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この項目では、岡崎市東部にある旧額田郡額田町地区について説明しています。額田郡全体については「額田郡」をご覧ください。 |
額田地区(ぬかたちく)は、愛知県岡崎市東部の地区である。
地理
岡崎市の東部約4割の面積を占める地区であり、千万町町に東端をもつ。地区域は2006年に岡崎市に編入された額田町の全域であり、人口は8590人、人口密度は53.6人/km2と市内の地区では一番少ない。
中山間である本地区は美濃三河高原の一部にあり、地区の86%が森林である。地区内の本宮山、巴山はいずれも本宮山県立自然公園に指定されている。
地区内を流れる河川は主に矢作川水系に属する。主な河川は地区北部を流れる乙川と乙川から下流の茅原沢町(大平地区)で分流する男川(いずれもおとがわ)であり、両河川から放射状に分流する。本地区含む岡崎市は渓流が多く、各河川の支川などが土石流危険渓流に指定されている[1]。乙川などの地区内の河川は、男川漁業協同組合が漁業権を持っている[2]。
また地区内の木下町(きくだしちょう)並びに千万町町(ぜまんじょうちょう)は難読地名である。
河川
山岳・渓谷
町
歴史
室町時代、戦国時代は三河国そのものが松平氏(徳川氏)、今川氏、武田氏など多くの戦国大名によって支配をされ、当時の額田も例外ではなく当時この地を治めていた奥平氏や、額田山内氏、額田麻生氏、麻生松平家などは仕える領主を変えながら細々と生きていた。そのため、領主同士の争いに巻き込まれることもあり額田三大合戦と言われる日近合戦、雨山合戦、滝山合戦などの大きな戦いも起こった。日近城をはじめとして多くの山城が額田につくられ、奥平氏には奥平氏の重臣12家のうち6家が額田に在住した。
江戸時代になり、額田の村々はそれまでの村落が解体・再編成され、新しい村が生まれた。その大きな役割を果たしたのが、豊臣秀吉や徳川家康によって行われた刀狩令と太閤検地(兵農分離)などである。本地区域は幕府領(天領)、大名領(岡崎藩、作手藩、刈谷藩、大垣新田藩、鳥羽藩、西大平藩、磐城平藩、田中藩)、旗本領(形原巨勢家、長沢巨勢家、赤松松平家、長沢松平家、保久石川家、細川酒井家)、寺社領(天恩寺、桜井寺など)等多くの領主によって支配された。
明治時代になり、岡崎県、額田県、愛知県へと名を変えた。1871年(明治4年)に52村あった村が1889年に豊岡村、高富村、巴山村(1890年に栄枝村に改称)、宮崎村、形埜村、下山村の6か村体制に、1906年に豊富村、宮崎村、形埜村、下山村の4か村体制になり、1954年に豊富、宮崎、形埜、下山(田代、田折、蕪木、蘭は除)の4地区が合併し額田町が成立した。名前の由来は額田郡から。町内の中学校も合併後すぐに統合案が出され豊富、宮崎、形埜、下山の4中学校が統合され額田町立額田中学校が新設された。
第二次世界大戦時には多くの疎開児が額田に来た。町内には多くの寺院、神社が在り片寄町字山下の天恩寺にある山門・仏殿は国指定の重要文化財。
年表
行政区域の沿革
特徴・特産
林業
明治中期まで額田地区は山焼きが行われていたため、いたるところはげ山であった。1889年(明治22年)に旧宮崎村初代村長となった山本源吉は村の発展はひとえに植林によるものと考え、1895年(明治28年)に山焼きの廃止を実現。また同年、将来50年間にわたり毎年7万本以上のスギ・ヒノキを植えることや、1000本以上を植林すれば10円を補助することなどを定めた「宮崎村共有林保護規則」を策定した。その後9年間で36万本が植林された[24]。1956年(昭和31年)に合併により成立した額田町は旧宮崎村地域を中心として林業で栄えた。
2015年(平成27年)5月15日、森林再生と地域振興を目指す「額田木の駅プロジェクト」が開始された[25][26]。
宮崎茶
本宮山から流れ出る清流や寒暖の差が激しい気候に恵まれた宮崎地区(旧宮崎村)では、江戸時代から茶の栽培が盛んであった。年貢として上納していた記録もある[27]。明治から大正時代にかけては「全国三大銘茶」と称された[28]。兼業で盛んだった茶業も林業とともに廃れ、現在は15軒が茶葉を栽培している[29]。
健康への影響を考えて農薬の使用を止めた石原町の農家が2006年に有機JAS認定を取得すると、他の農家も自信を得てこれに追随。今では有機栽培が地区全体に広がった。先の農家が開発した商品「わ紅茶」は海外にも流通している[30]。
ぬかた味噌
地元の60~80代の女性らが組織する味噌工房「蔵っ工(こ)」(牧平町)で作られる味噌。減反政策で大豆の栽培量が増えたのをきっかけに、1973年に当時の額田生活改善実行グループが約10年の加工研究を重ね開発したのが始まり。1985年にJAの味噌加工施設が設置され、販売が開始された。
大豆と米は地元産を使用し、毎年冬に仕込む。蒸した米にこうじ菌を振りかけよく混ぜ、白味噌は9月、赤味噌は12月に出来上がる。生産量は1年に約2トン。発売当時から製造方法はほとんど変わってなく、甘くこくがある味が特徴といわれている[31][32]。
おかざきかき氷街道
2016年(平成28年)3月31日、環境省主催で行われた「名水百選選抜総選挙」で鳥川町の「鳥川ホタルの里湧水群」が「秘境地として素晴らしい名水」部門の1位に選ばれた[33][34]。
2017年(平成29年)、前述の石原町の茶農家がこの地元の〝名水〟に目をつけ、茶の販売とともに、天然水を使ったかき氷を始めた[35]。
2018年(平成30年)1月、額田地区における所得の向上や雇用の増大を目指す「岡崎市ぬかたブランド協議会」が設立される。同協議会は農林水産省の農山漁村振興交付金と市の補助を受け、様々な事業を展開[36][37]。同年7月21日から、各店が保久町字神水(かんずい)の湧き水を使ってオリジナルかき氷を提供するイベント「おかざきかき氷街道」を始めた[38][39]。同町の天然水は柴田酒造場で仕込みに使われており、硬度が1リットル当たり0.2ミリグラムと極めて低い[38]。初年度は岡崎市ぬかた商工会主催で行われ、石原町の茶農家を含む7店舗が参加した。
同年11月30日、「おかざきかき氷街道」は愛知県の観光事業である食と花の街道に認定された。
愛知県立農業大学校(岡崎市美合町)の生徒らが作った桃やブルーベリーなど季節の果物を使ったかき氷が4店舗で出されている。大手新聞の取材も多く、2021年(令和3年)には2店が加わり9店となった[40][41]。
教育
高等学校
地区内に高等学校は置かれていない。
中学校
小学校
閉校した学校
交通
地区内に鉄道は走っていないため、自動車・バスが主な移動手段である。
鉄道
バス路線
名鉄バス
- 本宿駅 - 額田支所前
- 額田支所前 - くらがり渓谷
- 東岡崎駅 - 桜形
町バス
- 額田地域内交通
- ささゆりバス(下山小学区。豊栄交通に運行委託)
- 乙川バス(自由乗り降り区間あり。形埜小学区)
- 南大須・鍛埜線
- 右回り:桜形 → 南大須公民館 → 小屋沢上 → 下部上 → 大山上 → 法味上 → 須渕橋 → 鍛埜 → 大林 → 栃本団地 → 北部診療所 → 桜形
- 左回り:桜形 → 北部診療所 → 栃本団地 → 大林 → 鍛埜 → 須渕橋 → 法味上 → 大山上 → 下部上 → 小屋沢上 → 南大須公民館 → 桜形
- 切山・小久田線
- 桜形 - 北部診療所 - 井口 - 小楠 - 赤田和中 - 空屋敷辻 - 大沢 - 切山横手辻 - 木挽沢 - 大ゾレ - 上一色平
- 毛呂・井沢線
- 桜形 - 北部診療所 - 井口 - 下毛呂 - 毛呂中 - 上毛呂 - うつぎ - 竹沢連橋 - 井沢公民館 - 若林 - 本郷入口 - 本郷
- のってこバス(宮崎小学区。西三交通に運行委託)
- のってこ1号(旧大雨河小学区)
- のってこ2号(旧千万町小学区)
- ほたるバス(豊富小学区)
- 鳥川線
- 星野医院 - 額田支所前 - 豊富小学校 - ハズノモト - 下辻 - 小デノ沢 - 宮前 - 市道
- 夏山・鳥川線
- 星野医院 - 額田支所前 - 豊富小学校 - ハズノモト - 下辻 - 小デノ沢 - 宮前 - 市道 - 鬼沢公民館 - 寺野(公民館入口) - 夏山橋 - 平針(観音堂)
道路
高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道
主な林道
- 寺野木下線
- 桜形木下線
- 鍛埜桜形線
- 小久田岩下線
- 石原河原線
街道
- 樫山街道(国道473号)
- 挙母街道(国道301号)
- 作手街道(愛知県道35号岡崎設楽線)
- 宮崎街道(愛知県道37号岡崎作手清岳線)
- 大沼街道(愛知県道335号南大須鴨田線・愛知県道477号東大見岡崎線)
- 下山街道
施設
医療
消防(岡崎市消防本部)
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自治
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その他
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郵便
- 額田郵便局
- 宮崎郵便局
- 形埜郵便局
- 額田保久簡易郵便局
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観光スポット
名所
史跡
神社
豊富小学区・夏山小学区
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- 金山彦神社(細光町)
- 須佐之男神社(滝尻町)
- 八幡宮(片寄町)
- 神明宮(淡渕町)
- 神明社(淡渕町)
- 八幡社(夏山町)
- 夏山八幡宮(夏山町)
- 白山社(夏山町)
- 秋葉社(夏山町)
- 諏訪社(夏山町)
- 若宮八幡社(夏山町)
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宮崎小学区
形埜小学区
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- 須佐之男神社(鍛埜町)
- 八幡宮(鍛埜町)
- 八幡社(鍛埜町)
- 須佐之男神社(南大須町)
- 大国主社(南大須町)
- 神明宮(大高味町)
- 八幡社(大高味町寺下)
- 八幡社(大高味町下屋敷)
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下山小学区
寺院
豊富小学区・夏山小学区
- 桜井寺(桜井寺町)
- 弘分寺(下文衣町)
- 浄泉寺(樫山町)
- 定林寺(樫山町)
- 意徳院(樫山町)
- 福聚寺(牧平町)
- 天恩寺(片寄町)
- 慈雲院(鹿勝川町)
- 明宗寺(細光町)
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- 渭泉寺(細光町)
- 玉泉寺(滝尻町)
- 慈徳院(鳥川町)
- 牧泉寺(夏山町)
- 華蔵院(夏山町)
- 遊泉寺(夏山町)
- 松立寺(夏山町)
- 松樹寺(夏山町)
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宮崎小学区
- 傳正院(明見町)
- 少林寺(明見町)
- 林端寺(宮崎町)
- 聞桂寺(宮崎町)
- 端雲寺(石原町)
- 法林寺(中金町)
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- 正泉寺(大代町)
- 高雲寺(河原町)
- 財泉寺(河原町)
- 菩提院(雨山町)
- 東向寺(木下町)
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形埜小学区
- 阿弥陀寺(桜形町)
- 専念寺(桜形町)
- 広祥院(桜形町)
- 妙音寺(南大須町)
- 正立寺(鍛埜町)
- 東昌寺(鍛埜町)
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- 大空寺(鍛埜町)
- 大泉寺(鍛埜町)
- 若林寺(井沢町)
- 最勝院(毛呂町)
- 法林寺(切山町)
- 全長寺(小久田町)
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下山小学区
- 善光寺(中伊町)
- 天然寺(中伊町)
- 萬福寺(保久町)
- 長興寺(保久町)
- 明圓寺(一色町)
- 法性寺(冨尾町)
文化財
名称 |
指定別 |
種別 |
所有者名 |
指定年月日 |
所在地
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天恩寺仏殿 |
国指定重要文化財 |
建造物 |
天恩寺 |
1907年(明治40年)5月27日 |
片寄町
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天恩寺山門 |
国指定重要文化財 |
建造物
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蝦蟇、鉄拐仙人図 |
市指定文化財 |
絵画 |
1970年(昭和45年)1月21日
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からうすの図 |
市指定文化財 |
絵画
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見返りの大スギ |
市指定天然記念物 |
1971年(昭和46年)5月20日
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木造地蔵菩薩坐像 不動明王坐像 愛染明王坐像 (附 地蔵菩薩坐像内納入品) |
市指定文化財 |
絵画 |
2010年(平成22年)9月13日
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磬 |
県指定文化財 |
工芸品 |
桜井寺 |
1960年(昭和35年)6月2日 |
桜井寺町
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曼荼羅仏絵図 |
市指定文化財 |
絵画 |
阿弥陀寺 |
1970年(昭和45年)1月10日 |
桜形町
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延命地蔵菩薩 |
市指定文化財 |
彫刻 |
広祥院
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日近城跡 |
市指定文化財 |
史跡 |
1990年(平成2年)7月6日
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大川神明宮の舞台 |
県指定文化財 |
有形民俗 |
大川神明宮 |
1976年(昭和51年)11月1日 |
大高味町
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鰐口 |
市指定文化財 |
工芸品 |
高薄八幡宮 |
1970年(昭和45年)1月21日
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太刀 |
市指定文化財 |
工芸品 |
熱田神社 |
1970年(昭和45年)1月21日 |
岡崎市美術博物館
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熱田神社の脇差 |
市指定文化財 |
工芸品 |
熱田神社 |
1990年(平成2年)7月6日
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鰐口 |
市指定文化財 |
工芸品 |
白鬚神社 |
2007年(平成19年)12月18日
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千万町の神樂 |
県指定文化財 |
無形民俗 |
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1964年(昭和39年)3月23日 |
千万町町
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須賀神社祭礼山車及び祭りばやし |
市指定文化財 |
無形民俗 |
須賀神社 |
1982年(昭和57年)1月8日 |
樫山町
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寺野の大クス |
県指定天然記念物 |
寺野薬師堂 |
1968年(昭和43年)11月4日 |
夏山町
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切山の大スギ |
県指定天然記念物 |
皇太神社
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夏山の大スギ |
市指定天然記念物 |
諏訪神社 |
1971年(昭和46年)5月20日
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夏山八幡宮火祭り |
市指定文化財 |
無形民俗 |
夏山八幡宮 |
2005年(平成17年)9月16日
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万足平の猪垣(612メートル) |
県指定文化財 |
有形民俗 |
万足平を考える会 |
1981年(昭和56年)2月23日 |
中金町
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保久城主山下家墓所 |
市指定文化財 |
史跡 |
個人 |
1970年(昭和45年)12月1日 |
保久町
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保久八幡宮舞台 |
市指定文化財 |
有形民俗 |
保久八幡宮 |
2005年(平成17年)9月16日
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鰐口 |
市指定文化財 |
工芸品 |
高之御前神社 |
1970年(昭和45年)1月10日 |
大代町
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雨山砦跡及び雨山合戦地 |
市指定文化財 |
史跡 |
個人 |
1992年(平成4年)6月15日 |
雨山町
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とよとみ梨 |
市指定天然記念物 |
個人 |
1971年(昭和46年)5月20日 |
鳥川町
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ゲンジボタル |
市指定天然記念物 |
乙川・男川等 |
1983年(昭和58年)7月14日 |
額田地区
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イベント・祭り
脚注
注釈
- ^ 住民の嘆願による変更。隣接して巴村(後の作手村の一部。現・新城市)があり、紛らわしいことが理由という。
- ^ a b 栄枝村のうち旧・夏山村は豊岡村、高富村とともに豊富村へ合併。旧・千万町村、旧・木下村は宮崎村に編入。
- ^ 当初の計画では、豊富村、宮崎村、形埜村、下山村で合併する予定であったが、1956年5月、下山村北部(田代、田折、蕪木、蘭)の住民より、郡界川対岸の東加茂郡下山村との合併を望む声がでた。額田郡下山村村議会と県の行政係長が住民と長照寺にて開いた集会で田代、田折、蕪木、蘭の4地区の住民は東加茂郡下山村と合併をの意思を表明し、その実現を強く願った。一方東加茂郡下山村の方も北部4地区の受け入れを隣接している花沢地区も願っていることを額田郡下山村に報告した。その後も幾度も行われた話し合いで、下山村は額田郡下山村全体で額田町に合併するよう努力したが結局、1956年8月に田代、田折、蕪木、蘭の4地区が額田郡下山村から分割され、東加茂郡下山村に編入合併することでまとまったという。
- ^ 合併前、額田町の役場の設置場所については、町域の中心にあった旧・形埜村役場の再利用、人口が一番多い旧・豊富村役場の再利用、別に新しく設置するかでもめたという。最終的には旧・豊富村役場の使用となったという。
出典
関連項目
外部リンク