東北大学大学院理学研究科・理学部東北大学 > 東北大学大学院理学研究科・理学部 東北大学大学院理学研究科(とうほくだいがくだいがくいんりがくけんきゅうか、英: Graduate School of Science)は、東北大学大学院の研究科。東北大学理学部(―りがくぶ、英: School of Science)は、東北大学の学部。 概要東北帝国大学の分科大学として1911年に開設された理科大学を前身とする[1][2]。 同理科大学は1919年に理学部となり、1995年には大学院重点化を行った。 設立以来「研究第一」と「門戸開放」を理念に掲げ、女性や海外出身者、旧制高等学校以外の高等工業学校・高等師範学校などの傍系へも門戸を開いてきた。日本初の女子学生である黒田チカ(お茶の水女子大学名誉教授)や丹下梅子(元日本女子大学教授)らや、傍系の教育機関であった東京高等工業学校(現東京科学大学)卒業生の茅誠司(第17代東京大学総長)らを受け入れてきた伝統を持つ[3]。 沿革1906年(明治39年)、古河財閥(古河虎之助)が「福岡工科大学、仙台理科大学、札幌農科大学」の設立に対して100万円(当時)の寄付を申し出る。 1907年6月、東北帝国大学創立[3][4]。1906年(明治39年)、札幌農学校を帝国大学農科大学に昇格させ、新設予定の理工科大学と大学予科と併せて北海道帝国大学とする案が浮上するも、東北選出の代議士が反発し、その結果として新設予定の理科大学を仙台に置く折衷案を政府に要求することとなった[5]。 1911年1月、東北帝国大学理科大学開設、数学科・物理学科・化学科・地質学科を置く[6][3][4]。理科大学の建設資金には、日露戦争の好景気で財を成した古河財閥(現・古河グループ)や宮城県による寄付金等が用いられ、校舎の建設や実験機器・専門書の輸入などの準備がなされた。理科大学の教授候補として内定した者たちは、理科大学完成までの間、ヨーロッパ各地に留学し、留学中にフランスの首都パリに集まって教授会も開催した[7]。 1913年、理科大学で女子の入学を認め、日本初の女性大学生が誕生する[3]。文部省による「元来女子を帝国大学に入学せしむることは前例これ無きことにて頗る重大なる事件にこれあり大いに講究を要し候」などの警告を無視し、黒田チカ(化学科)、牧田らく(数学科)、丹下ウメ(化学科)の入学が許可された[8]。官報で合格発表が行われた8月21日は後に女子大生の日となった[9][10]。 1917年、応用化学講座設置[6]。後1919年に東北帝国大学工学部が設立され、工学部応用化学科となる[6]。 1919年、第二次帝国大学令によって分科大学が学部に改められ、理科大学が東北帝国大学理学部となる[3]。 1922年、生物学科設置[6]。1924年、地質学科が地質古生物学科・岩石鉱床学科に分離される[6]。1934年、天文学講座設置[6]。1945年に地球物理学科、翌1946年に地理学科が設立される[6]。1949年、地質学古生物学科・岩石鉱物鉱床学科・地理学科が地学科に統合され、地学科地学第一、地学科地学第二、地学科地学第三と改称される。 1953年、大学院理学研究科設置[3]。数学専攻・物理学専攻・化学専攻・地学専攻・生物学専攻・地球物理学専攻の6専攻を設置する[6]。 2001年、大学院生命科学研究科設置。 学科・専攻理学部は入学定員324名[11]。2022年現在、以下の学科・専攻を置く。
廃止された学科・専攻
著名な出身者政治、行政
経済
研究
教育技術、文化
アナウンサー、気象予報士関連項目参考文献
脚注
外部リンク |