川 (上尾市)
川(かわ)は、埼玉県上尾市の町名および大字。現行行政地名は川一丁目・二丁目、および大字川。住居表示未実施地区[6]。郵便番号は362-0048[3]。 市の統計などでは大谷地区で分類されている。 地理埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市南東部[7] の大宮台地上[8] に位置する。鴨川流域は低地で台地との間は傾斜が極めて緩く、その境界は不明瞭である。 東側を富士見、南側を向山、西側から北側にかけて今泉と接する。市民体育館通りの北側に位置する大字川の境界は大字今泉と複雑に錯綜し、現在でも大小の飛地がある。地区の東端を鴨川が流れ、北から富士見橋や鴨川橋が架かる。また、地内を今泉雨水第2幹線(今泉都市下水路)が流れ、鴨川に合流している[9]。 地区は大字も含めた全域が市街化区域[10] で主に第一種低層住居専用地域(主要な通り沿いは第一種中高層住居専用地域や第二種住居地域)に指定され、全体的に区画整理された住宅地が広がっているが、大字川には一部生産緑地地区として耕作地も残る。かつては水田も見られた[7]。 歴史もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大谷領に属する川村[8]、古くは、周辺の今泉村、向山村、壱丁目村などと共に1村の大谷村であったと云われている[8][11]。向山村に飛地があった[8]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では154石(田61石余、畑89石余、山高3石余)[12]、『元禄郷帳』および『天保郷帳』によると123石余であった[8]。助郷は中山道上尾宿に出役していた[8]。化政期の戸数は20軒で、村の規模は東西4町余、南北2町余であった[8][13]。地名は諸説あり鴨川に由来する説や、川端など、川の字を含む地名から川の字だけが残ったことよるものと云われている[14]。 1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米15石、大麦60石、小麦15石、大豆18石、小豆8石、栗10石、蕎麦3石、甘藷720貫であった[15]。
存在していた小字※ 登記簿上は今もなお存在する小字を含む。『新編武蔵風土記稿』には「前」・「神明前」の記載がある[13]が、現在の場所を特定できない[14]。 世帯数と人口2021年(令和3年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[30]。
交通地区内に鉄道は敷設されていない。下記路線バス利用でJR東日本高崎線上尾駅が最寄り駅となっている。 道路地区内に国道や主要地方道・県道は通っていない。 バス上尾駅西口駅前より西上尾第一・第二団地方面や川越駅方面への路線バスが多数運行されている。
地域町内会祭事
施設
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク
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