地頭方 (上尾市)
地頭方(じとうがた)は、埼玉県上尾市の大字。郵便番号は362-0051[3]。 市の統計などでは大谷地区で分類されている。 地理埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市南部の大宮台地上に位置する。東側を大谷本郷、南側を堤崎、西側を平方領領家、北側を小敷谷や壱丁目と隣接する。また、東側は大字向山、北側は平方とも僅かに隣接する。上尾道路が開通し、さいたま市や首都圏中央連絡自動車道(圏央道)方面への交通量が増加している。市街化区域(ほぼ全域が準工業地域に指定)である東部には住宅地が多く、UDトラックスやその関連工場も見られるが、市街化調整区域[6]となる西部は畑地となっている。その畑地周辺の水路の水を集め浅間川(準用河川)が南へ流れていく。 地内に集落跡である「中谷遺跡」(県遺跡番号:14-126[6])があり、土器片が発掘されている。 歴史もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡平方領に属する地頭方村であった[7]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では173石(田45石余、畑127石余)[8]、『元禄郷帳』によると145石余、『天保郷帳』によると149石余であった[7]。化政期の戸数は30軒で、村の規模は東西4町、南北7町余であった。地名の由来は地頭の領分によるものと云われている[7]。新井・戸崎村に飛地を領していた。 1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米25石、大麦80石、小麦35石、大豆25石、小豆8石、栗15石、稗13石、蕎麦6石、甘藷2000貫、里芋1500貫、茄子30貫、大根250貫、綿40貫であった[9][注釈 1]。
小字※ 『武蔵國郡村誌』には「西ノ前」、『新編武蔵風土記稿』には「前谷」・「堂の前」・「後ろ谷」の記載がある[25]が、現在の場所を特定できない[10]。 世帯数と人口2021年(令和3年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[26]。
交通地区内に鉄道は敷設されていない。JR東日本高崎線上尾駅からは地区北端で3.3 km以上離れている。JR東日本川越線西大宮駅からも地区南端で3.4 km以上距離があり徒歩圏ではない。 道路地内の市街化区域との境界線上に都市計画道路「西環状線」(幅員12 m)[6]が計画されている。概ね現道を線形改良および拡幅する形となる。
バス上尾駅西口駅前より平方や川越駅方面への路線バスが多数運行されている。
地域町内会祭事
寺社地内の氷川神社の北西およそ100メートルの場所に正円寺があった[30]。墓地が残る。また、合祀され存在しないが、神明社や雷電社が鎮座した時期があった。 施設
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク
|