ウッチャンナンチャンのウリナリ!!
『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(通称:ウリナリ!!)は、1996年(平成8年)4月12日から2002年(平成14年)3月22日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本のバラエティ番組。お笑いコンビ・ウッチャンナンチャンの冠番組であった。 放送時間時刻はいずれもJST。
番組の歴史番組が放送されていた1996年から2002年は日本テレビがフジテレビから視聴率三冠王を奪還、人気番組を量産し、他局を引き離す独走状態であった。それに伴い「ウリナリ」も千秋をボーカルに据えた番組オリジナル音楽グループ「ポケットビスケッツ」のヒットにより人気に火が付き、さらに対抗グループとしてビビアン・スーをボーカルに据えた「ブラックビスケッツ」が登場し、両チームの対決企画などが放送されていた1997年夏頃から1999年秋頃にかけて高視聴率を獲得し、日テレのドル箱番組となった。その後はメンバー変更、ポケビ・ブラビの活動休止等で人気が急降下し、2002年3月を以て終了することとなった。また、これにより『ウッチャンナンチャン』から13年間続いた日本テレビ系のウッチャンナンチャンの冠番組も幕を降ろした。 初期
中期
後期
末期
終了後
放送リスト1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
出演者出演者が言葉を発した際に画面に表示されるテロップは1996年以来、色がほぼ決まっていた。かっこは2002年3月までの出演期間とテロップの色である。特に記述のない限り、テロップの色は主に黒で、それ以外は毎回色が変わっていた。ただし、一部出演者は同じ色になっている。 また、途中降板したレギュラーは降板の挨拶や卒業の報告など一切行われず、フォローすらなかった。 ウリナリオールスターズ(レギュラー)メイン(およびリーダー)『ウリウリ!ナリナリ!!』から続投
全盛期
解散総選挙後
ウリナリ進行アナウンサーさまざまな企画でのウッチャンナンチャンのアシスタント的な役割を担った。以下の日本テレビアナウンサー(当時)が担当。
など ウリナリ応援団勝俣を団長に据えた団体。最初の社交ダンス大会の応援以降あらゆる企画に登場したが、要は出番がないレギュラーのために用意した野次馬ポジション。96年秋頃のレギュラーの人員整理によって消滅した。その後はポケビとブラビの対決時などに堀部・よゐこの3人で一時的に復活している。ポケビとブラビが第49回NHK紅白歌合戦に出場した際にもバックダンサーとして登場。「クボジュン命」と書かれた扇子が開かず手こずっていた南原に代わり、応援団の有野が手動で扇子を開いた。 ウリナリ審査委員会元々は追加ルールや課題の発表などを出演者及び視聴者に発表する役割を受け持つ架空の組織。『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の中でリポーターが口癖のように言いながらも実際は虚構の存在だった「生ダラ審査委員会」とは対照的に、こちらは制作側の意思を具現化した団体として設定されている。登場時には必ず黒のタキシードを着ていた。主にポケビ・ブラビシリーズを中心に、中期十数回登場。1999年のポケットビスケッツとのCD発売を賭けてのトライアスロン対決に敗れた事で自然消滅と思われたが、ポケビ・ブラビシリーズ終了後はまだ活動は継続していた。
その他のレギュラー出演者
1コーナーのみの出演者
主な企画主なコーナー→詳細は「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!の企画」を参照
収録はどのコーナーも主に日曜日・月曜日の2日間にわたって行われていた。先述・後述にもある通り、当番組は終始体力勝負が鍵になる番組だった[11][12]。レギュラー陣はポケビとブラビをはじめとする、最終回のウリナリ祭り等の各種舞台の打ち合わせからリハーサル・稽古、さらには社交ダンス振り付けの把握、各コーナー企画での楽器の演奏準備・アスリートスポーツ系企画の練習・またはコントライブの台本の把握と、相当ハードスケジュールのなかで行っていた[13]。また全体でも、週替わりの単発コーナーについてはレギュラー出演者への打ち合わせは簡単な何時に来てくださいというだけであり、現地に到着後に企画の知らせを受けていたためはじめから厳密に構成や進行を把握していたのはメインMCのウッチャンナンチャンの2人だけだったことが後に千秋と勝俣それぞれ2人のYouTubeチャンネルおよび千秋がゲスト出演したウドMCのイッツコム番組で明かされている(ただし、ランキングキャラクターライブや単発コーナーでもキャラクター設定が正確に決められている等の台本が初めから必要なものを除く)。 そのうち、ランキングキャラクターライブについては日曜日の午前と午後に計4本2本撮りが行われていた。そのため、TBS系列の生放送「アッコにおまかせ!」に昼11時45分~13時まで出演していた勝俣については、体力勝負企画が多く収録時間・拘束時間の長いウリナリにおいては主に午後収録と月曜日の収録に参加していた[注 2]。また、ビビアンについても当番組で一躍注目されて以降、ウリナリ参加当初ほぼ無名・他番組への出演なしだったものがブラビのスタミナにおけるミリオンセラー以降になると故郷の台湾を始め各国からオファーが殺到するようになり、徐々に各国へ幅を広げるようになったため、1998年に社交ダンス部のコーナー時に1週間ほど参加できなくなったのを皮切りに1999年春頃からブラビ以外のコーナー出演を極力減らすようになった(ビビアン・スーも参照 → 同年降板)。 ウリナリ解散総選挙2001年4月、ウリナリ大会議で「ウリナリ解散総選挙」実施が決定(決定への経緯は2001年4月20日放送「ウリナリ大会議 ウリナリ解散総選挙について」を参照)。同年5月、総選挙後に番組リニューアルが行われ、メンバーが大幅に変更。女性陣についても山川恵里佳を除き全員変更された。選挙では東京のみならず全国主要都市に投票所を設けた他、出口調査や比例代表制、随時当選確実の速報を入れるなど[注 3]、本物の公職選挙における制度やそれに関する報道体制を取り入れ、舛添要一が解説で出演した。なお2001年当時の日本の公職選挙では20歳未満および日本国籍を有しない者の投票は認められていなかったが[注 4]、ウリナリ解散総選挙では原則として誰でも投票可能であった。 しかし、番組の大リニューアルは結果的に失敗し、2002年の3月いっぱいで放送終了が決まった。
運命のファイナルステージ ウリナリ祭り 〜7年間の総決算〜2002年3月12日、有楽町・東京国際フォーラムにて行われた『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』ファイナルイベント。レギュラー放送最終回。映画の撮影でどうしても来られなかった堀部圭亮を除きかつてのレギュラーがほぼ全員出演。千秋、ビビアン以外はエンディングまで出演していた(番組貢献者の千秋とビビアンがなぜ早々に帰ってしまったかは不明だが、スケジュールの都合上説やゲスト扱いのため等さまざまある)。 ポケビ、ブラビ、ウルトラキャッツ、メモリーキャッツ等、番組発ユニットのヒット曲披露(McKee、黒幕&愛人、ウリナリオールスターズを除く)、部活動ヒストリー、現メンバーによるスチールパン演奏などを行い、7年間の番組の歴史に幕を閉じた。 音楽ユニットこの番組から誕生した番組企画ユニット。番組終了に伴い全てのユニットが活動を停止している。あくまで活動停止であり、解散ではないことをウンナンの2人が説明している。活動再開をしない理由は不明であるが、復活の声は20年以上経つ今でも根強く、幾度か復活した事例もある。
内村側ユニット
南原側ユニット
その他
エンディングテーマ
『ウリナリ!!』では、番組で結成された企画ユニットの曲をエンディングテーマとしていた。主にユニットのプロモーションビデオやメイキングビデオの映像とともに流れていた。なお、TERUの「青の住人」(1999年2月19日放送)は前奏が長いため歌詞がほとんど流れなかった。また、エンディングテーマがない時期もあった。 ポケビvsブラビ対決の全盛期は、3番勝負でエンディングの時間配分を決めることもあり、CDデビュー前のブラックビスケッツがカラオケボックスで歌っている様子が放送されたこともあった。
なお、社交ダンス部の特番にはエンディングテーマはない。 DVD・VHSポケビ・ブラビなど音楽ユニットのディスコグラフィは各ユニットの項を参照。
タイトルロゴ
スタッフ
過去のスタッフ
関連項目
脚注注釈出典
外部リンク
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