小敷谷(こしきや)は、埼玉県上尾市の大字。郵便番号は362-0064[3]。
市の統計などでは大石地区で分類されている。
地理
埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市南部の概ね大宮台地上に位置する南北にやや長い地区である。東側を今泉や壱丁目、南側を壱丁目西や壱丁目南、西側を平方や畔吉、北側を中分や小泉と隣接する。南側では地頭方とも僅かに隣接する。地区の東部は市街化区域[6]で団地が立地する地区は第一種中高層住居専用地域、アリオ上尾が立地する地区は近隣商業地域、それ以外は主に第一種低層住居専用地域(上尾道路沿線は準住居地域、上尾環状線沿いは第一種住居地域)に指定されている。上尾駅からは遠いが、高度経済成長期の住宅難を契機に整備された団地などが多く立地する。2016年には上尾道路が開通し、さいたま市や首都圏中央連絡自動車道(圏央道)方面への交通量が増加した。また、道路によって地区が南部と北部に分断されている。西部は市街化調整区域[6]に指定され、丸山都市下水路(長堀)が北西方向に流れ、農地が多くあるやや起伏の多い区域である。
地価
住宅地の地価は2018年(平成30年)1月1日の公示地価によれば字大久保880-64の地点で11万8000円/m2となっている[7]。
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡石戸領に属する小敷谷村であった[8]。小敷谷や小舗谷とも記され、甑(こしき)の形をした低湿地の地形から生じた地名と云う[8][9]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では116石(田45石余、畑70石余)[10]、『元禄郷帳』によると234石余、『天保郷帳』によると236石余であった。化政期の戸数は30軒で、村の規模は東西6町、南北6町余であった。枝郷として戦国期より存在し、『武蔵田園簿』や『元禄郷帳』には載らない小林村があり、天文年間(1532年〜1555年)に創建された浄土宗小林寺があった[9][12]。
1875年(明治8年)の農業産物高は『武蔵国郡村誌』によると米80石、大麦275石、小麦80.5石、大豆74石、小豆59.1石、栗90石、甘藷165312斤、菜種12.6石であった[14]。
はじめは知行は旗本牧野家、1650年(慶安3年)分家の牧野家知行。なお、検地は1620年(元和6年)、1667年(寛文7年)、1687年(貞享4年)に実施[12]。1701年(元禄14年)より一部を旗本牧野(新)家に分知し牧野2家との相給となる[8]。1726年(享保11年)旗本牧野(新)家知行分が上知され幕府領、その幕府領はのちに川越藩松平家領となり、その後はその一部が幕府領に戻る[8]。
小字
世帯数と人口
2021年(令和3年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。なお、西上尾第一団地は小敷谷のほか一部今泉や壱丁目に跨るが、団地の所在地が小敷谷となっており、統計上全て小敷谷(大石地区)の人口として計算される。西上尾第二団地も小敷谷と平方に跨るが、同様に統計上小敷谷の人口として計算される[30]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[41]。
番地 |
小学校 |
中学校 |
選択可能学校(要 通学希望届)
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1〜77番地、77番地1(西上尾第二団地 1街区22〜36号棟、2街区全域)、77番地84〜189、693〜712番地、715〜719番地、790〜821番地 |
上尾市立平方東小学校 |
上尾市立太平中学校 |
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77番地40〜77番地83(フラワーフィル西上尾) |
上尾市立平方北小学校
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77番地1(西上尾第二団地 1街区1〜21号棟、3街区全域) |
上尾市立平方北小学校 |
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190〜303番地、337〜525番地、535〜539番地、542番地、555〜692番地、713〜714番地、720〜789番地、854番地〜858番地1、858番地4〜5・13、861〜862番地、966〜967番地、975番地2、975番地29 |
上尾市立大石南中学校
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304〜336番地、526〜534番地、540〜541番地、543〜554番地、845番地1(西上尾第一団地 3街区全域)、858番地2〜3(メイプルタウン)、858番地10(メイプルタウン)、858番地14〜58(メイプルタウン)、875〜879番地、880番地1〜961番地、970〜975番地1、975番地3〜975番地28、975番地30以降 |
上尾市立大石南小学校
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822〜838番地、845番地1(西上尾第一団地 1街区全域、2街区全域)、880番地 |
上尾市立今泉小学校 |
上尾市立大谷中学校
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交通
地区内に鉄道は敷設されていない。JR東日本高崎線上尾駅からは字大久保880-64までおよそ2.7 km離れている[7]。駅まで遠く徒歩圏ではない。
道路
バス
上尾駅西口駅前より西上尾第一団地方面を経由する路線バスが運行されている。
- 東武バスウエスト上尾営業所[43]
- 地区内は「大久保 」、「小敷谷」、「西上尾車庫」、「西通り」、「大石南中学校入口」、「アリオ上尾前」、「第一団地南」、「西上尾第一団地」、「ままがみ」、「西上尾第二団地」、「平方北小学校前」バス停留所が設置されている。上尾駅西口から、バス停1番でアリオ経由第一団地センター行き。バス停2番で、第一団地センター行きか上尾車庫行き(第一団地入り口か大久保で下車)。バス停3番で、西上尾第二団地行き。
- 上尾市コミュニティバス「ぐるっとくん」[44]
- 地区内は「大久保」、「小敷谷西部公民館南」、「大石南中学校入口」、「西上尾第一団地南」、「小敷谷南」、「西上尾第二団地東」、「大平中学校前」バス停留所が設置されている。
地域
かつては鎮守の氷川社のほか浅間社[8]や氷川社(字南前)[45]などが鎮座していたが、これらは旧大石村で村内にある神社の合祀が1907年(明治40年)に行われたため[46]地内に存在しない。合祀先は小泉の氷川神社で、合祀後は八合神社に改称された[45]。現在は「ふれあいの森301」と称される公園緑地内に稲荷神社がある。
町内会
- 小敷谷東部区自治会[47]
- 小敷谷西部区
- 三井サニータウン自治会
寺社・史跡
- 興旧山 小林寺 - 市指定文化財の「銅造阿弥陀如来および両脇侍立像」がある。
- 尚徳寺
- 常住寺
- 稲荷神社 - ふれあいの森301内に所在
- 西通Ⅰ遺跡(県遺跡番号:14-185[6]) - 室町時代の館跡。現地(大石南中学校の敷地とその周辺部)に案内板が設置されている。アラビア数字で「1」と記される場合もあるが、正式にはローマ数字の「Ⅰ」で表記する[48]。堀や土壙や井戸跡などの遺構や土器片・石器・陶器・板碑・古銭といった遺物が発掘された。
祭事
- 小敷谷の祭りばやし - 市登録無形民俗文化財[36]
公園・緑地
※ これ以外にも無名の公園が地内にいくつかある。
施設
- 上尾市立大石南中学校 - 指定緊急避難場所(地震)および指定一般避難所(地震)に指定[49]。
- 上尾市立太平中学校 - 大石地区(小敷谷2-3)に立地するが、平方地区の指定緊急避難場所(地震)および指定一般避難所(地震)に指定されている[49]。
- 上尾市立平方東小学校(一部)
- 星野学園幼稚園
- 上尾市立小敷谷保育所
上尾市立西上尾第一保育所 - 大谷西保育所に統合され、閉園。
上尾市立西上尾第二保育所 - 同上。老朽化により前倒しで閉園。
- 白ばら学園こどもの家 - 保育施設
- 上尾警察署西上尾交番
- 上尾西郵便局
- 上尾小敷谷南郵便局
- 上尾西地域福祉センター「ほほえみ」
- 小敷谷西部公民館
- 小敷谷東部公会堂
- 西部浄水場
- 西上尾第一団地
- 西上尾第一団地3街区グラウンド - 指定緊急避難場所(地震・洪水)に指定[49]。
- 西上尾第二団地
- 西上尾第二団地中央グラウンド - 指定緊急避難場所(地震・洪水)に指定[49]。
- フラワーフィル西上尾地区 - フラワーフィル公園を併設
- 三井サニータウン
- 東武バスウエスト上尾営業所
- アリオ上尾(一部)
脚注
注釈
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ はじめは旗本牧野家の知行地であった。
- ^ 地内の寺下橋(小林寺東側)を渡る細道を通る。「平方歩道橋」より「大石南中入口」交差点までの現道は当時まだ開通していない。
- ^ 外部リンク節の「フラワーフィル西上尾地区地区計画」を参照。
- ^ 「小敷谷天神橋」は当時はまだ架けられていない(2020年に追加仮設)。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』では「堀篭」とも。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』では「駒橋」や「南村」とも。
出典
参考文献
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1』上尾市役所、1994年3月15日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市役所、1998年3月31日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市役所、1997年3月31日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 新編武蔵風土記稿
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
外部リンク