聖学院大学のスクールバスが一般利用できたが[26]、2019年9月現在では大学に用のある方の一般利用に限定されている。
寺社・史跡町内会寺社・史跡かつては地内に「鷲明神社」や寺院の「観音堂」もあったと云う[7]。 施設
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク
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