『オールスター夢の球宴』(オールスターゆめのきゅうえん)は、1971年 - 1978年(1977年は除く)および1981年 - 1990年の2期に渡ってフジテレビ系列で放送された特別番組(スポーツバラエティ番組)である。通算22回(12回+10回)。
概要
『オールスター紅白大運動会』(以降『大運動会』)と『オールスター紅白水泳大会』(以降『水泳大会』)に続く、フジテレビの芸能人対抗スポーツバラエティ番組で、芸能人が2チームに分かれて野球の試合を行う番組。1978年まで継続後、フジテレビが結成した女子野球チーム「ニューヤンキース」の試合中継『オールスター対抗!女子野球大会』→『激突!女子野球』のため一旦中断し、1981年から再開した。
開始当初は木曜日の『テレビグランドスペシャル』(以降『TGSP』)で放送、それも春・夏・秋の年3回放送だったが、翌1972年に早くも夏を廃止し放送枠を『火曜ワイドスペシャル』(以降『火WSP』)に移動、1975年からは年1回に変更、再開後は引き続き『火WSP』で放送したが、後に金曜日の『金曜おもしろバラエティ』(以降『金OV』)→『金曜ファミリーランド』(以降『金FL』)で放送した。
収録は一貫して首都圏の野球場で、第1期は明治神宮野球場や川崎球場、そして後楽園球場で行い、第2期は当初西武ライオンズ球場(現:西武ドーム球場)で行ったが、後に後楽園球場→東京ドームに変わった。いずれの時も観覧希望者は、番組に観覧希望の葉書を投稿し、抽選で当選した人が観覧する事が出来た。
放送リスト
回 |
放送日 |
放送時間(JST) |
放送枠 |
備考
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1
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1971年3月25日 |
木曜20:00 - 21:26 |
TGSP |
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2
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1971年7月15日 |
唯一の夏回
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3
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1971年11月18日 |
最後の木曜放送
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4
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1972年4月4日 |
火曜20:00 - 21:26 |
火WSP |
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5
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1972年10月10日 |
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6
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1973年4月10日 |
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7
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1973年10月16日 |
火曜20:00 - 21:25 |
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8
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1974年4月2日 |
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9
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1974年10月29日 |
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10
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1975年10月28日 |
火曜20:00 - 21:24 |
この回から年1回
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11
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1976年10月19日 |
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(1977年は「1977年ワールドカップバレーボール」の影響で開催せず)
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12
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1978年3月28日 |
火曜20:00 - 21:24 |
火WSP |
第1期最後
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(この間、放送せず)
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13
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1981年3月17日 |
火曜20:00 - 21:24 |
火WSP |
第2期開始
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14
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1982年11月22日 |
火曜19:30 - 20:54 |
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15
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1983年11月1日 |
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16
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1984年11月13日 |
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17
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1985年11月1日 |
金曜19:30 - 20:54 |
金OV |
初の金曜
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18
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1986年11月25日 |
火曜19:30 - 20:54 |
火WSP |
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19
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1987年11月24日 |
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20
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1988年9月23日 |
金曜19:30 - 20:54 |
金OV |
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21
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1989年12月?日 |
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22
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1990年11月30日 |
金FL |
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(出典:『読売新聞 縮刷版』読売新聞社、1971年3月25日 - 1990年11月30日。 ラジオ・テレビ欄)
出演者
司会・実況
始球式ゲスト
球審
- 田辺一鶴 - 第1期。講談師らしく豪快なジャッジで、ストライクの時はバックネットを向いて「ストライーク!!」、打者が三振の時は打者に向かって「ストライーク!!バッターアウトーッ!!」と絶叫するのが売りだった。東京12チャンネル(テレビ東京)での「ピンクベアーズのソフトボール試合」でも球審を担当。
- 森山周一郎 - 第2期。中断中に放送されたニューヤンキースの試合から担当し、そのまま当番組でも担当した。田辺とは対照的に豪快さはなかった。
応援
番組の流れ
出場選手は主に男性芸能人で、女性芸能人は始球式や応援程度の出演だが、第1期末期は代打要員として出場する事もあった。
- まず開会式は、両選手が入場し、前回勝利チームの代表が優勝旗を返還、この後両チームの代表が選手宣誓を行う。
- 続いて試合。まず女性芸能人(例外もあり)によって始球式を行ってから始まる。試合は5イニングまでで、延長戦はないが、希に1イニング延長する事もある。
- 最後は表彰式。勝利チーム代表者に優勝旗が贈られ、その後個人賞が発表、最後は一番頑張った選手に「最優秀選手賞」が贈られる。
チーム名称
- 第1期では「紅軍」と「白軍」。
- 第2期では「スタッカート」と「フォルティシモ」だったが、読売ジャイアンツと西武ライオンズの人気に因んで「リトルジャイアンツ」と「ゴールデンライオンズ」に変更(どちらもイニシャルは「L」と「G」を使用)。
主な選手
- ロイ・ジェームス - 第1期。
- 沢田研二 - 第1期からの常連。中断中でもドリフ率いる「パーフェクト」のメンバーとして出場。背番号は一貫して「26」(自身の野球チーム「ジュリーズ」の結成した時が26歳であるため)。
- 郷ひろみ - 沢田と並ぶ常連にして、当時の芸能界では速球派投手。沢田のライバル的な存在だが、「パーフェクト」時代は仲良くプレー。背番号は当初芸名に因んで「5」だったが、後に自身のチーム「ヒロミーズ」の背番号にちなんで「18」。
- 西城秀樹
- フォーリーブス - 郷と並ぶ常連。中断中に解散し、第2期ではおりも政夫が出場。
- サンダー杉山 - 第1期の巨漢選手。
- マギー・ミネンコ - 初の女性出場選手。
- フィンガー5 - 玉元晃を始めとする兄弟が中心で、末っ子・玉元妙子は応援程度だが、代打出場もある。1975年から玉元一夫に代わって、兄弟の甥・具志堅実が加入したため、以後は実が参加。
- 狩人
- 清水健太郎 - 第1期末期の1978年に初参加。その後ニューヤンキースの試合に参加した後、第2期にも参加。背番号は一貫して「0」。
- ザ・ドリフターズ - 中断中に放送された『女子野球だよドリフターズ』に「パーフェクト」メンバーとして出場。いかりや長介が「スタッカート」監督で、他の4名は選手。
- ハナ肇 - 第2期初期に担当。「フォルティシモ」監督。
- 堺正章 - 第2期担当。毎回井上順と共に珍妙なパフォーマンスを行うのが名物だった。背番号は一貫して「6」。
- 井上順 - 第2期。堺のライバル的存在。背番号は一貫して「90」。
- ビートたけし - ハナに代わってフォルティシモ監督に。ドリフとの「土曜8時戦争」の変形パターン。
- そのまんま東(現:東国原英夫)
- 井手らっきょ
- ダンカン - 初期は「立川ふんころがし」名義。後楽園球場のスコアボードには「ふんころがし」が入れないので、「ころがし」名義となった。
- 島田紳助
- 青空球児
- 松崎しげる
- 近藤真彦 - たのきんトリオでは一番早く出場。
- 田原俊彦 - 近藤に遅れて参加。背番号は愛称「トシちゃん」に因んで「104」(「10」が「ト」、「4」が「シ」に読める事から)
- 少年隊
- 石橋貴明(とんねるず)
ほか
関連番組
- 『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』の特別版として放送された番組で、司会はみのもんた(ナレーター兼任)と板東英二。本大会で芸能人が見せた珍プレーと好プレーを公開、これに、1979年3月20日に放送された『女子野球だよドリフターズ!』からも取り上げた。
- 第1回目は1984年12月7日に『金OV』で放送、第2回目は1987年7月14日に『火WSP』で放送された『オールスター紅白大運動会 栄光の青春・激斗編』(『オールスター紅白大運動会』の総集編)に代わり、フジテレビ火曜プロ野球中継の雨傘番組として編成したが、試合は全て予定通りに行われ、1988年火曜中継の雨傘番組に回されるも、ここでも試合は全て予定通り行われたので、1988年10月2日に関東ローカル枠『サンデーイベントアワー』(日曜12:00 - 13:50)でようやく放送された。
脚注
関連項目
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過去の出演番組 |
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関連項目 | |
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関連人物 | |
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