本宿町(もとじゅくちょう)は、愛知県岡崎市東部地区の町名。丁番を持たない単独町名であり、54の小字が設置されている。
地理
岡崎市の南東部に位置する。
河川
小字
- 字阿弥陀堂(あみだどう)
- 字一里山(いちりやま)
- 字井ノ口(いのくち)
- 字上ノ山(うえのやま)
- 字後田(うしろだ)
- 字後畑(うしろばた)
- 字円如ケ入(えんにょがいり)
- 字海道(かいどう)
- 字柿崎(かきざき)
- 字上三本松(かみさんぼんまつ)
- 字上トコサフ(かみとこさふ)
- 字上平五沢(かみへいござわ)
- 字上別岨(かみべつそ)
- 字上明法(かみみょうほう)
- 字北中町(きたなかまち)
- 字源田前(げんだまえ)
- 字古新田(こしんでん)
- 字坂尻(さかじり)
- 字桜田(さくらだ)
- 字沢渡(さわたり)
- 字三本松入(さんぼんまついり)
- 字下三本松(しもさんぼんまつ)
- 字下トコサフ(しもとこさふ)
- 字下平五沢(しもへいござわ)
- 字下別岨(しもべつそ)
- 字下明法(しもみょうほう)
- 字城下(しろした)
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- 字城屋敷(しろやしき)
- 字神明西(じんめいにし)
- 字棚田(たなだ)
- 字堤添(つつみぞえ)
- 字寺町(てらまち)
- 字寺山(てらやま)
- 字トイツメ(といつめ)
- 字中平五沢(なかへいござわ)
- 字梨子木(なしのき)
- 字西片山(にしかたやま)
- 字西木竹(にしきたけ)
- 字西薬師堂(にしやくしどう)
- 字八反(はったん)
- 字東浦(ひがしうら)
- 字東片山(ひがしかたやま)
- 字東木竹(ひがしきたけ)
- 字東薬師堂(ひがしやくしどう)
- 字平田(ひらた)
- 字広畑(ひろはた)
- 字深田(ふかだ)
- 字古城(ふるじろ)
- 字丸山腰(まるやまごし)
- 字南中町(みなみなかまち)
- 字向田(むかいだ)
- 字森ノ腰(もりのこし)
- 字森本(もりもと)
- 字柳沢(やなぎざわ)
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世帯数と人口
2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
歴史
額田郡本宿村を前身とする。
額田郡駅家郷や山中郷に属し、古代道路、鎌倉街道沿いの街として古くから栄えた。江戸時代に入り東海道が整備されると、藤川宿と赤坂宿の中間地点にある村として利用され、のちに両宿の助郷村となった。江戸時代初期は天領及び法蔵寺領であったが、1698年に旗本柴田勝門が入り、本宿陣屋を構え、以降旗本柴田氏が、法蔵寺とともにこの地を治めた。また冨田氏が世襲代官を務め、現在も本宿陣屋跡には冨田病院が立つ。冨田家は慶應義塾大学医学部名誉教授であり医学部長を務めた冨田恒男、音楽家の冨田勲とその長男で科学者の冨田勝などを輩出している[11]。
沿革
史跡
交通
鉄道
道路
施設
ギャラリー
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岡崎市本宿保育園
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冨田病院
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本宿旧代官屋敷
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本宿旧代官屋敷
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本宿旧代官屋敷に入っているイタリアンレストラン
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三浦太鼓店(1865年創業)
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日本レトルトフーズ。事務所棟は「アイチ味噌溜店舗」として岡崎市景観重要建造物に指定されている。
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宇都野龍碩邸跡と長屋門
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旧本宿村役場
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旧本宿村役場
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JAあいち三河 本宿支店
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緑町中央公園
その他
日本郵便
脚注
参考資料
関連項目
外部リンク