新春かくし芸大会
『新春かくし芸大会』(しんしゅんかくしげいたいかい)は、フジテレビ系列で1964年から2010年まで毎年1回、正月に放送されていた大型バラエティ番組。回によってタイトルに多少の変更がある。主に、元日のゴールデンタイム・プライムタイム(JST)に放送されていた。略称は『かくし芸』。 概要NHKの『NHK紅白歌合戦』、TBSの『輝く!日本レコード大賞』と並ぶ、年末年始恒例大型番組の一つだった。1964年の第1回放送以来、「国民的番組」としての地位を築いてきた。放送形態は基本的に録画放送であるが、第2・33・46回〈1965・1996・2009年〉は生放送で放送された。 番組開始4年後の1968年にスタートした『初詣!爆笑ヒットパレード』や、2000年から毎年1月3日に新春特番として放送されている『平成教育委員会スペシャル』と並ぶフジテレビ恒例の新春特番の一つで1990年代にはこの新春特別番組の中に『タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ』もあった。 この番組は、基本的に渡辺プロダクション(ナベプロ)とフジテレビが共同で企画・制作していたが、著作権についてフジテレビは保有しておらず、ナベプロが所持していた。これは、技術費や美術費などは勿論のこと、演芸の練習や本番収録などにより、出演者が1週間以上拘束されるケースも珍しくなかったため、フジテレビが著作権を保有していると同局が莫大な制作費やギャランティーを支払うことになるのを回避することに加え、ナベプロにとっても制作費を負担する分、自社所属のタレントを正月から登場させるなど、思い通りの番組を作ることが出来るメリットがあったためである[1]。 基本的に元日(1月1日)に放送されるが、年によっては1月2日や3日に放送されたこともあり、特に1970年代は本番組にレギュラー出演していたザ・ドリフターズの持ち番組『8時だョ!全員集合』(TBS系列)と重複しないように、放送日をずらすということが3回もあった[注 1]。1980年代の一時期は、1日と2日の2部に分けて放送されていた。 審査は5人の審査員が1人最高10点の持ち点で合計50点満点を付け、最終的に合計点の多いチームが優勝となる。優勝チームが決定すると薬玉が割れると共に大量の紙吹雪と風船が降り、紙テープと「今年もよろしくお願いします」(「○軍勝利」「○組勝利」などのバリエーションもあり)と書かれたたれ幕が下がり[注 2]、応援役のスクールメイツから大量の紙テープが投げられた。薬玉は1984年まではスタジオ中央の上部に一つだけ設置、1985年からは両軍の頭上に設置された。1996年は天井から大量の紙吹雪が『紅白歌合戦』のように降り続き、1997年のお台場移転以降はキャノン砲から風船、紙テープは入っていない。大量の紙吹雪が降る仕掛けを使用した。優勝チームのキャプテンにはヘンデル作曲の『見よ、勇者は帰る』のBGM(アレンジは宮川泰→たかしまあきひこ)と共に優勝カップが贈呈される。引き分けの場合、紙吹雪は降らず優勝カップも贈呈されない。ただし2006年は「両軍優勝」となり、大量の紙吹雪が降り両軍のキャプテンに優勝カップが手渡された。 視聴率は開始当初から1980年代初頭まで毎回30%(関東地区、ビデオリサーチ調べ、以下同じ)以上の高視聴率を獲得していた。最高は1980年の48.6%だった。しかし1983年以降は低下し始め、1994年から20%を割るようになった。2000年頃から15%前後で推移し2007年には16.0%に改善したが、2008年は再び13%を割った。そして2009年は13年ぶり3回目の生放送で初めて個人戦となったものの、初の1桁になった。 2010年元日の放送を以て47年の歴史に幕を閉じた[注 3]。同時にフジテレビ開局50周年記念番組『新春かくし芸大会FOREVER』として総集編を約3時間にわたって放送した(視聴率は9.2%)。 放送日
番組の歴史1964年 - 1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
番組構成の変遷
司会・キャプテン司会1964年は、司会なし。
キャプテン
補足
1993年を以て井上はかくし芸を降板、翌1994年からは小堺一機が紅組キャプテン役を兼ねて堺と共に司会を務めた。1993年は1回のみ逸見政孝が総合司会として司会に復帰した。1994年と1995年は総合司会を置かず八木亜希子アナウンサー(当時)を進行役に、森口博子・中山秀征・山瀬まみ・松本明子・SMAP(1995年のみ)が両軍司会を務めた。
エピソード
→詳細は「スターかくし芸大会!栄光の30年スペシャル」を参照
関東地区での再放送関東地区では本放送後、必ず再放送を行っており、1970年代では概ね本放送の約2週間後の当時の「成人の日」である1月15日の午後に放送していた。 1980年代からは、毎年1月の第1または第2土曜日に変更、土曜14時台の『土曜スペシャル』(以降『土SP』と略記)を枠拡大して放送した。その放送は、当初は土曜13時台の『サタデーイベントアワー』(同『サタイベ』)を休止して拡大、本放送が2部体制になった1983年と1984年では、直後の『土曜映画劇場』→『土曜ワイド』(同『土W』)も休止し、2部をひとまとめにして放送、1985年から1987年では『サタイベ』で第1部、『土SP』で第2部をそれぞれ枠拡大して放送、1988年はから1部に戻ったため、以後は再び『土SP』を枠拡大して放送した。 1989年は当初1月7日に12:00 - 15:00枠で再放送する予定であったが、当日に昭和天皇が崩御し翌8日までの特別編成になったため放送できず、放送はかなり遅れて2月25日と3月4日の土曜16:00 - 17:54(『土W』枠)で放送、唯一1月以外での再放送となった。 いずれの時でも放送する時には画面下に「この番組は○○○○年1月○日に放送されたものです」という断り書きのテロップを添えて放送した。 他番組でのパロディ
その他
番組スタッフ
1982年
1983年
1985年
1987年
1988年
1991年 1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2010年
ネット局系列は現在の系列。○は現在他系列局だが、放送当時はフジテレビ系列局や他系列とのクロスネットだった局。
ネット局に関する備考
系列局での遅れ・先行ネット
関連項目
同じフジテレビ系列で現在放送されている年始番組脚注注釈
出典
外部リンク |
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