ウド鈴木
ウド 鈴木(ウド すずき、1970年〈昭和45年〉1月19日 - )は、日本のお笑いタレント。お笑いコンビ・キャイ〜ンのボケ担当。相方は天野ひろゆき。本名は鈴木 任紀(すずき ひでき)。山形県東田川郡藤島町(現鶴岡市)出身[1]。浅井企画所属。 来歴中学生時代は野球部、高校生時代は柔道部に所属[2]。高校時代はヤンキー向け車雑誌『ヤングオート』を愛読、クラスで回し読みしていた。のちに『ヤングオート』のインタビューで「半ヤンキー」であった高校生活を振り返っている。山形県立庄内農業高等学校を卒業[2]。1988年に平田牧場芝浦営業所に勤めるため、川崎市に移住[3]。 1989年10月に浅井企画に飛び込みで面接を受けに行く。門前払いされるが、何も当てがなく東京に知り合いもいないため、浅井企画にいた夢麻呂が面倒を見る事となる[4]。芸名の「ウド」は、夢麻呂が「体だけ大きくて何も役に立たないウドの大木だな」と言った事から命名[5]。その後、夢麻呂が座長を勤める劇団「TEAM童里夢」(現:YANKEE STADIUM 20XX)で初舞台に上がる。劇団には岡元あつこも所属していた。 同郷の幼馴染みとのお笑いコンビ「ランドレース」での活動および解散[6]、関根勤が座長を務めるカンコンキンシアターでの活動を経て、1991年に山中伊知郎の進言により、天野ひろゆきとともにお笑いコンビ「キャイ〜ン」を結成[7]。ボケを担当。 若いころは借金癖があり、ありとあらゆるサラ金から借金をしていた。また、『笑っていいとも』のレギュラーの時は、番組終了後にテレクラのサンドイッチマンのアルバイトをしており、日給を貰うとアルバイトしたテレクラで日給を使っていた[8]。 金髪のモヒカンが特徴であり、「目立つ様に」と行き付けの床屋の主人が開発したもの。床屋の主人は若手芸人時代のウドから料金を取らなかったが、芸人として売れて以降も料金を取らず、その料金を茶筒に「ウド募金」として入れている[9]。2022年現在もその床屋に通っている[10]。キャイ〜ンとしてデビューした当初までは手入れが簡便であるとしてパンチパーマであった[11]。デビュー当初は黒髪で、赤、緑、黒、シルバーを経て金髪になった。 1996年10月から2002年3月まで日本テレビ系列にて放送されたバラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』にて、ウッチャンナンチャンの内村光良とタレントの千秋とともに、音楽ユニット「ポケットビスケッツ」(ユニット名はウドが命名)としても活動。楽曲「GREEN MAN」では、メインボーカルをつとめた。ポケットビスケッツは2000年に活動休止したが、その後何度か限定的に復活している。『ウリナリ!!』では「独活野大木」の名義を使用していたこともある。ウリナリ芸能人社交ダンス部では「アミーゴウド」として活躍。 俳優としては、『香取慎吾の特上!天声慎吾』(日本テレビ)の企画から1999年に土曜ドラマ『蘇える金狼』(主演:香取慎吾)に天野とともに後ろ姿だけの出演、2001年に『FACE〜見知らぬ恋人〜』(日本テレビ系列)に出演。2002年に映画『ナースのお仕事 ザ・ムービー』に猿渡剛役で出演し、2004年にフジテレビ木曜時代劇『大奥〜第一章〜』第9話で、徳川家光の家臣の役として一瞬だけ出演。2006年には内村光良が初監督を勤めた映画『ピーナッツ』に出演した。 結婚願望が強かったことから、全国各地に「嫁探しの旅」と称してナンパに繰り出すほか、クリスマスの時期になると未来の彼女のためにホテルの一室を予約するなどして、自分を追い込んでいた。『ザ!情報ツウ』(日本テレビ系)で披露した「嫁探しの旅」のVTRの評判がよかったことから、2003年10月から『ウドちゃんの旅してゴメン』(メ〜テレ)が開始。2005年には番組本が発売され、発売イベントには相方の天野が乱入した。番組は20年続き、2023年10月に終了した。 2004年にプロ野球に参入した東北楽天ゴールデンイーグルスのファンクラブ名誉創立会員(会員No.10)となった。 2006年4月12日に2歳下のソムリエをしている女性との結婚を発表。結婚を決めるきっかけは、深夜に自宅のトイレが詰まりラバーカップが無いために一緒に出かけていき、数店ハシゴした末にラバーカップを購入、自宅のトイレの詰まりを2人で直したこと、と語った。独身時代はカンコンキンシアターの共演者である剛州と同居し、毎日仲間と飲むなど遊び歩いていたが、結婚してからは真っ直ぐ家に帰るようになる。 2007年2月23日に山形の観光大使にあたる『おいしい山形大使』に山形県知事より任命される。 2009年4月16日、内村と共に「ザ・テルヨシ&ウド」として『ザ・イロモネア』に出場し、Finalステージで敗退した。番組内では「ウド鈴木」とは別人と言う設定であった。 2010年5月5日放送の『フットンダ』に初登場したときは正統派かつ見事なモジりを連発して、すべてのお題で「フットンダ」を達成。 人物身長178 cm、体重80 kg、血液型AB型。柔道初段[12]。喫煙者である。山形県出身であるが、普段は標準語を話す。驚いた際に「じぇ〜!!」と出たことがある。有吉弘行から付けられたあだ名は「バカの押し売り」。 内村光良を師匠、出川哲朗を隊長と呼び、どちらも相方の次に慕っている[13]。ずんの飯尾和樹と仲がよく、浅井企画への入所もほぼ同時期であるため、飯尾からは同期扱いされているが、飯尾は入所以前に劇団に所属していた事があるため、飯尾を先輩扱いしている。 出川と共に軽自動車に乗ってナンパしていたところ、複数人のチーマーに車を囲まれて「おら、ウド出川降りてこいよ!」と車ごと揺らされる。ウドは「隊長、これからは何があろうが、この車から絶対に出ないでください」と車から降りると、チーマーのリーダーのもとまで行き、顔をギリギリまで近づけ、「謝れ!隊長がプライベートで楽しんでるのになんでそんなことするんだ!」と謝罪を要求。するとリーダーが激怒。ナイフを取り出し「調子に乗ってると刺すぞ!」と脅すと、ウドは腹を見せて「刺せるものなら刺してみろ!こちとら本物なんだ!」と言い返した。騒ぎを聞きつけた警察が出動。仲裁に入り、お互いが謝り握手した[14]。 先輩・後輩関係なく腰が低い。渋谷すばるが自身のラジオで「ウドさんは(悪い事をしていないのに)ずっと謝ってますよね」と語ったところ、共に出演している浅井企画の放送作家が、打ち合わせで遅刻してしまったウドが待ち合わせの喫茶店に慌てて入ってくると、全く関係ない周囲の客に対して「すいません すいません」と謝罪しており「ウドちゃんは憎めない。一度会えばみんながウドちゃんを好きになる」と褒めちぎっていた[15]。 記憶力が優れており、2001年に漢字検定2級に合格している[16]。また、1時間で天野の携帯に登録されている電話番号100件を全て覚えた(似たような企画で、卒業アルバムに載っている天野の同級生全員の名前を暗記したことも)。かつては円周率を700ケタほど暗唱できたが、2012年6月29日のスーパーニュースでは、22ケタであった[17]。一度しか会っていない番組スタッフの名前と顔を数年後に再会しても憶えている。相方の天野は「自分は数年経つと憶えていないので(冷たい人間と思われて)困ってしまう」と語っている。 すっぱい物が嫌い。『内村さまぁ〜ず』で梅干しとレモンを頬張り、苦悶の表情をする[18]。「レモン」と聞いただけでもどす事もある。また、アップルパイなど、加熱した果物、及びそれを使用した食品も食べられない[19]。『とんねるずのみなさんのおかげでした』の『食わず嫌い』のコーナーにキャイ〜ンで出演したときは、そのホットアップルパイを嫌いな食べ物として挙げている。理由は小学校の給食でアップルパイを食べたら今まで食べたものを吐いてしまったからである。 ダウンタウンのファンで、ファンクラブにも入っていた。松本人志と初めて食事する際には、タキシードを着て行ったという。のちに『リンカーン』で共演している。ダウンタウンからは「ウドちゃん」と呼ばれている。さらに収録でフリップを出し間違えた事を電話で浜田に毎回謝るため浜田に「電話せんでええから」と言われた。 『リンカーン』の料理企画「リストランテリンカーン」では唯一レギュラーで満場一致で「美味い」と認定された。特にカツオのたたきと麻婆豆腐&スパイシービビンバ丼は絶賛され、カツオのたたきは松本人志と大竹一樹が嫌いな料理にもかかわらず、ウドが作ったマヨネーズのソースにより克服させた。麻婆豆腐&スパイシービビンバ丼はメンバー全員が絶賛し、松本は「人生の最期の食事でもいい」「天才やん」と称賛した。 涙もろく、『リンカーン』の企画で山口智充が用意した数話の泣ける話で、ウドのみ号泣し、涙が止まらない状態になっていた。 山形での高校生時代、すれ違った小学生に(何もしていないにもかかわらず)「あっ、バカだ!」といわれた事がある。また、海外で現地の子供がウドの顔を見るなり「Oh, My God!」と叫んだ事がある。事務所の先輩芸人である関根勤やルー大柴からは「(芸人として)ズルい顔」と賞賛されている(顔だけで笑いを取れるから)。なお、外見を馬鹿にされても一度も相手に怒ったり注意したことはない。 動物好きであり、動物が懐いてくる。魚を調理した際に魚が暴れたものの、子守唄を歌い優しくなでるとおとなしくなり、天野から「催眠術をかけた」「なんなのこいつの力!」と驚かれた。動物番組である『ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜』(NHK総合)を好んで視聴する(『リンカーン』出演時より)。 かつて叔父からもらったアウディを愛車にしていたが、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』にてブルドーザーに踏み潰された[注 1]。その後の愛車キャディラックもピンクに塗装していたが、『ウリナリ』で「グリーンマン」を発売した時に勝手にグリーンに塗装されてしまったことがある。 太っ腹な性格であり、事務所のチーフマネージャーから「若手芸人はウドから金を貰うな」と指示が出ている。事務所の後輩のANZEN漫才からは「恩人」と呼ばれ、尊敬されている。 相方への溺愛天野がウドに「プライベートは別々になろう」と提案したが、それを聞いたウドは天野の胸ぐらをつかみ「天野君は僕のこと嫌いなの!?」と泣きながら訴えた[20]。 『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ2007』では、他のお笑い芸人と即席コンビを作るルールにもかかわらず、希望の相方を選ぶ際に天野を選んでいた。司会を務めた浜田雅功らから「普段の相方を選んだらアカン言うとるやろ!」と突っ込まれても「僕はやっぱり天野君が一番なんです」と答えた。最終的には、ロンドンブーツ1号2号の田村淳と即席コンビを組んだ。 事務所の社長と大喧嘩して「やめてしまえ!」と言われた時、「今までありがとうございました。天野くんをよろしくお願いします」と答えた。社長も、自分の人生より天野の心配をしたウドの相方愛に感心し、結局引き止められたという。 「もしキャイ〜ンが解散することになったら?」と聞かれ、「(天野と)刺し違えるかも知れない」と答えた。「天野に先立たれたらどうする」という問いにも、「刺し違えます!」と答えている。 ロケ番組の収録で旅館に宿泊した時、天野と同じ部屋で寝ることになったウドが、もともと離れた状態で敷かれていた布団を天野がいないスキにピッタリ並べて敷き直したことがある。それを見た天野が「冗談やめろよ!」と怒ると、ウドは「冗談なんかじゃないよ!!」と本気で怒ったという。
女性の好み熟女好きであるが、ストライクゾーンについては「18歳から灰になるまで」と答えている。「60代でも若過ぎる」とし、テレビ番組の企画で熟女の年齢をピタリと当て、浜田雅功を感心させた。フジテレビの女子アナの中では阿部知代が一番好きと答えている。年下の女性と結婚したことについて、事務所の先輩(コサキンら)やウドを知る業界の関係者からは驚かれた[21]。 「熟女大好き芸人」を取り上げた2008年8月7日深夜放送分の『アメトーーク!』では、熱く熟女の素晴らしさを語り、他の出演芸人の追随を許さない熟女へのこだわりを見せ付けた。一番の熟女に加藤治子を挙げ、コーナー立案者の秋山竜次も「僕らとレベルが違う」と唖然としていた。同年10月9日放送分の同番組での「持ち込み企画プレゼンSP」で、アダルトビデオの話題が持ち上がった際には、最近のお気に入りとして「農家のおばさんシリーズ」を挙げた。 NHKアナウンサーであった久保純子やモーニング娘。のメンバーであった市井紗耶香を好んでいた時期がある(共にウリナリにて発覚)。市井にいたっては自宅にポスターが張ってあり、市井のポスターにキスをして出かける時期もあった。 『ロンドンハーツ』の「抱きたい女芸人」企画では、アンケートでオアシズの大久保佳代子と回答。「(大久保は)世が世なら、マリリン・モンローが嫉妬するセックスシンボルである」とコメントした。その一方で、同番組の「付き合いたい女芸人」企画では大久保の相方の光浦靖子とアンケートで回答しており「壊れそうな靖子さんを支えてあげたい」とコメントしている。なお、かつて番組の企画で光浦靖子のファーストキスの相手を務めた。 不祥事・騒動2002年11月1日未明に東京・新宿区歌舞伎町の繁華街にて、絡んできた若者と口論の末に殴り合いとなり、書類送検された[22]。 2007年4月13日、東京・港区台場フジテレビ本社前の交差点でウドが運転する車で青信号で直進したところ、対面車線から信号無視で右折しようとした車に衝突され、その車を運転していた50代の女性が負傷した。ウドにはケガは無かった[23]。事故発生直後の現場をフジテレビのカメラに中継され、女性の運転席に駆けつけて謝罪するウドの姿が捉えられた。当初、この女性はウド側が信号無視をしたと主張、意見が対立していたが、その後、「前方不注意」だったと主張を覆したために両名ともに書類送検され、5月23日に起訴猶予処分が下された。 出演コンビの出演はキャイ〜ンを参照。 テレビ番組
WEB番組
ドラマ
映画
アニメ吹き替え舞台
広告・CMその他
書籍
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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