六供町(ろっくちょう)は、愛知県岡崎市の町名である。
地理
岡崎市のやや西に位置する。主に住宅地を形成している。20個の小字を持つ。六供町1丁目、六供町2丁目、六供町3丁目、六供町4丁目があるが、これらは全て小字であり、正確には六供町字1丁目~六供町字4丁目と表記される。よって当町には番地、丁目は置かれていない。
小字
- 字1丁目(いっちょうめ)
- 字2丁目(にちょうめ)
- 字3丁目(さんちょうめ)
- 字4丁目(よんちょうめ)
- 一本松(いっぽんまつ)
- 甲越(かぶとごし)
- 甲西(かぶとにし)
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- 三本松(さんぼんまつ)
- 清水(しみず)
- 杉本(すぎもと)
- 千日(せんにち)
- 出崎(でさき)
- 西茶臼(にしちゃうす)
- 西二本木(にしにほんぎ)
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- 八貫(はちかん)
- 東二本木(ひがしにほんぎ)
- 三ツ岩(みついわ)
- 南佐助(みなみさすけ)
- 南床屋(みなみとこや)
- 南丸根(みなみまるね)
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世帯数と人口
2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
字・番地 |
小学校 |
中学校
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字南丸根、字南佐助 字南床屋、字杉本 字1丁目85~96番地 字2丁目1~22番地 字2丁目30~32番地・42番地1 字3丁目、字4丁目 |
岡崎市立梅園小学校 |
岡崎市立甲山中学校
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字甲西、字甲越 字出崎、字三ツ岩 字西茶臼、字西二本木 字清水、字三本松 字東二本木、字一本松 字八貫 字1丁目1~84番地 字2丁目23~29番地 字2丁目32番地1~41番地 字2丁目42番地2~7 |
岡崎市立愛宕小学校 |
岡崎市立葵中学校
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歴史
額田郡六供村を前身とする。当初は額田郡六供町(岡崎六供町)であったが、一度六供村になっている。江戸時代は甲山寺領であった。
甲山にある甲山第1号墳は、直径100メートル以上で4世紀後半に作られた三河地方最大の古墳であると考えられる[11]。
沿革
- 1876年(明治9年) - 岡崎六供町と岡崎上肴町の一部が合併し、六供村となる。
- 1994年(明治17年) - 一部を岡崎能見町へ編入。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行に伴い、岡崎横町・岡崎亀井町・岡崎久右衛門町・岡崎魚町・岡崎康生町・岡崎材木町・岡崎十王町・岡崎松本町・岡崎上肴町・岡崎伝馬町・岡崎田町・岡崎唐沢町・岡崎島町・岡崎投町・岡崎能見町・岡崎八幡町・岡崎板屋町・岡崎福寿町・岡崎門前町・岡崎祐金町・岡崎裏町・岡崎両町・岡崎連尺町・岡崎六地蔵町・岡崎籠田町・菅生村・中村・梅園村・八帖村・六供村が合併し、岡崎町大字六供となる。
- 1916年(大正5年)7月1日 - 市制施行に伴い、岡崎市大字六供となる。
- 1917年(大正6年)7月1日 - 六供町に改称。
- 1945年(昭和20年)7月20日 - 岡崎空襲を受け六供町の一部が焼失。
- 1957年(昭和32年)11月15日 - 一部が六供本町1~2丁目・八幡町1~3丁目・亀井町2丁目・東能見町となる。
史跡
施設
教育
ギャラリー
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旧石原家住宅
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甲山八幡宮
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愛隣幼稚園
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愛隣幼稚園
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甲山公園
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六供浄水記念公園
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六供町にあった岡崎市立高等女学校(現・愛知県立岡崎北高等学校)の講堂。岡崎空襲により焼失。
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交通
- 道路
- バス
その他
日本郵便
脚注
注釈
出典
参考資料
関連項目